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2020年10月10日 (土)

【殺人ピエロ】実録=スティーブン・キング原作『IT』のモデル

 33人の青少年を性的に虐待し殺害した男「殺人ピエロ」の表と裏 

現代ビジネス 2020年10月9日(金)21時01分配信/阿部 憲仁(桐蔭横浜大学教授)

殺人ピエロと呼ばれた男

 将来ある33人の若者を殺害した罪で処刑された、ジョン・ウェイン・ゲイシーの最期の言葉だ。彼は非常に残忍な方法で青少年たちを性的に虐待し、殺していった。

 極悪な殺人事件を繰り返した彼だが、表の顔は社会的に成功を収めたビジネスマンであり、地域活動にも熱心な一面を見せていた。平時には子どもを楽しませるためにピエロの仮装をすることもあったため、「キラー・クラウン(殺人ピエロ)」と呼ばれ、ホラー映画『IT』に登場するペニーワイズのモデルとも言われている。

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 地域の名士と連続殺人犯。そのような彼の二面性は、どのようにして生まれたのか? 

父親から見捨てられた幼少期

 1942年3月17日、ジョン・ウェイン・ゲイシーはイリノイ州シカゴで生まれた。父のスタンリー・ゲイシーは、自分の技術に誇りを持った叩き上げの熟練自動車修理工だった。彼は家族に対して高圧的で、暴力を振るうこともあったという。

 その父が息子に求めたのは、「男らしい大物へと育つ」こと。ゲイシーのファーストネームの由来は、1930年代からアメリカ西部劇で活躍した俳優、ジョン・ウェインである。「ミスター・アメリカ」とも呼ばれた彼の名前を息子につけるあたり、父は「アメリカ的な強い男」へ育てようとしていたことがうかがえる。

 しかしゲイシーは生まれつき体が弱く、心臓に持病を抱えていた。それを知った父親は彼を完全に見限り見捨て、「しつけ」と称して徹底的に痛めつけていく。事あるごとに「クズ」「間抜け」「オカマ」といった罵声を浴びせながら革のベルトで彼のことを叩き、肉体と精神の両面から圧迫した。

 そのたびにゲイシーはパニック発作を起こして失神したと言われるが、父はそれすらも「周りの気を引くための演技だ」と決めつけてさらに罵倒した。

 しかしゲイシー自身は父親に認められようと必死であり、それがその後の社会的成功へとつながっていく。日常的に虐待されていたものの、ゲイシーは父親に尊敬の念を抱いていたと言われるが、後述の通り、このような父親との関係が犯行の一因となったことは否定できない。

 心臓が弱かったゲイシーはスポーツも満足にできず、高校時代には1年以上の入院を経験している。その結果成績が低下して高校を落第し、職業専門学校へと編入した。卒業後は学校事務として就職している。

 この間、ゲイシーは初めて女性と性的関係を持つ機会があったものの、直前で失神してしまったというエピソードがある。この話を聞いた父は、「お前の中のオカマがまた出てきたな」と言って不甲斐ない息子を馬鹿にした。

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 20歳のとき、父親との些細な口論がきっかけでゲイシーは実家を飛び出す。3ヵ月間ラスベガスで暮らしながら、彼は葬儀屋でのアルバイトで生計を立てていた。防腐処理のため死体の血抜きを手伝いつつ、死体置き場にあるベッドで寝起きしていたという。その当時から死体に対して特別な感情を抱いていたとされるが、詳細は定かではない。

 その後シカゴに戻ったゲイシーはビジネス専門学校へ進学し、卒業後は大手靴販売店の販売員として就職する。営業成績は飛びぬけて良かったため、若くしてエリアマネージャーに抜擢された。同時期に、彼はアメリカ合衆国青年会議所の要職も務めている。

 22歳のときに1人目の妻マリリンと結婚したゲイシーはアイオワ州へと引っ越し、義理の父が所有するケンタッキー・フライドチキンのフランチャイズ店舗を取りまとめるマネージャーへと転職する。この時期には地域の活動にも熱心に参加しており、まさに「地元の名士」だった。結婚2年後には長男、翌年には長女が誕生し、周囲からはまさに幸せの絶頂期かのように見えていた。

 しかしそんな最中、彼は「その後の凶行の予兆」とでも言うべき事件を引き起こす。

 彼が初めて15歳の少年ドナルド・ヴァリューズに出会ったのは、25歳のときのことだ。ゲイシーはヴァリューズに謝礼を支払う代わりに、自宅の地下室でオーラルセックスをしてもらっていた。しかし26歳になったゲイシーが、地元の青年組織の会長に立候補すると、ヴァリューズがこの関係を告発したため、彼は「反自然性交」の罪で逮捕される。当時アイオワ州では、同性愛は犯罪として扱われていた。

 起訴されて懲役10年の実刑判決を受けたゲイシーだったが、刑務所内で高校教員の資格を取得し、模範囚として約1年半で釈放された。なお収監中に妻のマリリンとは離婚が成立している。

 出所後ゲイシーはシカゴの実家へと戻り、資金を貯めて建設会社を立ち上げる。同じ頃に彼は2番目の妻キャロルと結婚し、彼女の連れ子2人と幸せな家庭を築いた。ここでもゲイシーは地元の名士として尊敬され、休みの日にはピエロの仮装で近所の子どもたちを喜ばせていたという。地域の民主党の「顔役」でもあり、カーター大統領夫人と握手している写真も残っている。

 しかしすでに彼の凶行は、水面下で着実に始まっていたのだ…。

地下に拘束し、ゆっくりと首を絞める…

 「禁欲的な刑期を終えた後に犯行が激化する」というのはたびたび見られる現象だが、模範囚として早期に釈放されたゲイシーも、まったく変わらないどころか、むしろ地元のパーティーで好みの少年を見つけてはオーラルセックスさせることを繰り返すようになっていった。

 そして、出所の半年後には、性交目的で少年を自宅へ連れ帰ろうとしたとして、起訴されている(被害者が出廷しなかったため不起訴処分)。この他にも自身が経営する建設会社で働く青年をはじめ、多くの若者と性的関係を持っていた。

 そんなゲイシーが最初の殺人を犯したのは、30歳のときだった。被害者は、旅行中にシカゴのバスターミナルで目を付けられた16歳の少年ティモシー・マッコイ。「シカゴを案内してあげる」そう言って彼はティモシーに近付き、自宅に連れ込んで一晩を明かした。

 ゲイシーの証言によれば、翌朝目を覚ましたら、ティモシーがナイフを持って寝室の入り口に立っていたという。彼はパニックを起こしてティモシーと殴り合い、とっさにナイフを奪って刺し殺してしまったらしい。ダイニングに入ると2人分の朝食が用意されており、料理中のティモシーがナイフを持ったままゲイシーを起こしに来たとわかった。

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 その後ゲイシーはティモシーの遺体を地下室へと運び、コンクリートで固めて証拠隠滅を図る。のちのインタビューでは、殺害直後は疲労感を覚えたものの「死が究極のスリルだと気づいた」と話している。

 逮捕への不安から3年ほど犯行から遠ざかっていたゲイシーだが、ついに33歳の時に2度目の凶行へと至る。この2番目の被害者については、まだ身元が判明していない。そのころすでにキャロルとの夫婦関係は破綻しかけていた。彼は妻に「自分はバイセクシャルである」とハッキリ伝えており、彼女は夫が若い男性をたびたび家のガレージへと連れ込むところを目撃している。

 その後、家の中でゲイポルノが見つかったことや金銭トラブルが原因となって、ゲイシーは34歳で2度目の離婚を経験する。家族と別れてますます青少年を自宅に連れ込みやすくなったことで、ゲイシーの犯行は加速していく。

 その後36歳になるまでの約3年間に、14歳から21歳まで31人の青少年を殺害したと判明している。彼には決まった犯行の手口があり、専門用語で「モーダス・オペランダイ」と言われる。

 まず性交渉を仕事としている青年や建設会社のアルバイトの中からターゲットを絞り、「ポルノを見ないか」と誘って自宅の地下室へ連れ込む。そこで「手品を見せてあげるよ」と嘘をつき手錠をはめて自由を奪うと、心ゆくまで性的虐待を加えたという。

 最終的には、自らの手やひもを使って、青少年を絞殺していった。当時若者の間では十字架のネックレスが流行していたため、ペンを回してゆっくりと首のチェーンを巻き取りながら、ジワジワと絞め殺すこともあった。また彼は一晩に2人の被害者を拉致し、虐待して殺す「ダブル」を好んだ。殺害後も被害者の死体と性的な関係を持ったと言われているが、ゲイシー本人は否定している。

 彼の手にかかった被害者の遺体は、自宅の縁の下に26体、敷地内に3体埋められており、残り4体は近くの川に捨てられていた。そのうち9体は身元がわかっていない。

自宅には、死臭が充満していた

 1978年、ゲイシーが経営する会社のアルバイトの面接に行った15歳のロバート・ピーストが行方不明になったことから、警察は本格的に捜査を開始した。実はそれ以前から、警察は連続殺人犯として彼に目を付けていたものの、彼は地元民主党の有力者であることを利用して、巧みに追及をかわしていた。

 捜査員がゲイシーの家を訪ねた際に、ロバートの遺留品と思われる品やゲイポルノなど証拠品らしきものが発見されたことがきっかけとなる。そこで警察は別件逮捕を決断し、「ゲイシーがマリファナの取引をしている」という情報を根拠に家宅捜索へと踏み切った。家に入った警察を待ち構えていたのは、おぞましい光景だった。

 自宅の床下に埋められた29人の遺体は腐敗しきっていて、家の中は死臭とメタンガスの臭いがひどく、現場の捜査員たちはめまいと吐き気を催した。現場で着ていた衣服には腐敗臭が染みついていて、洗っても取れなかったという。また埋められていた死体が掘り起こされて空気に触れたことで腐敗がさらに進み、死臭も一層ひどくなった。最終的に、捜査員は軍用の防護服を着用して作業に臨んだという。

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 逮捕後、ゲイシーは33人を殺害した容疑で起訴された。公判で彼は「多重人格」だと公表し、自分の中には建設業者、ピエロ、政治家、そしてジャック・ヘンリーという警察官がいると訴えた。犯行は「悪いジャック」が実行していたため自身は無実だと主張したものの、33件の殺人罪で死刑が宣告された。

 ゲイシーを含め複数の連続殺人犯とインタビューを行い、処刑後に彼の脳を分析したヘレン・モリソン医師によると、一般に「多重人格」と呼ばれることもある解離性同一性障害や被害妄想型統合失調症を示す特徴は確認できなかったという。

 その後ゲイシーはイリノイ州内の刑務所に収監されたが、何度も再審請求を繰り返している。しかし文通相手だった少年ジェイソン・モスを刑務所におびき寄せて面会した際に、監視カメラの死角で犯行に及ぼうとしたため、請求はすべて却下された。

 そして1994年5月9日、ジョン・ウェイン・ゲイシーに死刑が執行された。彼が希望した最後の食事は、自身の人生の成功を象徴するケンタッキー・フライドチキンだったという。

青少年を殺すための社会貢献活動

 ここからは、ゲイシーが残虐な殺人を犯してしまった理由を考えていきたい。

 最大の原因は、父スタンリーから受けた虐待だと思われる。ゲイシーのように外部から受けた強いストレスを自分の中で貯めこんでいると、いずれ精神がパンクしてしまう。自分を守るため、彼にはフラストレーションを外へと解放する必要があった。彼の場合、青少年への性的虐待と殺人がその手段だったと言える。

 特に0歳から4歳までは「臨界期」と呼ばれて、人格の基盤が形成される重要な時期である。この時に父親から継続的に受けた虐待が彼の深層心理に深く刷り込まれ、思春期に「性欲」と結びついてしまった結果、性的衝動を覚える度に青少年をターゲットにした凶行へと発展したのだろう。

 犯行を続けるためには、周囲から警戒されずに生活しなければならない。だからこそゲイシーは、ピエロの仮装で地域の子どもたちに風船を配るなど「良い人」を演じて本性をカバーしていた。青少年を定期的に殺害してフラストレーションを発散していたため、実業家や地域の名士として社会的な信頼を維持することができたのである。

 この「相反する二面性」は多くの連続殺人犯に共通する傾向であるが、そのあまりに極端な開きが「ジョン・ウェイン・ゲイシー」という連続殺人犯の大きな特徴だろう。そして、怒りを解放した彼の本当の顔を知るのは、殺された33人の犠牲者だけだったのではないだろうか。

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 同時に、権威主義的な家庭環境も要因の一つとして考えられる。父スタンリーは、自身が成功している姿を見せつけることで、息子を「強い男」へと育てようとしていた。

 このようなメッセージが、ゲイシーの中にも染みついていったことは想像に難くない。子どもは24時間親と一緒に過ごすため、反発して追い出されるよりも親に迎合することを無意識のうちに選ぶ。ゲイシーも父の悪口を言うことはほとんどなく、つねに父親の顔色をうかがいながら生活していた。

 そこから、青少年をターゲットに選んだ理由も見えてくる。父親は、幼い彼をことあるごとに「男らしくない」と非難した。そこで彼は「ゲイの男性を殺害することで、自分の中にある同性への愛情を否定できる」と無意識に感じていたのではないだろうか。

 つまり、自分自身の嫌な部分を他者の中に見出し、それを否定・攻撃し、抹消することで、「自分は違う」という一時的な精神的安定を得ていたと思われる。彼は青少年たちを殺害することで、「どうしても受け入れられない自分自身の一面を否定していた」と言えるのかもしれない。

 最後に、おぞましいほどの「死臭」が充満する家屋で、ゲイシーが何事もなく普通に生活できた理由について触れておきたい。父親から虐待されたことで、彼は自分自身を「父の期待に応えられない情けない存在」、さらには「醜いもの」「汚いもの」「生きていてはいけないもの」だと思い込んでいたからだと考察できる。

 自分の「生」を認めてもらえない者たちにとって、「生きている人間」とともに健全に暮らすことは苦痛なのかもしれない。だからこそ、むしろ「死者」にシンパシーを感じて安心できるのだろう。かつて60名を殺害し「死の医師」と呼ばれた連続殺人犯マイケル・スワンゴは、「患者が死んだ時、締め切った病室内に漂う、乾いた甘い匂いが僕は好きだった」と述べた。ゲイシーも同じ匂いを感じていたのだろうか…。

https://www.youtube.com/watch?v=YLh5wZU1LWk

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 「銃が“バカ売れ”」NY殺人銃撃事件が増加 マンハッタン中心街でも物乞いの姿 

ABEMA TIMES 2020年10月9日(金)11時08分配信

 10月7日、ユタ州ソルトレイクシティーのユタ大学で副大統領候補の討論会が行われ、野党・民主党候補のカマラ・ハリス上院議員と現職のマイク・ペンス副大統領の初対決となった。

 アメリカのワシントンで取材中のテレビ朝日・布施哲記者は「最もヒートアップしたのは新型コロナの問題。ハリス候補は、冒頭でトランプ政権のコロナ対策を史上最悪の失敗だと厳しく非難した。対して、ペンス副大統領は『当初からいち早く中国からの渡航を禁止していた。必要な対策はとってきた』『むしろこの対策に当時反対していたのはバイデン氏だ』と反論していた」とレポート。

 一方、今回の選挙にテレビ朝日の元アメリカ総局長・名村晃一氏は「トランプ大統領は『郵便投票は不正が働くから良くない』と郵便本部の幹部まで変えてしまっている。選挙制度自体に不安を覚える大統領選になっている」と危機感をあらわにする。

「トランプ大統領は選挙戦に向けて、ある種の分断政策をとってきた。選挙戦の一番の要は自分と違う人の意見ではなく、保守系の仲間を作ること。トランプ大統領は、前回もそれで勝った」(以下、名村氏)

 しかし、ここで問題になっているのが、ニューヨーク市内における治安悪化だ。2020年9月の殺人件数は51件で、昨年と同じ時期と比べると75.9%増加している。銃撃事件は152件で、こちらも昨年の同時期と比較し、126.9%の増加だった。

 また、ニューヨーク市における2020年1月から9月までの犯罪統計を見ると、昨年の同じ時期と比べて殺人は40%増加、銃撃事件は91%増加を記録している(※データは全てニューヨーク市警察ホームページより)。

 治安悪化について、前述の名村氏はこう述べる。

「窃盗などの件数は減っているが、殺人や銃撃事件が増えている。原因の1つは新型コロナに伴う経済状況の悪化で、治安も悪化しているということ。2つ目は、銃そのものの出回っている数が増えているということ。大統領選がある年は、銃の売り上げがかなり増える。大統領選の年は毎回『ひょっとしたら、次の政権が銃規制をしてしまうんじゃないか』『今のうち買っておこう』という動きがある。4年に1度は“バカ売れ”状態で、今年も銃弾が買えないくらい売れている。アメリカは日本と違って、銃を持つことは憲法で認められていて、自分の身は自分で守るというのが、アメリカの基本的な考え方。銃を持つ人が増えると犯罪にも使われるようになる」

 今年9月に仕事の関係で渡米したという名村氏。街の様子について、不安を覚えたという。

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「お店はしまっていて、オフィスもテレワークに切り替えている人が多く、マンハッタンの中心街でも人が少なかった。土曜の午前中は夜じゃないのに歩くのが怖いくらい。ホームレスも増えていて、停まっている車に物乞いする人もいる。前はいなかったが、マンハッタンの中心街でもそういう人が出てきている」

 先行きの見えない経済状況の悪化。11月3日のアメリカ大統領選挙がどのような結末を迎えるか、注目が集まっている。

 

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