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2020年11月29日 (日)

【座間9人殺害】公判✍白井被告の母親「何故こんなことが出来るの?」

 座間9人殺害事件公判で振り返る「死にたい若者たち 

文春オンライン 2020年11月26日(木)18時42分配信/渋井哲也(ジャーナリスト)

Aさんと手をつないで白井被告が明かした幸せな日々謝罪の言葉

 2017年10月に神奈川県座間市のアパートで男女9人の遺体が見つかった事件の裁判員裁判が11月25日、東京地裁立川支部で行われ、強盗、強制性交等殺人などで起訴された白石隆浩被告(30)に対する最後の被告人質問が行われた。

一部の被害者には謝罪したかった

 被害者一人ひとりに対する現在の思いについて聞かれると、白石被告は、一部の被害者や遺族に対しては「何を思っていたのか、周囲の人がどんな思いで接していたのか、聞いているとわかりました」として、「深い後悔がある」と話した。その他の被害者や遺族との差について、「一緒に過ごした時間の長さやその被害者の家庭環境、逮捕につながったかどうか」を挙げ、謝罪をしたい旨を述べた。そして、実際に「申し訳ありませんでした」と謝罪した。

 前日の白石被告は弁護人の質問にはすべて答えたが、この日は、約50問について小さな声で「黙秘します」と繰り返した。そんな中でも答えた質問は、裁判を通じて弁護人が白石被告の意に反して争ってきたことへの反論だった。

「私の親族に多大な迷惑をかけることはわかっていました。できるだけ公判前整理手続きを簡単に終わらせて欲しかったです。そこを配慮して欲しかったです。できるだけ報道されないようにして、その上で、一部の被害者には謝罪したかったです」

Aさんとは幸せな日々だった

 白石被告は、できるだけ審議せずに、簡単に終わらせたかった旨を話した。最初から最後まで、弁護人との関係は良好にならなかった。ただ、他にもいくつかの質問には答えた。最初の被害者Aさん(当時21、女性)については「幸せな日々だった」と話した。

「相武台前駅付近を歩いたときや不動産屋めぐりをしたときに、手をつないでいて、なんとなく落ち着いて、幸せな時間でした。死にたい話はしたとは思いますが、普通に異性として接しました。口説きがうまくいって、なんとなく、Aさんの方から『ホテルへ行こう』と誘ってくれた。希死念慮を消滅させるのも楽でした。口説くのはうまくいきました」

 また、Aさん、Cさん(当時20、男性)と3人で会った2017年8月15日の夜、Aさんからカカオトークで「Cさんは死ぬのをやめた。私もやっぱり、生きていこうと思います」とのメッセージを受けた。弁護人から「このメッセージは、Aさんが亡くなった後に、カムフラージュするために指示したのか?」と聞かれて、白石被告はこう答えた。

「私が(2人の)前を歩いていて、CさんがAさんを口説いていたんです。その状況で送られてきたので、カムフラージュではありません」

白石被告の部屋で首を吊る練習をした女性がいた

 これはBさん(当時15、女性)が白石被告にLINEで「生きていこうと思います」と送ったときと同じように、指示したものではないとした。

 弁護人は、被害者9人のほか、3人の女性と会っているかという点についても問いただした。1人は、事件前の8月上旬に会って10月中旬まで交際していたXさん。もう1人はDさん(当時19、女性)を殺害する前後に白石被告の部屋に泊まっていたYさん。この2人については、公判ですでに明らかになっていた。

 弁護人によると、もう1人はZさんだ。Zさんは2017年9月11日に白石被告の部屋に来た。当時はロフトの梯子にロープが結ばれていて、そこで首を吊る練習をした。その練習を白石被告が手伝っている。その上で、刃物を見せて「解体する道具なんです」と説明した。すると、Zさんは部屋を出て行ったという。

 筆者の面会では、被害者以外に4人と会い、1人は男性。残り3人の女性のうち、1人とは「8月から10月まで付き合っていた」と話した。それがXさんだろう。もう1人は「10日間住んでいた」と言っていたが、それがYさんだろう。残りの1人については、「部屋を見てクーラーボックスがあるのを見て逃げた女性がいた」という。それがZさんなのだろう。

 このZさんに関しては、検察側の質問に答えている。Zさんは女子高生だった。

「(首吊りの練習は)記憶にはないのですが、言われてみれば、そうしたかもしれません。『クーラーボックスの中に生首が入っている』と話しました。そのためか帰りました。その女性とはその後もLINEでやりとりをしていましたが、もう会うことはありませんでした。お金を持っていそうで、私に対して好意を持っている感じがありました。お金を引っ張れるかもしれないと思いました。女性をしっかりと口説いてから情報を与えたので、通報することはないと思っていました」

ヤクザでも警察官でも、殺すつもりでした

 白石被告の部屋のロフトには、布団が敷かれており、横にナタを置いて寝ていた。

「身を守るためです。被害者の人数がそれなりになっていましたので、関係者や、関係者の身内にヤクザがいるかもしれませんので、家に乗り込んでくるんじゃないかと思っていました。そのときは殺すつもりでした。もし警察官が1人で来た場合でも、殺すつもりでした」

拘置所内で売っているおやつを食べたかったから

 また、白石被告は拘置所内で筆者を含めて、複数のメディア関係者の取材を受けている。検察官は「どうして取材を受けたのか? 遺族の気持ちを理解しようとしたのか?」と聞いた。すると、こう話した。

「拘置所内で売っているおやつを食べたかったからです。(被害者の遺族の心情を思うよりも)おやつを食べたいという欲求には勝てませんでした」

 お金を無心するなら、女性のヒモになるのではなく、親族を殺害する選択はなかったのか、という検察側の質問には、

「選択をするとしたら父になります。しかし、父から(金銭的)援助を受ける態勢はできあがっていましたので、殺す必要はないです。母や妹は、7年間会っておらず、居場所もわかりませんでした」

 と述べた。事件後、家族は面会に来ていないという。

「面会には1人も来ませんし、手紙もありません。寂しい。悲しい。しかし、これだけのことをしたのだから、見放されても仕方がない。本当に申し訳ない。自分の存在があったことを忘れて生活をしてほしい」

一部の被害者には深い後悔を持てません

 白石被告自身は親族を思う気持ちがあるようだが、一部の被害者や遺族に対しては、同情心や共感的な態度はないようだ。

「正直、一部の被害者には本当に後悔しています。しかし、一部の被害者には深い後悔を持てません。(後悔の感情を)持てているのは、AさんとEさん(当時26、女性)、Fさん(当時17、女性)、Iさん(当時23、女性)です。その違いは、過ごした時間の長さと、家庭環境。逮捕につながったかどうかです。ただ、自分でも家族が同じことをされたら、殺した人間を執拗に追い詰め、殺していただろうと思います。

 一部の人には、どこかのタイミングでしっかりと謝罪をしようと思っていました。私が起こした行動によって、命を奪ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。大人しく、罪を認めて罰を受けようと思います」

 また、検察官にEさんの元夫が傍聴に来ていると告げられた。Eさんと元夫との間には子どもがいた。

「まだ未来のある子どもさんに、しっかりと母性を伝えることができない状況にしてしまい、申し訳ありませんでした」

育て方が悪かったの?何故こんなこと出来るの?」母親の悲痛な叫び

文春オンライン 2020年11月27日(金)12時12分配信/渋井哲也(ジャーナリスト)

 11月26日、2017年に神奈川県座間市のアパートで男女9人が殺害された事件の裁判員裁判が結審した。検察側は死刑を求刑した。強盗、強制性交等殺人などで起訴された白石隆浩被告(30)の被告人質問を聞いていると、自身と、被害者の母親に関するエピソードがよく出てきた。

 改めて、法廷でのやりとりを振り返る。

母親が心配しているという言葉を聞いて

 まず、殺害をしなかった女性3人のうち、Yさんは、「母親が心配している」と言ったことで、白石被告は実家へ帰宅することを許している。

 実は、6人目の被害者だったFさん(17歳、女性)も「母親が心配している」と言って、白石被告のアパートから帰ろうとしていた形跡がある。しかし、白石被告もFさんも寝てしまい、最初に白石被告が起きる。そのとき、Fさんが寝ている顔をみて、性欲が増したことから、レイプして殺害することを思いついたという。もちろん、月5000円でもいいから、お金を引っ張れるのなら、生かしてヒモになることを考えていた。ただ、「母親が心配している」という言葉を聞いて、女性を自宅に帰そうとする心情が湧いた。

 一方で、同じように「帰るかもしれない」と思ったEさん(26歳、女性)は殺害している。元夫とのやりとりのために、白石被告の部屋を何度も出入りしていた。Eさんからは、「夫とうまくいっていないことや、他にも彼氏がおり、その彼氏ともうまくいってないということを聞いていた」というが、実際には離婚をしていたので「元夫」になるし、彼氏がいたとしても不思議ではない。「子どもがいると聞いていたか?」と問われると、白石被告は「話が出ていない」と答えた。つまり、Eさんの母親の話と、Eさん自身が母親であることについての会話はなかった。

母親母性へのこだわりがある?

 白石被告は「深い後悔がある」として4人の名前をあげたが、その一人がEさんだ。帰ろうとしていたときに、もし、いずれかの話があれば、殺害しなかったのだろうか。

 検察官は、Eさんの元夫への謝罪を促されたとき、白石被告は「まだ未来のある子どもさんに、しっかりと母性を伝えることができない状況にしてしまい、申し訳ありませんでした」と述べた。わざわざ「母性」という言葉を使った。白石被告は、「母親」や「母性」へのこだわりがあるのかもしれないと筆者は感じた。

母親とは7年間会っていない

 事件発覚から公判が始まるまで、少なくとも、報道レベルでは、母親の姿のイメージができない。ただ、拘置所での面会では、多少母親のことを聞くことができた。中学では塾に通っていたが、その理由は「親に言われてなんとなく」だと語り、筆者が「どちらか?」と聞くと、「母親です。父親は仕事中心で、子育ての時間はなかったです」と答えている。そして、思い出としては「料理」を挙げていた。

 そんな母親とは7年間会っていない。白石被告が卒業後、スーパーに就職したことで一人暮らしを始めた。その後に両親は離婚することになる。

 白石被告の逮捕後、家族から手紙が届いたことはなく、面会に訪れたこともないという。

「寂しいし、切ない。しかし、これだけのことをしたのだから、仕方がない。本当に申し訳ないことをした。自分の存在があったことを忘れて生活をしてほしい」

 白石被告は父親とは不仲で、そのために一人暮らしをしたといっても過言ではない。家族からの手紙がなく、面会にもこないがないことへの感情的な吐露は、母親を念頭に置いた発言ではないだろうかと筆者が思うほどだ。そんな母親の供述調書の一部を抜粋する。

◆ ◆ ◆

 平成元(1989)年に夫と結婚し、平成2(1990)年10月9日、隆浩を出産しました。3086グラムでした。隆浩という名前は、いろいろな本を読んで、画数などから決めました。初めての子育てでした。幸せに暮らしていました。

 平成4(1992)年に長女を出産。手狭になったために、座間市内に家を買いました。年に1回は家族旅行をしたり、実家に行ったりしました。自由に物事を考えてもらいたいと、過剰には干渉しないようにしました。そのため、わがままに育ったかもしれません。言うことを聞かなくても、手を挙げることはしていません。

 5歳のとき、幼稚園に入りました。活発な子と比べると、内気でしたが、友達はできました。サッカークラブに入りましたが、ボールを回してもらえないため、1年でやめました。いじめがあったわけではありません。

 小学校の低学年では扁桃腺の病気があり、月1回は熱を出し、病院に行っていました。大人しい性格で、内弁慶でした。ただ、学校の出来事は話してくれました。小学校入学のとき、テレビゲームを買ってあげました。当時は1日2時間。ゲームに夢中でした。何度も注意しました。しかし、外にも遊びに行きました。

 小学校のころはよく外で走り回っていました。低学年のうちに、高学年で習う漢字を知っていました。ゲームの攻略本を読むのに調べたと言っていました。国語だけ、成績がよかったです。クリスマスや誕生日にも新しいゲームソフトを買ってあげました。

 中学に入ると、ゲームの時間が守れなくなりました。しかし、注意をすると、最終的には言うことを聞いていました。野球部に入りましたが、1年でやめました。大人しいので個人競技が、向いていたと思います。このころ、学習塾へ行きましたが、1年も経たずに行かないようになり、やめてしまいます。

 中3になると、成績は中の上。しかし、もともと勉強好きではないので、塾をやめると、成績は下位になりました。仲の良い子とはクラス分けで別々になり、この頃から、「学校へ行きたくない」「気が強い人ばかりなので合わない」と話し、不登校になりました。食事のとき以外は部屋に閉じこもるようになりました。必要最低限の会話のみになりました。

 高校受験は、大学を目指してもらいたかったのですが、少しでも就職に有利な学校へ行きました。家では、学校のことを話さなくなりました。高校ではクラブ活動に入ってないと思いますが、刑事さんから「柔道部に入っていなかったか?」と聞かれました。柔道着を持ち帰って来たことは記憶しています。体育で必要だったと思っていました。

 このころ、「高校はレベルが低い」「クラスメイトがだらだらしているからつまらない」といい、楽しい学校生活ではないようで、休みや遅刻が多くなってきていました。

 家にいるときはゲームをしていました。部屋は散らかっていました。ゲームの時間制限と部屋の掃除を約束したのですが、約束が守れないので、何度も注意しました。すると、「今するところだったのに、やる気がなくなった」と言い、人からの干渉を嫌っていました。

 何度も言っても言うことを聞かないと、夫が注意していましたが、言ってもゲームをやめないことがありました。そんなときは、ブレーカーを落とし、ゲームをやめさせました。隆浩は、部屋の壁に穴をあけるほど、激昂しました。夫とは会話がなくなっていきました。ただ、いつか親の言っていることをわかってもらいたいとは思っていました。

 高校時代はスーパーなどでアルバイトをしていました。スーパーはサミットです。卒業後、就職をしましたが、学校推薦では就職できませんでした。休みや遅刻が多かったからです。

 そのため、バイトをしていたサミットに就職しました。本意でなかったかもしれません。

 しかし、私も夫も安心しました。

 卒業するまでに家出を3回しています。北陸、山陰、北海道。山陰に行ったときは、電車賃を持っておらず、夫が迎えに行きました。このころ、ケータイで自殺系サイトを見ていました。自殺するために家出をしたのではないでしょうか。数日間で帰宅しました。「どうでもいい」「生きていてもしかたがない」と口にしていましたが、突発的に死にたいと思ったのではないでしょうか。「そんなことをしたらだめだよ。生きてさえいれば、いいことはあるよ」と言いました。自殺未遂や自傷行為は見たことはありませんが、練炭自殺のグループに行ったことがあると言ったことがありました。

 サミットでは、ベーカリー部門の担当になりました。××店だったので一人暮らしをしました。不器用でむいていないのではないかと思いましたが、応援していました。この頃、私は夫と別居することを考えましたが、隆浩には相談していません。

 夫は「隆浩のことは俺に任せてくれ」「連絡は取らないでほしい」と言っていました。連絡をとると、私にお金を求めることが予想されたためです。たしかに、連絡がありましたが、私の口座から隆浩の口座に振り込んだこともあります。先輩との付き合いだ、と言っていました。その後は、連絡をとっていません。

 一緒に住んでいたことを考えると、このような事件を起こすとは信じられない。なぜか知りたいです。育て方が悪かったの? なぜこんなことができるの? ご遺族に謝っても謝りきれない。

◆ ◆ ◆

猟奇性の根源を探ることができない

 白石被告は、11月24日、母親の供述調書が読み上げられたことについて、「今はそのこと(母親の供述調書)で頭がいっぱいです。本当に迷惑をかけたんだな」と話した。母親のことになると、いろんな感情がめぐったのだろう。

 ただ、調書など明るみに出た情報では、白石被告の猟奇性の根源を探ることができない。問題にするほどの親子関係でもない。精神鑑定をした精神科医は、父親とは面会しているものの、母親とはしてない。

 弁護側は、11月26日の最終弁論にて、白石被告が母親や妹と面会してないことを指摘した。鑑定書の欄には「家族歴」がなく、証拠提出されていない「メモ」があるだけで、検証可能な方法になっていないとして、精神鑑定に疑問を投げかけている。

 座間9人殺害事件公判で振り返る「死にたい若者たち 

文春オンライン 2020年11月28日(土)6時12分配信/渋井哲也(ジャーナリスト)

悪魔の所業」「同じ人間として許せない法廷に響いた遺族の涙の声

 神奈川県座間市のアパートで男女9人が殺害された事件の裁判員裁判が11月26日、結審した。強盗、強制性交等殺人などで起訴された白石隆浩被告(30)の被告人質問を、被害者遺族たちも傍聴席で聞いていた。

 報道記者席や一般傍聴席との間が遮蔽された遺族席が設けられ、涙でかすれる声や怒りの声が漏れ伝わってくる場面もあった。遺族の中には、意見陳述をする人たちもいた。その一部を紹介する。

他人事のように話す白石被告への怒り

 まず、最初に殺害されたAさん(当時21、神奈川県)の母親は証言台で話をした。白石被告との間にも遮蔽物があり、声だけを聞いている状態だ。傍聴席からは曇りガラス越しに姿を確認できる程度だった。他人事のように話す白石被告への怒りが伝わってきた。

◆ ◆ ◆

 あの日から3年の月日が流れました。しかし、私たち家族の中では、時が止まったままです。娘は責任感が強く、思いやりのある子でした。ただ、思春期の頃から、精神的に不安定になり、通院や入退院を繰り返していました。娘なりにバランスを保とうと努力していました。そんな中で、仕事を続けながら、パソコンの資格を取りました。正社員を目指し、5月ごろから準備をしていました。信頼できる人と出会い、生活をすることを望んでいましたが、身勝手な被告人に命を絶たれました。娘が味わった苦しみ、痛みを思うと、引き裂かれる思いで、娘のことを思うと、無念でなりません。

 私がもっと娘の話を聞いたり、寄り添っておけばよかったのかとも思います。私たち家族は何一つ心が癒えることはありません。当たり前の日常は取り戻せない。加害者には、憎しみや怒り、悔しさが湧き上がってきます。報道関係者の取材や裁判では、他人事のように話しています。

 しかも、報道では、娘の名前、顔、生活の一部が書かれました。マスコミが押しよせてきました。数日間は恐怖で仕方がなかったです。現実がなかなか受け止めきれない思いで、被害者の中に娘がいることが夢であってほしいと思いました。加害者には、同じような苦しみや痛みを味わって欲しい。

 死刑が執行されるまで、人権を守られて生活をすると思います。しかし、娘が戻ってくることはありません。21歳という短い人生を、身勝手な犯人に奪われました。強い憤りを抱きました。死刑をもって償ってほしい。

◆ ◆ ◆

同じ人間であることが許せない

 続いて、Aさんの兄が意見陳述をした。振り絞るように、妹との思い出を話した。

◆ ◆ ◆

 妹が亡くなって数年が経ちましたが、今でも妹のことを思い出します。優しくて、嫌なことでも文句を言わずにしていました。2人で出掛けたことを思い出します。妹は楽しんでいました。お世話になった人へのプレゼントをあげることもあり、私ともプレゼントを贈り合っていました。喧嘩もしましたが、仲が良かったと思います。

 裁判では、犯人が第三者のように質問に答えているのを見てびっくりしました。妹は本気で死ぬ気がなく、頑張ろうとしていたことがわかりました。平気でいる犯人が同じ人間であることが許せない。一刻も早くこの世から消えていただきたい。

◆ ◆ ◆

棺のなかの姿はもはや人のものとは思えず……

 Aさんを殺害した証拠を隠滅するために殺害されたCさん(当時20、神奈川県)の父親も陳述した。口封じのための犯行を「悪魔の所業」と話していた。

◆ ◆ ◆

 私たちは、息子がいなくなったとき、時間が許す限り、探し続けました。私立探偵を雇い、借金までしました。事件の一報を知りましたが、まさかとためらっていました。自分自身が不安定になりましたが、仕事の終わりに高尾署に電話をしました。息子の存在が分かり、血の気がひきました。何も考えられなくなりました。残忍な犯行と残虐な内容。私たちは衝撃を受けました。

 息子を引き取りましたが、棺のなかの姿はもはや人のものとは思えず、本当に息子かと信じることができませんでした。あまりの衝撃に麻痺をしていましたが、自宅に戻って、一気に感情が吹き出しました。

 もっと、音楽をよりどころにしていた息子の人生を理解してあげればよかった。一生懸命にギターの練習をしていました。息子の参加したライブの映像をみることができましたが、いきいきと輝いている息子が映っていました。勤めていた施設の利用者にギターを聴かせようと出勤していたこともありました。最初は、息子が音楽で生きていこうとすることを理解できずにいました。しかし、本気なら理解しようと思っていましたが、もう叶いません。

 犯人は絶対に生かしてはおけない。息子は、一時的に、「死にたい」と思うほどの苦しみを抱えていたと思います。しかし、死ぬことをやめ、生きることをあきらめていなかったのです。被告人は、事件の発覚をおそれ、口封じのために殺害し、遺棄しました。人の未来を奪った悪魔の所業です。絶対に許すことはできません。生かして、再び社会に放って欲しくはない。極刑を希望します。

◆ ◆ ◆

被告人は今でものうのうと生きています

 同じくCさんの母親も意見を表明した。高尾署で遺体を見た時のショックは言葉にできないほどの悲しみだったという。

◆ ◆ ◆

 息子は優しく、繊細でした。ゆえに、悩みを抱えましたが、その都度、家族はサポートしましたし、職場の方も支えてくれました。そのことに早く気がつかせ、救ってあげられればよかったと後悔しています。

 次男を出産したとき、息子がポケモンを差し出し、「これをあげる」と言ったときのことを思い出します。

 とても可愛かった。それが目に焼き付いています。息子は、私にとって、愛おしい存在です。もうその表情を見ることができないと思うと、心の中が空っぽになりました。

 事件前、息子は病気になりました。入院し、治療を受けていました。入院中の様子を見ていくと、順調に回復していました。入院前と変わらない生活が送れる、日常に戻れると信じていました。

 行方不明になったとき、思いつく限りの場所に行き、探しましたが、8月29日、あの日から息子の姿をみることができなくなりました。事件が発覚し、数日後に高尾署へ行きました。あの姿をみて……(涙声で聞き取れない)……大切な子……(同)……胸が引き裂かれる思いです。

 生きていこうとした息子を騙し、犯人の身勝手な理由のために殺されましたが、どれだけ無念だったことでしょうか。息子の人生はたった20年で終わらされました。しかし、被告人は今でものうのうと生きています。これからつながっていただろう命、人生も奪われました。どれだけ罪深いことなのか。極刑をもって、この世から消えて欲しいです。

◆ ◆ ◆

証言の最中に白石被告はうなだれた

 ヒモになろうと思ったYさんをカラオケボックスで待たせている最中に、白石被告は、アパートに呼んだDさん(当時19、埼玉県)を殺害している。そのDさんの母も話をした。DNA鑑定で、身元が特定できたのは、Dさんの誕生日だった。

 この証言の最中、白石被告はうなだれた。刑務官に取り囲まれているために、傍聴席から白石被告の様子が見えにくい。凝った肩を動かしたり、深呼吸をしたり、机の上のノートや資料を見たり、だるそうにすることは公判ではよく見かけたが、うなだれる姿を筆者は見たことがなかった。

◆ ◆ ◆

 小学校ではクラブ活動や宿泊学習でのキャンプファイヤー係になり、がんばっていました。中学校ではクラス対抗の合唱や委員会活動を頑張っていました。教員になりたいと思ったのもこの頃です。高校受験の面接で、部活をやり直したいと言っていた通り、3年間、演劇部で頑張っていました。

 大学入学後、ともだちと泊まりがけで遊びに行ったこともあります。成人式の準備もしていました。年越しのカウントダウンのイベントも楽しみにしていました。しかし、約束を果たすことなく、19歳9ヶ月でこの世を去りました。

 娘が行方不明になって事件発覚までの数ヶ月、昼夜問わず探し続けました。結局、見つけることはできませんでした。DNA鑑定で娘であると分かっても、すぐには受け止められませんでした。対面できた日は、娘の誕生日でした。変わり果てた姿でした。声をかけたのは、「誕生日、おめでとう」ではなく、「やっとみつけられた」「ずいぶん探したよ」ということでした。どれだけ苦しい思いをしたことでしょう。

 被害者が特定される前に、マスコミの報道が過剰になりました。インターホンを押されたり、家族だけでなく、近隣にも迷惑をかけました。実名報道を控えて欲しいとお願いをしましたが、無視されました。なぜ、被害者だけが苦しまなければならないのでしょうか。

 被害者は自殺願望があり、自ら犯人に接触したと言われていますが、間違っています。娘はこれまでも悩みを抱えてきましたが、一つ一つ問題を解決してきました。事件の直前、成績に悩んでいました。しかし、娘がこのような小さなことで希死念慮を抱くはずがありません。

 大学から面談通知が来ていました。両親とともに呼ばれていたため、「留年が決まったわけじゃない。きっと避けるためのヒントをくれるんだよ」と諭すと、娘も納得していました。生きてさえいれば解決できた悩みです。少し、気が重かっただけで、逃げたい、話を聞いて欲しいとツイートしただけと思います。

 被告人のように悪意があり、下心をもって近づいてくる人がいることを知らなかったのです。なぜ、19歳で殺されなければならなかったのでしょうか。娘は、夢や希望、未来の全てを奪われました。

 被告人は、女性に会い、ヒモになれるかを判断し、ヒモになれないとレイプし殺害しました。犯行を重ねるたびに目的が変化していき、異常な性欲を満たすことが多くなり、殺害までの時間が短くなっていきました。そして、次第に殺害や解体に慣れていったのですが、裁判では「記憶がない」と繰り返すばかり。「悩みを深掘りした」というが、内容を覚えていない。身勝手な通り一遍な発言を繰り返しました。

 被告人は、娘のことを「無口な人、職業のことしか聞き出せなかった」と言っていました。無口なのは、心を許していないからで、警戒をといていないからです。

 今でも19歳の娘が心の中に生き続けています。時々、家の中で娘の気配を感じます。「ただいま」「おなかすいた」と帰ってくるような錯覚をすることもあります。寂しさに耐えきれず、涙が止まらなくなることはあります。生きている限り、こうした感情が続くのでしょう。どうか、娘を返してください。娘との幸せな生活を戻してください。私たちの願いはそれだけです。それが叶わないなら、重い罰を受けてください。

 娘を殺害した被告人には、極刑が下ることを信じています。娘を思い、自分たちを振り返る3年間でした。私たち遺族を支えてきた方々には感謝します。

◆ ◆ ◆

捕まらなければ、後悔していません

 こうした遺族の意見を聞いて、白石被告はどのような心境になっていたのだろうか。翌日の被告人質問では、弁護側から「一連の事件について後悔しているか?」との質問がされた。白石被告は「結果として捕まってしまったので後悔している」と答えた。

 これまでに話をしていないことがあるかを問われても「これまでに話した通りです」と、あっさりした反応だった。検察側の質問にも「捕まらなければ、後悔していません。捕まったら失敗したことになると思った」と、それまでと変わらない言動に終始していた。

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