松山英樹“アジア初”マスターズ制覇 悲願のMajor Title獲得
my caddie 2021年4月12日(月)8時03分配信
海外男子メジャーのマスターズは11日、米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGC(7475ヤード・パー72)で最終ラウンドが行われ、松山英樹が通算10アンダーで悲願のメジャー初制覇を果たした。
4打差リードの単独トップから出た松山は、出だしの1番パー4はティーショットを右に曲げボギーとしたが、2番パー5でバンカーからの第3打目を寄せてバーディを奪う。3番から7番はパーとし、8番パー5はグリーン奥からの第3打目を約1メートルに寄せてバーディ。続く9番パー4も第2打目を約1メートルにつけバーディと2アンダーで折り返した。
10番、11番はパー。12番パー3はティーショットを奥のバンカーに入れて寄せきれずボギーとしたが、13番パー5でグリーン奥からのアプローチを約30センチにつけタップインバーディ。14番はパーセーブ、15番パー5は第2打目がグリーン奥の池に入りボギー、16番パー3はグリーンを捉えるも約12メートルの難しいバーディパットから3パットのボギー。17番はパー、18番はボギーとしたが、トータル4バーディ、5ボギーの1オーバー「73」を記録し快挙を成し遂げた。
この優勝で松山は、マスターズ覇者に贈られるグリーンジャケットに袖を通す初のアジア人選手に。また、樋口久子(1977年/全米女子プロゴルフ選手権)、井戸木鴻樹(2013年/全米プロシニアゴルフ選手権)、渋野日向子(2019年/AIG全英女子オープン)に次ぐ、海外メジャー大会を制した4人目の日本人選手となった。
さらにマスターズ前週に開催されたオーガスタ・ナショナル女子アマで梶谷翼が優勝と、2週連続で日本人選手がゴルフの聖地で頂点に立った。
通算9アンダー単独2位にウィル・ザラトリス(米)、通算7アンダー3位タイにジョーダン・スピース(米)、ザンダー・シャウフェレ(米)が入った。
松山英樹とマスターズ、ローアマ獲得から初制覇まで
ALBA Net 2021年4月12日(月)8時14分配信
<マスターズ 最終日◇11日◇オーガスタ・ナショナルGC(米ジョージア州)◇7475ヤード・パー72>
日本勢として初めて「マスターズ」制覇を成し遂げた松山英樹。悲願のメジャー制覇を達成した場所は世界に初めて名を轟かせた場所、そしてメジャーで初めての予選落ちをはじめ、何度も悔しい思いをした場所でもあった。
初めて出場したのは2011年。霞が関CCで行われた、「アジア・パシフィックアマチュア選手権」優勝で資格を得て参戦した。初めて足を踏み入れたオーガスタでは、初日からアマチュアらしからぬ安定したプレーを披露。27位タイに入り日本人史上初のローアマチュアに輝いた。東北福祉大のある仙台に拠点を置く松山が、東日本大震災直後に躍進を見せたことも、パトロンたちから大きな称賛を浴びた。
勢いそのままに11年もアジア・パシフィックアマチュア選手権で連覇を達成。2年連続アマチュアとして出場権を獲得した。再び訪れたオーガスタでも3日目まで我慢のゴルフを続けて27位タイにつけて史上初の2年連続ローアマチュア目前。ところが…。
最終日にパッティングを見失い痛恨の「80」。54位タイに終わり、ローアマチュアを逃す結果となった。涙を流し、悔しさを胸に刻んだ松山はここにまた帰ってくることを誓ってオーガスタを後にした。
2年ぶりに、そして初めてプロとして出場した14年大会は苦しい戦いとなった。連戦からくる左手の故障による調整不足も重なり、初日に「80」を叩いて大きく出遅れ。2日目は「71」にまとめたが、カットラインに遠く及ばず予選落ち。PGAツアーメンバーとなった松山のメジャー大会での予選落ちはこれが初めてのこと。「悔しい以外に何もない」と唇をかんだ。
前年の「ザ・メモリアル・トーナメント」で日本人史上4人目のPGAツアーチャンピオンとなって迎えた15年大会。注目度も前回の比ではない戦いのなかで、前年の鬱憤を晴らすようなプレーを見せた。
安定したプレーでアンダーを積み重ね、10位タイで迎えた最終日には「66」をマークして一気にジャンプアップ。片山晋呉、伊澤利光の4位に続く日本勢3番目の5位に食い込んでメジャー制覇に現実味を持たせた一戦となった。
さらに翌16年は優勝争いに加わることになる。最終日を迎えた時点で首位とは2打差の3位。歴史が変わる瞬間を誰もが待ち望む日曜日となった。しかし、最終日は前半4番でボギーを叩くと、5番でもボギー。さらに6番のパー3ではダブルボギーを叩いて優勝戦線から脱落した。後半は巻き返したものの前半の後退が最後まで響いてしまった。
これ以降は苦しい戦いが続いた。17年は2日目に「70」で16位タイに浮上したものの、ムービングデーの3日目は18番で痛恨の4パットをたたくなど苦しんだ。「67」と巻き返して11位タイで終え、日本のエースの意地を見せたものの、全体的にフラストレーションがたまる大会だったのは間違いない。
18年大会も19位、19年大会は32位タイ。新型コロナウイルスの影響により秋に開催された20年も、予選ラウンドを終えて首位と1打差の6位タイにつけたもののムービングデーに伸ばせず。結果13位タイと、またもトップ10入りを逃した。
そうして迎えた21年大会。米ツアー公式サイトの優勝予想から漏れるなど期待はかつてほどではなかったが、初日に2位タイ発進を見せると、3日目に3日連続のイーグルを奪うなど自身マスターズのベストスコアとなる「65」を叩き出した。2位以下に4打差をつけて単独首位に浮上すると、そのままトップで駆け抜けて、日本勢の悲願を達成した。
「マスターズ史上💢最も破廉恥」韓国人ゴルファーの所業に非難殺到
THE DIGEST 2021年4月10日(土)17時15分配信
世界最高峰の檜舞台で、目を疑う光景が映し出された。
米ジョージア州のオーガスタナショナルGCで開催中の『マスターズ』は現地金曜日に大会2日目を消化。日本の松山英樹は通算4アンダーで首位と3打差で終え、6位タイに付けて決勝ラウンドに進んだ。
そんな伝統あるオーガスタで、信じられない行動に出たのが、韓国のキム・シウーだ。この日はスタートから好調を維持していたキムだが、14番で3パットを叩いて初のボギーを記録し、スコアを落としてしまう。すると続くパー5の15番では、ウェッジでのアプローチがカップを通り過ぎて逆側のエッジにまで到達。これで「イライラした」と振り返るキムは、なんと握っていたパターを地面に垂直に強く打ち付け、ぐにゃりと曲げてしまったのだ。
ルール上、替えのパターは使えないため、3ウッドでパッティングに臨んだ。なんとか15番をパーで切り抜けたものの、拾い上げたボールを池に投げ捨てるなど、マナーを逸脱した行為が続いた。結局残る3ホールもグリーン上でウッドを使用する羽目になり、いずれも2パットを余儀なくされてバーディは獲れず。それでも松山と同じ通算4アンダーで、6位タイで2日目を終えた。
ラウンド後のインタビューで「わざと壊そうとしたわけじゃなく、壊れてしまったんだ」と弁明し、「その後もパーを獲れたのはラッキーだった」と前向きに捉えたキム。だが、日本のテレビ中継局である『TBS』で解説を担当した中嶋常幸プロが怒りを滲ませたように、批判の声が渦巻くのは至極当然だ。
米専門メディア『Golf Digest』は「マスターズで勝利を収めるためには、感情を露にすることなく72ホールすべてで集中しなければならない。それがセオリーだ」と諭したうえで、「キム・シンウーはそれを試されたが、怒りに身を任せてしまった」と断じた。そして次のように続けている。
「あの時点で、彼はトップのジャスティン・ローズと3打差だった。そんななかで、マスターズ史上、もっとも無謀で問題視されるべき行動のひとつに及んでしまったのだ。究極の戦いにおいて、パターを失なうことがなにを意味するのか。3ウッドで代替したものの、パターだったなら残る3ホールすべてをパーで終えることもなかっただろう」
ラウンドを終えたキムは日没までずっと、新しいパターで練習を続けていたという。
マスターズという、とりわけ格式が重んじられる舞台での失態。土日の決勝ラウンドで優勝争いをし、もし初優勝を遂げたとしても、今回の軽率な行動が帳消しになるわけではない。
歴史の扉こじ開けた松山英樹「最後まで緊張しっぱなし」
朝日新聞デジタル 2021年4月12日(月)8時08分配信
日本男子ゴルフ界の悲願がついに達成された。米ジョージア州オーガスタで11日まで開催されたマスターズ・トーナメント。最終ラウンドを単独首位から出た松山英樹(29)が圧倒的なゴルフで優勝を果たした。
「メジャー」と呼ばれる男子の4大大会を日本選手として初めて制した。
松山は試合後のインタビューで「朝からずっと緊張していて、最後まで緊張しっぱなしで終わりました」と苦笑。日本勢初の優勝について「僕が勝ったことで、日本人が変わっていくんじゃないかと思います」と話した。
日本選手最初の4大大会挑戦は、1932年の全英、全米両オープンに出場した宮本留吉にまでさかのぼる。以後、世界の層の厚さに何度もはね返されてきた。
日本選手が最も優勝に近づいたのは、1980年の全米オープン。当時38歳の青木功さん(現日本ゴルフツアー機構会長)が、帝王ジャック・ニクラス(米)と4日間、同組でプレーし、惜しくも2位となった。「バルタスロールの死闘」と呼ばれ、今なお語り継がれる名勝負だ。
この偉大な2人のゴルファーと松山は不思議な縁を持つ。6歳の時、地元愛媛のゴルフ場で練習していた青木氏と会った。初めて接したプロゴルファーだった。青木氏から手招きされて、近くで練習を見せてもらった。「大きかった。僕の背丈は青木さんの胸の高さくらい。子供でもオーラを感じたのを覚えている」と松山は語る。
プロになってからも、節目節目で目をかけたのが青木氏。メジャー大会で優勝争いに加わりながら、優勝に届かない松山に対して、「またチャンスはある。頑張れ」と励ました。
ニクラスとも縁を持つ。松山が14年に米ツアーで初優勝を飾ったメモリアル・トーナメントは、ニクラスが創設し、ホストを務める大会。「すごい才能だ」と当時から松山の将来性を見抜いていた。
マスターズ最終日の前にはツイッターでこうつぶやいた。「青木とはメジャー大会で何度もプレーした。彼は今でもヒーローだ」
そしてこう続けた。「松山は本当に手堅い選手。4打のリードは大きい。日本で大きな注目を集めるだろう」。マスターズで最多6度の優勝を誇る帝王の予言通り、抜群の安定感を見せた松山が、歴史の扉をこじ開けた。
幾度の優勝争いの末に…ついに壁破った松山英樹
時事通信 2021年4月12日(月)8時17分配信
日本男子がはね返され続けた厚い壁を、29歳の松山英樹がついに破った。何度もメジャーの優勝争いを経験し、たどり着いた頂点だ。
2014年6月に米ツアー初優勝。2勝目までは1年8カ月を要したが、その後は完全にトップ選手の仲間入り。メジャーでも常に優勝候補に挙がるようになった。
初めて頂点に迫ったのが16年4月のマスターズ。首位と2打差で出た最終ラウンドは、序盤で失速して脱落した。同年7月の全米プロ選手権では終盤まで食い下がったが、差を詰め切れず5打差の4位。17年6月の全米オープンは最終ラウンドで猛追して2位に入った。
17年8月の全米プロは、さらに優勝に近づいた。最終日中盤に単独トップに立ちながら、同組で回ったジャスティン・トーマス(米国)に逆転された。いつも淡々とした受け答えの松山が肩を震わせ涙する姿が、どれだけ悔しいかを表していた。一方、優勝争いを重ねるうちに自信がついたのは確かで、「場数が増えていけば、それだけチャンスも増えているということ」と話した。
18年以降はメジャーではトップ10もなかったが、目標はぶれることはなくついに到達した。世界で日本勢の存在感を示してきた青木功や中嶋常幸らでも成し得なかった歴史的偉業。元世界ランキング1位でメジャー優勝経験もあるジェーソン・デー(オーストラリア)はこう言ったことがある。「英樹は精神力が非常に強い。浮き沈みがなく、それがまさに日本人のメンタリティーなのではないかと思う」
欧米メディアから自身のメジャー優勝が日本ゴルフ界に与える影響について問われるたびに、心の内を述べてきた。「今の日本の男子ツアーは女子に比べてあまり人気がない。僕が優勝すると見方も変わると思うので頑張りたい」。日本男子のトップとしての責任感を胸に戦ってきた。メジャー1勝で満足せず、歩みを進めていく。
松山英樹の優勝に、解説・中嶋常幸も男泣き
デイリー 2021年4月12日(月)8時14分配信
松山英樹(29)=LEXUS=が快挙を成し遂げた。最終日、2位に4打差をつけてスタートすると、4バーディー、5ボギーの73、通算10アンダーで日本人初のマスターズ優勝を飾った。これにテレビ解説の中嶋常幸も涙声で松山の快挙を喜んだ。
日本人初の快挙に、何度もオーガスタに挑戦してきた中嶋も涙を堪えることはできなかった。松山の優勝が決まると中嶋は「すいません、苦しかったから、本当に良かった…」と男泣き。
ゲスト解説の宮里優作も「本当にこんな日が来るなんて…。彼の夢に僕らが乗っかってるんですけど、日頃からトレーニング、練習してきたので本当に良かった、ありがとうといいたい」とこちらも涙声。中嶋は「おめでとう!」と実況席から叫んでいた。
激闘を制した松山英樹、日本ゴルフ史に名を遺す
スポーツ報知 2021年4月12日(月)8時03分配信
◆ 米男子プロゴルフツアー メジャー21年初戦マスターズ最終日(11日、米ジョージア州オーガスタナショナルGC=7475ヤード、パー72)
2位と4打差の首位スタートした松山英樹(29)=LEXUS=が優勝を果たした。日本人初のマスターズ優勝&レギュラー日本男子初の海外メジャー制覇。10回目の出場で松山は、栄光のグリーンジャケットに袖を通し、日本ゴルフ史に名を残す快挙を成し遂げた。
これがメジャー初優勝に向けてのプレッシャーなのか。
松山は難関の1番パー4の第1打を大きくミスした。ドライバーを握らず、番手を落とした3番ウッドで放ったボールは大きく右に曲がり、林へ消えた。第2打も、あわや木を直撃する危ないショットだった。フェアウェーからの第3打は全くピンに寄らず、10メートルのパーパットを残した。
しかし、振り返ってみれば、ドタバタしたのは、第3打までだった。パーパットは入らなかったもののカップ縁に止まる完璧な距離感だった。
1番をボギーでスタートした松山は通算10アンダーに後退。その時点で、1、2番をバーディーで発進し、通算9アンダーとしたウィル・ザラトリス(24)=米国=に1打差に迫られた。4打あった差は、アッという間に1打差まで肉薄されたが、ここから松山が本来の姿を取り戻した。
2番パー5ではドライバーで放った第1打がフェアウェーを捕らえ、第2打をグリーン手前のバンカーへ。第3打を1メートルに寄せて、バーディー奪取。スコアを通算11アンダーに戻した。
3番パー4、4番パー3はパーをセーブして迎えた最難関の5番パー4。第1打を左バンカーに入れ、第2打をフェアウェーに刻む。残り96ヤードの第3打はピン左約6メートルに残したが、長いパーパットを強気のタッチで沈め、最難関ホールを切り抜けた。
松山は6番パー3では4メートル、7番パー4では1・2メートルのバーディーチャンスにつけた。いずれも惜しくもバーディーパットを決められなかったが、流れを確実に取り戻した。
8番パー5で第2打をグリーン奥まで運び、第3打の12ヤードのアプローチを1メートルに寄せてバーディー。9番パー4でも第2打を1メートルに寄せて連続バーディー。スコアをふたつ伸ばして通算13アンダー。前半終了時点で、2位のザラトリスとは5打差。結局、スタート時点より差を広げた。
プロゴルフの世界で勝負を分けるサンデーバックナイン(最終日の後半9ホール)でも、松山は栄光に向けて確実に歩みを進めた。
祈らずにはいられないと言われるアーメンコーナーの11、12、13番。12番パー3では第1打を左奥バンカーに入れてボギー。続く13番パー5では第1打を右の林に曲げたが、日本のゴルフファンの「祈り」が通じたのか、木に当たり、右セミラフまで戻ってきた。グリーン手前に流れる小川超えを狙った第2打は左に曲がったが、グリーン左ラフにとどまり、第3打のアプローチを1メートル以内に寄せてバーディー奪取。アーメンコーナーをイーブンで切り抜けた。
この時点で2位に浮上した同組のザンダー・シャウフェレ(27)=米国=とは5打差。安全圏と思われて、残り5ホールに向かった。
しかし、メジャー制覇へ試練は続く。15番パー5。第1打はフェアウェーをキープ。池超えの第2打。手前の池を大きく越えたボールは、グリーンも飛び越え、奥の池へ落ちた。1罰打の第4打はグリーンに乗らず。奥のカラーからパターで狙った第5打は入らずに痛恨のボギー。この時点で、4ホール連続バーディーと猛追してきたシャウフェレに2打差まで迫られた。
しかし、何が起こるのか、分からないのが、マスターズ。16番パー3で、シャウフェレが第1打を左へ池ポチャ。打ち直しの第3打もグリーンオーバーし、まさかのトリプルボギーで通算8アンダーの3位に後退。松山もボギーをたたき、通算11アンダー。その時点で通算9アンダーでホールアウトしたウィル・ザラトリス(24)=米国=とは2打差。ヒリヒリした展開で、勝負はクライマックスを迎えた。
17番パー4。松山は第1打をフェアウェーキープ。第2打をしっかりグリーンに乗せてパーセーブした。
2打差をキープして最終18番へ。両サイドから林が迫る難しい第1打をしっかりとフェアウェーキープし、勝利を大きく引き寄せた。最後のパットを沈め、長い、長い18ホールを戦い終えた。
マスターズに日本人が初参戦して85年。32人の日本人選手が挑み、誰も立つことができなかった頂点に、松山がついに立った。
現地時間2021年4月11日。日本時間12日早朝。日本列島が歓喜に湧いた。「松山英樹」の名前は永遠に日本ゴルフ界の歴史に刻まれることになった。
◆ 日本人選手の海外メジャー制覇
▽ レギュラー男子
2021年マスターズ 松山英樹
▽ レギュラー女子
1977年全米女子プロ 樋口久子
2019年AIG全英女子オープン 渋野日向子
▽ シニア男子
2013年全米プロシニア 井戸木鴻樹