東日本大震災

2021年3月12日 (金)

【東日本大震災から10年】津波や原発事故が世界に齎したもの

海外メディアえた東日本大震災10年津波福島原発事故世界もたらしたもの

HUFFPOST日本版 2021年3月12日(金)14時49分配信

福島原発事故に焦点を当てトップニュース級

 2011年3月11日、世界中の一面は、東日本大震災だった。2021年、世界のメディアは3.11の10年を伝えた。その中でも、東京電力福島第1原発の事故に焦点を当てトップニュース級に扱っているメディアもあった。

 フランスやドイツでは、福島原発事故に焦点を当てトップニュース級に扱っているメディアもあった。

 ドイツのテレビ局ZDFは、東日本大震災での原発事故を契機に、変わったドイツの原発政策の現状を震災報道に絡めて報道した。ドイツでは、東日本大震災を受け、脱原発に切り替えた。17あった原発は現在6機のみ稼働し、2022年までに全原発を停止する。

 ZDFの報道の中で、連邦環境相のスベーニャ・シュルツェ(Svenja Schulze)氏は「原子力の利用を止めるのは絶対に正しい決定だった。多くの国が続いてソーラーや風力など、全ての自然エネに転換することを望んでいる」と述べた。

 さらに、ドイツの危機管理が刷新され、緊急事態計画に原発事故対策が盛り込まれたことを紹介。避難場所を増やし、数百万人分のヨード剤を準備している。

 最後に、「脱原発にはコストもかかる。ドイツでは、放射線廃棄物の最終処分場などの費用のため1700億ユーロが予定されている」と締め括った。

 東京電力福島第1原発の事故はドイツ国内にも大きな衝撃を与えていた。事故直後、メルケル首相は、稼働停止時期にきていた古い原発7基の即時3カ月間停止と全原発の徹底的安全検査を指示。その後、世論の後押しもあり、メルケル首相は、2022年までに全原発の稼働を停止すると決定している。

 また、同じようにトップ級のニュースとして報道したのは、フランスのテレビ局フランス2だ。

 津波に襲われた宮城県石巻市に続き、福島で住宅がなお立ち入り禁止区域のため、今も避難を余儀なくされている住民を取り上げた。

 重点的に取り上げたのは、原発のその後だ。

フランス:福島第一を受けた安全対策整備は2035年

 フランス2では、「発電所では、今も4000人も作業員がデブリ800トンの取り出し処理に当たっており、それはあと何十年も続きます」と福島第一原発の現在の様子と、処理完了までの具体的な年数を明らかにせずに伝えた。

 フランスの発電量の7割は原発だ。ニュースの中で「福島第一原発の事故の衝撃は、世界中に原発の議論を巻き起こした」と、原発のあり方について、隣国のドイツの脱原発政策に触れた。

「津波から数日後、メルケル首相は、脱原発を宣言しました。その宣言は守られる予定です。来年には最後の原発が解体される予定です。ドイツでは冷却塔を壊す様子が見られます」

 この10年、原子力による発電量が22%から11%に半減したドイツだが、温暖化ガスの放出については「再生エネ、特に、風力を増やしていますが、まだ不十分で二酸化炭素を排出する石炭発電が35%を占めている」と触れた。

 フランスでは、福島第一原発事故を受けた安全対策整備が全て終わるのは2035年とされている。

BBC「想定を超えた津波とする東電を指摘

 フランス紙のルモンドは「フランスでは、安全措置が2035年までに実施されるわけではない」と題して報じた。

 福島を襲ったのは、高さ15メートルの巨大津波で、想像を絶するものだった。福島は私たちに想像を絶するものを想像し、それに備えなければならないことを示唆した、として現状の安全措置として、最後の頼みの綱となる非常用発電機を設置することになったことを紹介した。

 また気候危機の中で、原発がおかれる状況についても触れた。

 イギリスBBCも、地震と津波、原発事故を「3重の災害」として、津波に襲われた町の現状に加え、原発について報じた。

 津波の規模は「想定を超えるもの」と東京電力は説明したが、実際には責任があったことを振り返った。

 その中で、地下に設置された発電機は津波対策がないまま浸水して、動かなくなった状況を詳報。アメリカから初めて輸入した福島第一原発について、東電が設計やその他の扱い方について基本的知識を欠いていたという鈴木達治郎教授(長崎大)の指摘を伝えた。

総額約32兆円、国民1人あたり25万円の復興予算

 アメリカCNNは、津波に襲われた宮城県石巻市で木にしがみつき生き延びた人の振り返る記事や、福島で立ち入り禁止区域で、野生化した動物やそれを気遣う人の生活について取り上げた。

 ウォール・ストリート・ジャーナルは、「津波と福島原発で、これまでに約3,000億ドル(約32兆円)の費用がかかった。国は10年間で4回の復興予算を拡大し、津波に見舞われた東北地方を復活させ、原子力発電所の放射線を軽減するために、日本の一人当たり2,400ドル(約25万円)の負担をしいている」と伝えている。

 東日本大震災被災者が明かすいらなかった支援物資”」 

NEWSポストセブン 2021年3月12日(金)19時05分配信/佐藤一男(防災士)

 いつ大きな地震が発生するかわからない日本列島。東日本大震災の経験で得た教訓を今後に活かしていかなくてはならない。

 被災して避難生活に入ると、いろいろと足りないものも出てくるだろう。しかし、実際に避難生活を経験しないと、何が必要で、何が必要でないかはわからないものだ。

 避難所生活中、全国からさまざまな物資が届く。しかし、なかには送られてきて困ったものもあったという。避難所生活で本当に役立ったものを、陸前高田市で被災した防災士の佐藤一男さんに聞いた。

助かったもの

タオル

「体を拭く、枕やアイマスクにする、羽織って防寒対策、広げて吊るせば目隠しになるなど、多用途に使えるので、タオルは大中小、何枚あっても困りません」(佐藤さん・以下同)

 手ぬぐいなど生地の薄いものならマスク代わりにもなる。防災袋に入れるときは、圧縮袋を使えばコンパクトになるのでおすすめ。

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寝間着・ゆるい衣類

 避難所では、一日中同じ服装で過ごすことになるため、寝るとき用のゆるい衣類が手に入ったときはうれしかったという。

「洋服のまま寝るのって、想像以上に窮屈なんですよね。ウエストがゴムになるだけでも、横になるときラクですよ」

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おもちゃ・漫画など娯楽品

「娯楽品は、命にかかわるものではないので、支援を受ける側からは“欲しい”とは言いづらいんです。それだけにおもちゃが届いたときは、本当にありがたかった。子供たちのいい気分転換にもなり、特に家族でできるトランプは重宝しました」

模造紙+フェルトペン

「物資の配布など、避難所内で決まったことは、毎日同じ時刻に発表するようにしました。その際に活躍したのが模造紙とフェルトペン。アナログではありますが、身近な人に最新情報を伝えるのに紙とペンは必要不可欠でしたね」

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マスク

 避難所では風邪が一気に蔓延する。コロナ禍にかかわらず、感染症対策としてマスクは必須。

「避難所の建物は天井が高く、乾燥しがち。のどを痛めると風邪を発症しやすいので、寝るときもマスクをした方がいいですよ」

あったらよかったもの

 水+塩or梅干し

「汗をかいた後は、水だけ飲んでも体内の塩分濃度が下がってしまい、すぐに喉が渇いてしまいます。貴重な水分を体の中にとどめておくためには、塩分が大事だと実感。避難所では調味料の入手が難しいので、自前の防災袋には500mlの水3本と、塩や梅干しを入れています」

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エアマット

 避難所の床は硬くて冷たい。何も敷かずに寝ると、床の冷気で体が冷える。

「特に高齢の両親は、避難所の硬い床で寝るのがつらそうでした。空気で膨らませて使用するエアマットがあったらよかったなと思いました」

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いらなかったもの

 手回しラジオ

 ハンドルを回すことで電気を発生させ、ラジオが聞ける手回しラジオ。

「電池がなくても使えるので、防災グッズの定番ですが、ハンドルを回し続けないといけないので疲れるし、回す音がうるさくてラジオが聞こえないなどの理由で不評でした」

 セット売りの防災袋

「市販の防災袋が個人から届けられましたが大半の水や食料は賞味期限切れ。買って満足せず、年に一度は中身の確認をした方がいいと実感。また、自分に必要なものが入っているわけではないので、使いこなせませんでした」

 韓国の「大地震を共に克服」哀悼の意に対し日本は「被災地の農水産物輸入制限は遺憾」と表明 

Wow!Korea 2021年3月12日(金)21時42分配信

 韓国政府が、東日本大震災被害10周忌を迎え、お見舞いのメッセージを送った中、日本政府側で「福島産食品の規制」の遺憾の立場を表明した。日本側のこのような発言は、悪化の一途を辿っている日韓関係を示しているという評価が出てくる。

 今月10日、チョン・ウィヨン(鄭義溶)外交部長官は、東日本大震災10周忌を迎え、茂木敏充外相へ、お見舞いのメッセージを送った。カン・チャンイル(姜昌一)駐日韓国大使も11日、日本国民にビデオメッセージを送り「東日本大震災で犠牲になったすべての方々と遺族の方々に、哀悼の意を捧げるとともに、復旧のために力を尽くしてくださった日本政府と東北地方の住民の皆さんに深く敬意を表する」と述べた。

 これと共に、これらの困難を克服した隣国として、未来志向の発展のために努力しようと述べ「関係改善」の話しを切り出した。これは最近、ムン・ジェイン政府が明らかにした前向きな日韓関係改善の意志表明の延長線上で出てきた発言だ。

 未だ日本政府は沈黙状況である。日本政府は、韓国最高裁判所の徴用工問題と慰安婦関連の賠償判決において、韓国政府が具体的な解決策を提示しなければならないという立場を重ねて強調している。このため、韓国側の提案があるまで、日本政府が日韓首脳級対話を意図的に先送りしているという報道も出た。

 8日、読売新聞は「韓国政府が慰安婦と徴用工問題の解決策を用意するまで、日本政府は、カン駐日韓国大使と会わない」と報道した。これだけでなくチョン外相就任後一か月が経ったが、日韓外相の通話は行われていない。

 このような状況の中、日本当局の間で、韓国政府の「福島産食品の規制」の遺憾表明が出た。まず4日、平沢勝栄復興大臣は「今、福島県を含め、日本の一部の地域でとれた農水産物の輸入停止・制限措置を続けている国家、地域があるのは遺憾」とし「韓国の輸出規制は、偏見に起因したもの」と主張した。

 11日、茂木敏充外相も談話を発表し、「地震から10年が過ぎても、日本食品の輸入規制をする国家や地域があることは非常に残念に思っている」と述べた。相星孝一在韓日本大使も「日本産食品について、世界的に厳しい基準を導入し、徹底した食品検査を実施しており、安全性が証明された食品に限って流通している」とし「残念ながら、韓国では輸入規制が続いている」とした。

 しかし、日本国内でも、安全性の議論が消えない状況で、日本がこの問題を公論化する場合、両国関係はなお厳しい状況になるという分析が出ている。

 セジョン(世宗)大学の保坂祐二教授は「日本が現在までの立場を、東日本大震災被害10周忌を迎え、繰り返したものとみられる」とし「ただ、日本が輸入規制をする国々があるのに、唯一韓国だけ、このような立場を明らかにしたならば、日韓関係を悪化させることになり、懸念される」と指摘した。

 また、福島原発事故原子炉の冷却過程で発生する処理水を、海に放出する、別名福島原発処理水(汚染水)対策にも、日本政府が国際原子力機関(IAEA)と協力するという立場であり、この部分の議論も予想される。

 「震災伝承」広め未来へ活動続けることの大切さ 

SciencePortal 2021年3月12日(金)18時16分配信/武田真一(宮城教育大特任教授)

 東日本大震災は戦後起きた自然災害で最大の犠牲者を出してしまった。1万6000人近くが亡くなり、行方不明者は2500人を超える。「あの時」から10年。沿岸部の被災地には新たな防潮堤が、高台には災害公営住宅が建った。その一方で、時間が止まったまま、いまだに帰りを待ちわびる家族がいる。犠牲になった人の数の何倍も何十倍も悲しい物語がある。

 多くの被災者は「10年」は節目でも何でもないと言う。そして忘れられない、忘れてはいけない記憶を伝え続けてほしいと言う。大震災当時、仙台市に本社を置く新聞社、河北新報社で震災報道の陣頭指揮を執り、今は宮城教育大学の特任教授として、同時に「3.11メモリアルネットワーク」の共同代表として、「震災伝承」活動の大切さを説く武田真一さんに聞いた。

防災報道、「役に立たなかった」を反省

― どのような経緯で震災伝承の活動に携わるようになったのですか

 10年前は河北新報社の報道部長として大震災を伝えることに必死だったのですが、私の新聞社の発行地域で多くの人が命を落としたことに衝撃を受けました。それまで宮城県沖地震が「30年内に99%の確率で起きる」と言われていましたから、防災報道もしていました。しかしあまりに多くの犠牲者の数に愕然としました。

 大震災の半年後に被災した購読者を対象にアンケートを実施し、「震災前の防災報道は避難に役に立ちましたか」と尋ねたところ、実に4分の3の人は「役に立たなかった」という答えでした。メディアとして何か震災前にできることはなかったのか、救える命はあったのではないかという自身への問いかけ、後悔、反省がありました。

 新聞社内で別な取り組みが必要だと思い、翌年の2012年から記者が被災地の地域に入って被災者に必要な対策などを聞き、語り合う試みを始めました。16年には社内に専門の部署「防災・教育室」もできました。新聞社でそうした取り組みをした後、2年前に退職し、大学教員として教員を目指す学生と震災を考える場に入りました。

 大学では、大震災に関連したゼミや全国の教職員を対象にした被災地視察研修などを担当しています。また、被災地に立って被災体験や教訓を語り続ける語り部と伝承団体とを連携させる「3.11メモリアルネットワーク」のお世話をしながら持続的な伝承活動の仕組みづくりに取り組んでいます。

「草の根」でつながって持続的に

―「3.11メモリアルネットワークはどのようなことをしている組織ですか

 伝承活動をしている団体や語り部が「草の根」でつながって持続的に活動していくことを目的とする組織で、私が共同代表をしています。2017年の暮れに石巻市で伝承活動していた人たちが中心になってできました。現在では被災各県の組織・団体が約70、個人として約500人が参加しています。原発事故被災の福島県の活動も含めて連携して伝承活動を続けていこうというものです。

 この活動は、災害で命が失われないような社会、被災地、被災者が苦難を軽減して再生に向かえる社会、そうした社会づくりに「伝承」を通じて貢献することが目的です。被災者の辛い体験、それは数えきれませんが、その一つ一つが具体的な、貴重な教訓になるのです。私たちはもっとそうした体験を聞くべきだと思います。

 たくさんの教訓を広く伝えるために、次世代を軸にした語り部の人材育成、共同イベントの企画、伝承のための研修プログラムの作成などにも取り組んでいます。年間1000万円程度の基金を確保し、活動助成もしています。

 私たちの組織のほかに、国土交通省東北整備局が中心になって2019年秋に「伝承ネットワーク協議会」という組織ができました。青森県を含めて東北4県の担当部局、自治体の長や研究者も参加し、伝承を推進するための体制づくりが始まりました。具体的には伝承施設、遺構を登録し、道路管理者の立場からネットワークを形成する動きです。実働組織として「3.11伝承ロード推進機構」もできています。

資金と人材確保が大きな課題

―「3.11メモリアルネットワークの課題は何ですか

 震災復興の枠組みと方向を決めた政府の東日本大震災復興構想会議が掲げた7原則がありました。その「原則1」は「大震災の記録を永遠に残し、広く学術関係者により科学的に分析し、その教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する」となっていました。ここでは伝承重視、伝承こそが復興の起点であるとしています。しかし、被災地の伝承活動を支える動きは停滞していて、基盤はとても弱いです。伝承と言ってもその範囲はぼんやりしていて所管官庁が明確でないということもあります。

 支える仕組みを皆で考えていかなくてはならないのが現状です。資金的に活動基盤が弱く継続に不安を抱えています。復興予算による伝承施設の整備には資金が出ましたが、維持費は地元負担です。料金をもらっているところでも赤字のところが多く、資金の確保は今後の運営継続上の大きな課題です。個人や企業からの寄付を基に運営しているものの、この先どうなるか不安です。会員を増やしたいと思っていますが、安定的な運営のために是非公的支援を求めたいと思います。

 それぞれの伝承施設、活動の連携をどう進めているかも課題です。伝承する人も自分の仕事を抱えながらボランティアで動いています。自己資金と各種の助成金をよりどころに活動しているのが現状です。高齢化や若者の流出もあって将来にわたる人材の確保も大きな課題です。

体験しなかった人も担い手にしたい

― コロナ禍の影響はありますか

 私たちの調査によると、昨年の前半に震災視察訪問をした人は前年比で95%減。昨秋には少し盛り返しましたが、年明けには首都圏などに緊急事態宣言が再び出てキャンセルが相次ぎました。震災学習プログラムを持つ22団体では昨年1年間のキャンセルが4万人に及び、伝承施設の訪問者は3分の2になってしまいました。

― 大学の教員として日常的に学生と接していますね若い人の伝承に対するモチベーションは高いですか、低いですか

 私の知る限り多くの若い人は高いと思います。私の大学では教員を目指している学生や被災県の出身者が多いので、10年前に起きたことを見つめ直してきちんと伝える役割を担いたいという学生は多いです。でも全体を見ると東北地方でも日本海側や内陸の出身の学生が多く、被災地に一度も行ったことがないという学生もいます。8、9割はそういう学生です。

 彼らは「家族を亡くした学生もいるのに『3.11に向き合いたい』」などと言うのはおこがましいと思ってきた」「被災地に負い目もあった。それでもずっと気になっていた」と言います。自宅が揺れて停電した程度の経験であってもそうした経験をした学生は明確にその記憶を覚えています。

 ゼミでは「自分は伝承する立場にないという意識を変えていかなければいけないね」という話をしています。「たいへんな体験を語ることはできなくても、体験した人の語りに触れてそれを語り継ぐ人にはなれる。教員はそれをしていくのが務めだろう」。そんな話もしています。

 体験をした人だけに頼っていったら活動は衰退していきます。体験した人は自分自身の体験だけで終わってしまう。体験しなかった人がいろいろな体験に触れながら、それを整理していくことで、きちんと伝承する人になれると思います。そういう人から伝承を受け継いで担い手になっていくという意識を全国の人に持ってもらいたいと思います。10年前は「それぞれの3.11」がありましたから。

真の「復興」はまだこれから

― 大震災のあの時から長く復興を見てきた1人として現在の状況をどのように見ていますか

 ひと言で「復興」と言ってもどうとらえるかは難しいです。復興を行政、政治用語として「復興事業」ととらえれば予定、計画したことはその通りになりました。例えば、三陸自動車道は「復興道路」として10年以内にやると言った通り、大雨被害を受けた一部を除きほぼ全通。基本的に計画されたものは実行されているので行政、政治用語としての復興は予定通り進みました。

 しかし、復興を「被災した人たちが地域を作り直して自分たちも再生に向かう」という意味でとらえると、復興はまだまだと言わざるを得ません。私は復興とは、あの出来事を皆できちんと振り返って語り合い、そこから得られたものを教訓としてしっかり未来に伝え継ぐことだと思っています。このように復興を伝承ととらえると、10年で終わるはずはない。これからが最も大切な局面になると思います。

 阪神淡路大震災から今年の1月で26年が経ちました。今年もメディアが報道したのはまだまだ伝えきれないことがあるからです。東日本大震災については、個人の辛い体験を乗り越えて10年の時を経て今ようやく口を開いた人、とてつもない苦難を少し整理できて話し始めた人もいます。そう考えると復興はまだまだで、だからこそ伝承が大切なのです。

伝承と教訓の発信が最大の防災

― メディアの出身者としてメディアに、また最後に広く訴えたいことは何ですか

 大震災10年ということで大きく被災地報道をしてくれていますが、伝承を継承する重要性にももっと目を向けていただければと思います。メディアは伝承に重要な役割を果たします。記憶や教訓を伝え継ぐ活動そのものがメディアのリソースです。10年を過ぎて震災報道が急に下火になることを懸念しています。

 南海トラフ巨大地震への備えが叫ばれ、「防災」の名が付く予算がかなり使われていますが、直近の大災害である東日本大震災の伝承と教訓の発信こそが最大の防災になるのではないかと思います。

 

2021年3月11日 (木)

【東日本大震災から10年】羽生結弦✍1182字の「被災地への思い」

 羽生結弦被災地への思い全文 

日テレNEWS24 2021年3月11日(木)14時07分配信

何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。あの日のことはすぐに思い出せます。

この前の地震でも、思い出しました。

10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。

オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。

何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろうそんなことを考えると胸が痛くなります。

皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。

でも、たくさん考えて気がついたことがあります。

この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…

それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。

痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。

あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。

忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。

僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。

それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。

立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。

最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。

こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。

数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。

幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。

本当に、10年間、お疲れ様でした。

10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。

まだ、癒えない傷があると思います。

街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。

まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。

簡単には言えない言葉だとわかっています。

言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。

でも、やっぱり言わせてください。

僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。

頑張ってください

あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。

本当に、ありがとうございます。

僕も、頑張ります

2021年3月
羽生結弦

(原文まま)

 羽生結弦の2011年からの10年

 11年3月11日 アイスリンク仙台で練習中に被災し、スケート靴のまま外に逃げた。自宅は全壊判定、家族で避難所暮らしも経験。

 同4月 神戸でのチャリティー演技会で「白鳥の湖」を舞う。募金活動も。

 同11月 ロシア杯でGPシリーズ初優勝。

 12年3月 震災発生から1年の11日に「アイスリンク仙台復興演技会」に出演。17歳で初出場した世界選手権で銅メダル。

 同11月 宮城で行われたGPシリーズNHK杯で優勝。

 同12月 全日本選手権初優勝。

 13年12月 GPファイナル初制覇。

 14年2月 ソチ五輪で19歳で金メダリストに。

 同3月 世界選手権初優勝。

 同4月 仙台で凱旋パレード。9万2000人集まる。

 16年1月 復興支援を目的とした「NHK杯スペシャルエキシビション」が盛岡で開催。「天と地のレクイエム」を演じる。

 同12月 GPファイナルで男女通じて史上初の4連覇。

 17年4月 世界選手権はフリーで10・66点差を逆転し、3年ぶり2度目の優勝。

 18年2月 平昌五輪で男子66年ぶりの連覇。

 同4月 仙台で凱旋パレード。沿道に10万8000人。

 同7月 個人最年少23歳で受賞した国民栄誉賞の表彰式に地元の伝統織物「仙台平(せんだいひら)」のはかま姿で出席。

 20年2月 四大陸選手権を制し、男子初の「スーパースラム」を達成。

 ■ 宮城リンクへ寄付

 〇…宮城県のアイスリンク仙台が10日、羽生から211万6270円の寄付があったことをホームページで発表した。継続的に行われてきた自叙伝の印税の寄付の総額は、3144万2143円になった。同施設は「羽生結弦選手より今年もまた多額のご寄付をいただきました」と報告。「いつも地元仙台を深く愛され、また、『アイスリンク仙台』のことも、とても大切に思ってくださっています」と感謝の言葉を並べた。

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野球部力貰った羽生結弦東北勇気与える存在

日刊スポーツ 2021年3月11日(木)21時13分配信

 東日本大震災の発生から10年が経過しました。

 出身の仙台市で被災したフィギュアスケート男子の羽生結弦選手(26=ANA)は当時、宮城・東北高1年生。自宅は全壊と判定され、避難所となった近隣の学校では、わずか2畳に満たないスペースに家族4人で身を寄せ合いました。あの揺れの後、雪が降った寒さと、頻発する余震に体を震わせながら。

 10年後、羽生選手は冬季五輪(オリンピック)2連覇を遂げ、金メダルの光を沿岸部や福島第1原発の被災地に届ける存在になりました。世界で最も強くなるため仙台を離れ「申し訳ない」と思った日も。一方で復興支援や寄付を継続的に行っており、今年は11度目の「3・11」を前にコメントを寄せました。

1182字

 熟考したことが、読み進めるほどに分かる文章ですが、思ってしまいました。文字数にも意味があるのでしょうか、と。

 さかのぼります。昨年5月、羽生選手は日本スケート連盟の公式ツイッターに3本の動画をアップしました。東日本大震災の後に舞ってきた17のプログラムを披露。新型コロナウイルス感染拡大下、阪神淡路大震災や北海道胆振東部地震の被災地にも届けたエキシビション曲も織り交ぜて、コロナ終息への祈りと願いを込めました。

 動画は2分18秒、1分48秒、1分5秒の3本。計5分11秒でした。すなわち311秒=3・11。昨年、担当になった記者としては率直に驚き、以来、何か思いが込められていないか考えるようになりました。

 今回は1182字。まず後半の「82」は「羽生」と読めますね。では、前半の「11」は? これは3・「11」をはじめ、東日本大震災の月命日ですし、忘れることのできない20「11」年も「11」度目の3月11日も当てはまります。そこに寄り添う「82(羽生)」と、い(1)つまでも、一(1)緒に-。「1」位「1」位で金メダル2個とも受け取れます。

………。私の勝手な解釈ですし、そんな雑念などなく本人は純粋の思いをつづったのでしょうが…。大変失礼いたしました。

 ということで、羽生選手が今回、感謝とエールを届けた東北地方。私も、当時は東北総局(仙台市)に赴任しており、震災直後は関西におりました。話は大きく変わるのですが、センバツ高校野球(春の甲子園)の取材です。あの地震に見舞われながら、被災地から出場を果たした東北高に密着していました。

 引け目がありました。「自分は被災を免れて大阪におり、東北高の球児たちは想像を絶する事態に直面していた」と。私事ながら、妻も仙台で被災して避難所におりました。総局の同僚は沿岸部で懸命に取材しています。それでも、仙台には戻れません。センバツは開催され、東北高の一挙手一投足は連日、新聞の1面級。野球担当としては離れられませんでした。

 帰れない負い目と、取材中も「申し訳ない」と肩身が狭い日々。同校の取材時間は1日10分間に限られる中、高校生に、野球ではなく被災地の現状を尋ねるのですから…。その上、ほとんど練習できなかったチームは、初回に5失点するなど初戦で敗退しました。それでも貫いた全力プレー。応援団不在でも、甲子園は沸騰しました。

 この17日後-。東北高の始業式に、羽生選手の姿がありました。新2年生となり、被災後初めてクラスメートと顔を合わせ「ホッとしました」と笑顔を取り戻しました。同学年でセンバツに出場したのは吉川心平捕手、茶谷良太外野手、夷塚圭汰、斎藤圭吾の両内野手ら。1学年上のエース上村健人主将や副将の小川裕人遊撃手も含め、名門の野球部の活躍が励みになりました。

「自分だけスケートをしていていいのか…」。そう悩んでいた当時16歳でしたが、センバツをテレビ観戦し「全力でやっているのを見て、自分もやらなくちゃと思った。自分にはスケートしかない」と迷いを振り切るきっかけになったそうです。

 10年後、羽生選手は被災地を勇気づける(と信じて支援を続ける)存在になりましたが、例えば吉川選手(結婚して現姓は金子)はTDKで、茶谷選手は鷺宮製作所で野球を続け、東北のことを思っています。

 あの日から10年たちましたが、まだまだ復興は道半ば。1182字の語呂合わせから急展開しましたが、それぞれの立場で今も闘う被災者や、故郷に寄り添う方々を、また次の10年、20年と取材し、伝えていきたいと思います。

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 福島第一原発「10年目の真実」…じつは「吉田所長の“英断”海水注入」は、ほぼ“抜け道に漏れていた 

現代ビジネス 2021年3月11日(木)7時31分配信/NHKメルトダウン取材班

 吉田昌郎所長の事故対応をめぐって、繰り返し語られるのが、1号機海水注入をめぐる判断である。3月12日の1号機水素爆発後、放射線が上昇する困難な状況の中、ようやく始めることができた海水注入。そこに「海水注水による再臨界」を懸念する官邸サイドの意向を忖度した元東京電力副社長、武黒一郎フェローから中止の指示が入る。しかし、武黒から海水注入中止の指示を受けながらも、吉田所長はそれを無視し、注水を継続した。

 その判断は“英断”と評されてきた。しかしこの“英断”は原子炉の冷却にはまったく貢献しなかったことが、その後の検証で明らかになってきた。吉田所長や東電運転員たちが決死の覚悟で行った消防注水は、注水ルートの「抜け道」に流れて、1号機原子炉にはほとんど届かなかったのある。この情報をいち早くスクープしたのが、NHKスペシャル取材班だった。このほど上梓された『福島第一原発事故の「真実」』ではその一部始終が鮮明に明かされている。「衝撃の真相」とは――。

原子力関係者に衝撃を与えた1号機注水ゼロ

 2016年9月7日。福岡県久留米市で開かれた日本原子力学会で注目すべきプログラムが実施された。発表者は、国際廃炉研究開発機構(IRID)。テーマは「過酷事故解析コードMAAPによる炉内状況把握に関する研究」。最新の解析コードを用いて、福島第一原発事故がどのように進展し、どこまで悪化していったのかを分析するものだ。

 核燃料の大部分が溶融し、圧力容器の底が溶かされて燃料が容器の底を突きぬけるメルトスルー(溶融貫通)が起きたことは、もはや専門家間で共通の認識だった。今回の発表の特徴は、これまでの“どれだけ核燃料が溶けたか”に主眼を置いたものではなく、“どれだけ原子炉に水が入っていたか”という点に注目したことだ。

 「3月23日まで1号機の原子炉に対して冷却に寄与する注水は、ほぼゼロだった」

 発表内容は衝撃的なものだった。東京電力が1号機の原子炉に消防注水を開始したのは、3月12日午前4時すぎ。しかし、事故から実に12日経った3月23日まで1号機の原子炉冷却に寄与する注水はほぼゼロだったというのだ。

事故の真相検証はまだ道半ば

 にわかに信じがたい解析結果は、事故当時に計測された1号機の原子炉や格納容器の圧力に関するパラメーターは、原子炉内への注水量を“ほぼゼロ”に設定しないと再現ができないことから、結論づけられたものだ。

 会場はざわついていた。詰めかけた関係者の中で、最初に質問したのは全国の電力会社の原子力分野の安全対策を監視・指導する立場にある原子力安全推進協会(JANSI)の幹部だ。

 「事故から5年以上たって、初めて聞いた話だ。いまだにこんな話が出てくるなんて……」

 発言には明らかに不満が込められていた。事故から5年以上経過しても次々と出てくる新たな事実。最新の解析結果の発表は事故の真相の検証はいまだ道半ばであることを物語っていた。

 吉田昌郎所長の事故対応をめぐって、繰り返し称賛されるのが、1号機海水注入を巡る「英断」である。「海水注入について総理の了解が得られていない」と忖度した元東京電力副社長、武黒一郎フェローは、官邸から福島第一原発の吉田に電話を入れ、注水中止を指示する。

武黒「おまえ、海水注入は」
吉田「やってますよ」
武黒「えっ!」
吉田「もう始まってますから」
武黒「おいおい、やってんのか? 止めろ」
吉田「何でですか?」
武黒「おまえ、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ!」
吉田「何言ってんですか」

 吉田は武黒に反駁したが、電話は一方的に切られたという。

 水素爆発後、高い放射線量の中、自衛消防隊や協力企業の作業員らが被ばくを伴いながら2時間近くかけて準備を行い、ようやく1号機の原子炉への注水を開始した直後の出来事である。

浮かび上がった消防注水の抜け道

 武黒からの海水注入中止の指示。政府の原子力災害対策本部の最高責任者である総理の意向と聞いては、表向きは了解しないわけにはいかない。

 ここで吉田は、とっさに一芝居打った。消防注水を担当していた部下の防災班長を傍らに呼び、小声で「中止命令はするけれども、絶対に中止してはダメだ」という指示をした後、本店には“海水注入を中断する”という報告をテレビ会議を通じて行った。

 防災班長は吉田の指示に従い、密かに注水を続けた。この一連の1号機への海水注入を巡るやりとりが、吉田が官邸や東電本店の意向に逆らい海水注入を継続、結果として1号機の事態の悪化を食い止めた、と英雄視されている場面である。

 現場の指揮官としての吉田の判断は極めて的確で、誰からも称えられてしかるべきであろう。しかし、原子力学会でIRIDが発表した最新の解析では、実際にこのとき行った注水のうち原子炉に届いていた量は“ほぼゼロ”だったという。

 吉田の“英断”は1号機の冷却にほとんど寄与していなかった。

 福島第一原発事故対応の“切り札”とされた消防車による外部からの注水。それが原子炉へ向かう途中で抜け道があり、十分に届いていなかった。その可能性を最初に社会に示したのは、取材班だった。

 取材班は独自に入手した3号機の配管計装線図(P&ID)という図面をもとに専門家や原発メーカーOBと徹底的に分析した。すると、消防車から原子炉につながる1本のルートに注水の抜け道が浮かび上がった。

 その先には、満水だった復水器があった。

衝撃の注水量1秒あたり0・075リットル

 この抜け道には、復水器から冷却水を原子炉に送り込むための「低圧復水ポンプ」がある。このポンプが電源喪失により動かなくなったことで、ポンプに流れ込む水の流れを封じ込める「封水」という仕組みが働かなくなり、原子炉へ注ぎ込まれる海水が、復水器に向かう配管に横抜けしてしまったのだ。

 実は、こうした“抜け道”は3号機だけではなく、1号機にも存在していた。しかもその漏洩量は、3号機をはるかに上回るものだった。2013年12月に、東京電力より発表された「未解明事項の調査・検討結果報告」によると、1号機には10本、2号機・3号機にはそれぞれ4本の「抜け道」が存在するというのだ。2011年3月23日までほぼゼロだった1号機への注水量。その原因はこの10本の抜け道にあった。

 では、これだけの抜け道が存在する1号機の原子炉にはいったいどれだけの量の水が入っていたのか? その詳細を知るには最新の解析コードによる分析が必要だった。

 福島第一原発の1号機、2号機、3号機にいつどれだけ水が入り、どのように核燃料はメルトダウンしていったのか、最新の解析コードで分析するBSAF(Benchmark Study of the Accident at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station 福島第一原発事故ベンチマーク解析)とよばれる国際共同プロジェクトが行われていた。

 事故の翌年2012年から経済協力開発機構/原子力機関(OECD/NEA)が始めたこの取り組みは、世界各国の原子力研究機関や政府機関がそれぞれ所有する過酷事故解析コードを改良しながら、福島第一原発事故の進展と現在の状況を分析する世界最先端の研究だ。BSAFに参加する国は徐々に増え、11ヵ国(カナダ、中華人民共和国、フィンランド、フランス、ドイツ、日本、韓国、ロシア連邦、スペイン、スイス、アメリカ)になった。

 その運営を担う機関が東京・港区西新橋にある。エネルギー総合工学研究所。電力会社や原発メーカーのOBに加え、外国人研究者が名を連ねる日本でも有数の研究機関だ。同研究所原子力工学センターの内藤正則は、福島原発事故前から日本独自の解析コードSAMPSONを開発し、BSAFプロジェクトの中心的役割を担う人物だ。

 2017年2月、NHKでは内藤を含めた専門家を交え、1号機への注水など事故の進展に関する分析を行った。内藤は、BSAFの取り組みを通じて各国の研究機関がシミュレーションから導き出した“現時点で最も確からしい”としている最新の注水量を告げた。

 「1秒あたり、0.07~0.075リットル。ほとんど炉心に入っていないことと同じです」

 国際機関が検証している最新の注水量。多く見積もっても、1分あたり1.5リットルペットボトルの3本分程度しかないわずかな注水量に専門家たちも衝撃を受けた。5年以上にわたって事故の検証を続けてきた内藤が提示したのは、この記事の冒頭でIRIDが原子力学会で発表した数値より具体性を持った数値だった。

遅すぎた注水開始…生み出された大量の核燃料デブリ

 しかしながら、1号機の注水ルートに「抜け道」がなければメルトダウンを防ぐことができたのか? 答えはNOだ。吉田が官邸の武黒からの指示を拒否し、注水を継続していた局面は3月12日午後7時過ぎのこと。しかし、SAMPSONによる最新の解析によると、1号機のメルトダウンはこの22時間前から始まっており、消防車による注水が始まった時点では、核燃料はすべて溶け落ち、原子炉の中には核燃料はほとんど残っていなかったと、推測されているのだ。

 注水の遅れは事故の進展や廃炉にどのような影響を与えたのか。内藤は「MCCIの進展に関してはこの注水量が非常に重要になる」と口にした。MCCI(Molten Core Concrete Interaction)は“溶融炉心コンクリート相互作用”と呼ばれ、溶け落ちた核燃料が原子炉の底を突き破り格納容器の床に達した後、崩壊熱による高温状態が維持されることで床のコンクリートを溶かし続ける事態を指す。

 SAMPSONによる解析では、MCCIが始まったのは3月12日午前2時。1号機の原子炉の真下の格納容器の床にはサンプピットと呼ばれる深さ1.2メートルのくぼみがあり、そこに溶け落ちた高温の核燃料が流れ込むことで、MCCIが始まった。

今後の廃炉作業の大きな障害

 当時の消防車からの吐出流量は1時間あたりおよそ60トン。東京電力の1号機事故時運転操作手順書(シビアアクシデント)によれば、この時点での崩壊熱に対して必要な注水量は、15トンとされている。つまり消防車は必要量の4倍の水を配管に注ぎ込んでいたのである。この水が、原子炉、あるいは格納容器の床面にある溶け落ちた核燃料に確実に届いていれば、コンクリートの侵食は十分に止まるはずだった。

 しかし、消防車から注ぎ込まれた大量の水は、途中で「抜け道」などに流れ込んだことで、原子炉にたどり着いた水は“ほぼゼロ”。コンクリートの侵食は止まることなく、3月23日午前2時半には深さは3.0メートルに達したという結果を解析は示した。

 その結果、もともとあった核燃料と原子炉の構造物、コンクリートが混ざり合い、「デブリ」と呼ばれる塊になった。内藤によるSAMPSONの解析の結果、1号機のデブリの量はおよそ279トン。もともとのウランの量69トンに比べ4倍以上の量となった。

 本当にこれだけのデブリが生まれたのか、実は解析や実験によるMCCIの影響評価はまだ道半ばだ。OECD/NEAではMCCIを検証する新たなプロジェクトを開始している。米国のアルゴンヌ国立研究所などと連携、これに内藤たち日本の専門家も加わり、MCCIの真相に迫ろうとしている。注水量の乏しさがどんな事態を生むかを知るために。

 日本原子力学会で福島第一原子力発電所廃炉検討委員会の委員長を務める宮野は、大量に発生したデブリが、今後の廃炉作業の大きな障害となると憂慮する。

 「279トンってもの凄い量ですよ。しかも核燃料とコンクリートが入り混じって格納容器にこびりついている。取り出すためにはデブリを削る必要がありますが、削り出しをすると、デブリを保管するための貯蔵容器や施設が必要になっていく。本当に削り出して保管するのがいいのか、それとも、削らずこのまま塊で保管するのがいいのかって、そういう問題になっていく。保管場所や処分の方法も考えなければいけない」

長く続く厳しい状況

 内藤が続ける。

 「当時の状況では厳しいでしょうけど、いま振り返ってみればもっと早く対応ができなかったのかと悔やまれますね。2011年3月23日、1号機の注水ルートを変えたことで原子炉に十分に水が入るようになり、1号機のMCCIは止まりました。では、あと10日早く対応していれば、コリウム(溶け落ちた核燃料などの炉心溶融物)によるMCCIの侵食の量は少なくて済んだ。少ないです、ものすごい……」

 廃炉を成し遂げる道に立ちはだかる、1号機格納容器の底にある大量のデブリの取り出し作業。消防注水の抜け道が存在し、MCCIの侵食を食い止められなかったことは、今後長く続く廃炉への道の厳しい状況を生み出してしまったのか……。

 2021年、1号機の格納容器内部調査が行われ、原子炉の真下の状況が確認される予定になっている。内藤や宮野らが懸念するのは、下方向だけではないMCCIの横方向への影響だ。

 原子炉は構造上、ペデスタルと呼ばれるコンクリートの台座で支えられている。高温の核燃料がメルトスルーによって溶け落ちたとき、この原子炉を支えるコンクリートがどれだけ侵食されているのか、未だに見えていない。長期にわたるデブリの取り出しの間、原子炉を支え続けることができるのか、この核燃料によるコンクリートの侵食の進み具合に専門家たちが注目している(敬称略)。

 「“若いから仕方ないね助けてくれなかったメディアが取り上げてこなかった避難所での性暴力 

週刊女性PRIME 2021年3月10日(水)11時01分配信

「避難所で、夜になると男の人が毛布の中に入ってくる。仮設住宅にいる男の人もだんだんおかしくなって、女の人をつかまえて暗い所に連れて行って裸にする。周りの女性も『若いから仕方ないね』と見て見ぬふりをして助けてくれない」(20 代女性)

 東日本大震災から10年――。上記は、「東日本大震災女性支援ネットワーク」(2014年より「減災と男女共同参画 研修推進センター」)による『東日本大震災「災害・復興時における女性と子どもへの暴力」に関する調査報告書』で報告された被災者女性の悲痛な叫びである。

避難所での性暴力支援者たちが口を閉ざした過去

 これだけの災害大国・日本でありながら、あまり大きく報道されてこなかった問題。それが「避難所での性暴力」。

 実は、そういった問題は26年前の阪神・淡路大震災時にすでに報告されていた。 

 何も対策を講じてこなかったわけではない。阪神・淡路大震災後に、支援者たちを含めた女性たちが声をあげていたが、当時はまだ、そのような女性の声が届くような時代ではなかった。一部メディアから「被害の証拠がない」「すべて捏造」と“デマ”扱いされ、被害者を支援してきた人たちがバッシングを受け、しばらく口を閉ざしてしまったという背景がある。

 そして多くの人にその事実が知られぬまま、東日本大震災でも同じことが繰り返されてしまった。

 10年前もセンセーショナルな問題として、それほど大きく報道されることはなかった被災地での性暴力。中でも安全だと思われていた避難所で当時、何が起きていたのか。

「性暴力は災害と関係なしに普段からある問題です。災害時に性暴力がいたるところで起こっていたわけでは決してありませんが、それでも、こういったことが実際にあったことを、多くの方に知っていただきたいと思っています」

 と話すのは、「減災と男女共同参画 研修推進センター」の共同代表を務める池田恵子さん。

「これらの話をすると、若い子の中には “じゃあ私は災害が起きても避難所に行かない”という子がいます。それは危ない話で、逃げるときは逃げないといけないし、そういう反応につながってしまっては本末転倒。当時何が起きていたか話すときには、必ず“対策”とセットでお話しするようにしています」

 そのように前置きしたうえで、避難所で起きていたこと、そして今後の課題・対策について話してくれた。

被害届を出せない理由

「避難所での強姦、強姦未遂も報告されていますが、それ以外では例えば授乳するところをジッと見られた、ストーカー行為をされたという話もありました。

 また、避難所に来ていた看護師の女性が、血圧測定の際に胸を触られたり、ボランティアの女性が後ろから繰り返し抱きつかれたケースも。注意したところ、ボランティアのリーダーから“ボランティアが被災者を叱って指導するとはもってのほかだ!”という声を向けられてしまったというのです。

 私たちの調査でわかったのは、被害者の年齢層が、未就学の子どもから60代までと、非常に幅広いということ。子どもの被害の中には男児がわいせつな行為をされた事例もありました。被害者と加害者の関係が被災者同士、支援者同士などパターン化されてなかったのも特徴です」

 震災後、東日本大震災女性支援ネットワークの一員として現場に足を運び、調査を進めてきた池田さん。池田さんらがまとめた冒頭の報告書には、こんな事例も記されている。

「避難所で深夜、強姦未遂。“やめて”と叫んだので、周囲が気づき未遂に防いだ。加害者も被害者も被災者だった。110 番通報したので、警察官が事情聴取したが、被害女性が被害届を出さなかった」(50 代女性)

 この女性のように、当時は被害届を出さない人も多かった。その理由について池田さんは、

「まずは、加害者も同じ地域の人という場合も多い。今後も同じコミュニティーで生きていかなければならず、性被害を受けたことが地域の人に知れ渡ったり、加害者と正面から敵対したりするようなことは、できれば避けたかったんだと思います」

 こういった被害があると、避難所では当然、環境改善を求める声があがると思うのだが、被災者にとってはそう簡単なことではないという。

「避難所の運営ってすごく大変なんです。自主運営の避難所は、地域の方が寝ないで目を回しながらやってる。しかも、東日本大震災は大災害でしたから、運営する側の人たちも、家族を亡くしながら頑張っているかもしれない。

 そんな中で、みんなのために物資のことや避難所のことで走り回ってる姿を見てしまったら、安全の問題まで対応してくださいとは、言い出しにくかった。ましてや、責任者が男性ばかりだと、ますます言い出しにくい」

 そういった状況から被害を訴えられずに、泣き寝入りする人も少なくない。そんな被災地での暴力について、池田さんらは大きく2つの種類に分けている。

 ひとつは、雑魚寝が多く、トイレが男女別になっていないなど、環境が整っていないがために暴力が助長されてしまう「環境不備型」。そしてもうひとつが、被災して支援がなければ生き延びていけない人に、支援するかわりに、その見返りとして性行為や側にいて世話をするよう要求したりする「対価型」だ。

「対価型の中でも特に忘れられないのが、若いお母さんで、子どもを連れてもう食べるものもなくて困っているところに“特別に食べものをあげるから夜、取りに来て”と男の人に言われて行くと、あからさまに性行為を強要されたという話。現代の日本でこんなことがあるのかと、驚きました。

 もともと立場の弱い人たちが、被災地ではいつも以上に支援に頼らざるをえなくなる。しかも、避難所で共同生活をすることで、嫌でも周りに知られてしまう。そうすると標的化もされやすい。周りも“ちょっとくらい我慢しなさい”とか、“みんな大変だったんだから、命あっただけでもありがたく思いなさい”とか、被害者に忍耐を強いる論調が強くなってしまいます」

どちらに頼るでもない、男女がともに担う防犯体制を

 普段の「立場の弱さ」という格差が、暴力につながる余地を生んでいると池田さん。では、具体的に、避難所ではどのような対策が求められるのか。

「多くの避難所では男性たちがリーダーシップをとっており、意見を出し合ったりいろいろ決める場に女性たちが少ないのが現状です。しかし、女性も男性とともに責任者として避難所の運営に関わることが必要。どこに女性用の仮設トイレを置いたらいいか、女性用品などは、やはり女性にしかわからない。安全対策も男性だけが担当者の場合、女性は訴えにくいものです」

 男性に任せっきり、女性に任せっきりではなく、「男女がともに担う、防犯体制が有効」とのこと。さらにこんな具体策も。

「トイレを男女別にし、女性用トイレの場所は女性の意見を聞いて決める、避難所の開設直後から授乳室や男女別の更衣室を設けるなど、避難所のスペース活用にも安全確保の視点が重要です。また、巡回警備をしたり、啓発のポスターを貼るなど暴力を許さない環境づくりの整備や相談窓口を設けること、災害時の支援活動を行う人向けに、災害時の性暴力について知り、その防止に努めるよう研修を行っておくことも大切なことです」

 では、個人でできることは?

「ひとりで出歩かない、周りに声をかけあって移動するなど、個人でできることもなくはないのですが、それだけが対策になってしまうと、“自己責任論”になってしまう。ひとりで出歩くなって言ったのに……と、守らなかった人の落ち度となっても困る。

 避難所に行くと、よく“女性と子どもは一人で出歩かないようにしましょう”というメッセージを目にします。でもそうではなく、“みんな見守ってます“など加害者側へのメッセージにする。例えば、駅では“痴漢に注意!”という看板が、最近では“痴漢は犯罪です”という加害者側へのメッセージに変わってきています。潜在的な被害者と加害者と、その他大勢を巻き込むメッセージが必要です。

 また、先ほど“若いから仕方がない”と言って周りの女性が助けてくれなかったという事例を出しましたが、そのような間違った考えに加担しないのも、私たちにできることだと思います」

 2016年の熊本地震では、避難所内に間切りが設けられたり、性暴力の注意を促すチラシが配られるなど「一歩前進した感覚があった」と話す。それでも性被害は起きたというが、確実に安全面は改善されつつある。

「多くの女性たちが声をあげ、それに男性たちが一緒に頑張ろう、この問題を考えようと思ってもらえたら」

 いつ、誰がそうなってもおかしくない、避難所生活。今後、さらなる対策が求められる。

 

2021年3月10日 (水)

【東日本大震災から10年】原発事故「東日本壊滅」回避できたのは何故か

 福島原発事故「10年目の真実」…東日本壊滅という最悪シナリオを回避できた本当の深層

現代ビジネス 2021年3月3日(水)7時31分配信/NHKメルトダウン取材班

極秘裏に行われたシミュレーション

 福島第一原発事故が発生した2011年3月11日から10年が経とうとしている。3つの原子炉が相次いでメルトダウン、原子炉や格納容器が納める原子炉建屋が次々に爆発するという未曾有の原発事故は、福島の地に大きな爪痕を残した。

 事故によって放出された大量の放射性物質は福島の地を汚染し、原発周辺に住む住民は避難を余儀なくされた。いまなお双葉町、大熊町、浪江町の多くが、放射線量がきわめて高い帰宅困難区域に指定され、立ち入りが厳しく制限されている。長期にわたる避難で、故郷の地に戻ることを断念した住民も少なくない。

 実は、事故発生直後に極秘裏に行われた「シミュレーション」によると、こうした帰宅困難区域は東日本全体に及ぶ可能性があった。当時の原子力委員会委員長の近藤駿介氏が行ったシミュレーションでは、最悪の場合、東日本全体がチェルノブイリ原発事故に匹敵するような大量な放射性物質に汚染され、原発から250キロメートル半径の住民が避難を強いられるという予測をしていた。

 なぜ、福島第一原発事故は、「東日本壊滅」という最悪シナリオを回避できたのか。

 事故後、10年にわたって1500人以上の関係者や専門家を取材、事故を検証してきたNHKメルトダウン取材班は、『福島第一原発事故の「真実」』で、東日本壊滅が避けられたのは、いくつかの僥倖が重なった「偶然の産物」だったというショッキングな分析を明らかにした。

10年目の真実

 あの事故で死を覚悟した時はあったのか。

 この10年、事故対応にあたった幾人もの当事者にそう尋ねてきた。ほぼ例外なく「死ぬと思った」という答えが返ってきた。とりわけ事故4日目の3月14日、2号機が危機に陥った時「もう生きて帰れないと思った」と語る人が多かった。家族に宛てて書いたという遺書を見せてくれた人もいた。

 このとき、冷却が途絶えた2号機は、何度試みてもベントができなくなり、なんとか原子炉を減圧したが、消防車の燃料切れで水を入れることができず、原子炉が空焚き状態になった。テレビ会議では、吉田所長や武藤副社長が血相をかえて「格納容器がぶっ壊れる」「とにかく水をいれろ」と怒鳴っている。

 後に吉田所長は、「このまま水が入らないと核燃料が格納容器を突き破り、あたり一面に放射性物質がまき散らされ、東日本一帯が壊滅すると思った」と打ち明けている。吉田所長が語った「東日本壊滅」は、事故後、専門家によってシミュレーションが行われている。当時の菅総理大臣が近藤駿介原子力委員会委員長に事故が連鎖的に悪化すると最終的にどうなるかシミュレーションをしてほしいと依頼して作成された「最悪シナリオ」である。

 そこに描かれていたのは、戦慄すべき日本の姿だった。

 最悪シナリオによると、もし1号機の原子炉か格納容器が水素爆発して、作業員が全員退避すると、原子炉への注水ができなくなり、格納容器が破損。2号機、3号機、さらに4号機の燃料プールの注水も連鎖してできなくなり、各号機の格納容器が破損。さらに燃料プールの核燃料もメルトダウンし、大量の放射性物質が放出される。

 その結果、福島第一原発の半径170キロメートル圏内がチェルノブイリ事故の強制移住基準に達し、半径250キロメートル圏内が、住民が移住を希望した場合には認めるべき汚染地域になるとされている。半径250キロメートルとは、北は岩手県盛岡市、南は横浜市に至る。東京を含む東日本3000万人が退避を強いられ、これらの地域が自然放射線レベルに戻るには、数十年かかると予測されていた。

人間は核を制御できるのかという根源的な問い

 この東日本壊滅の光景は、2号機危機の局面で、吉田所長だけでなく最前線にいたかなりの当事者の頭をよぎっている。しかし、2号機の格納容器は決定的には破壊されなかった。なぜ、破壊されなかったのか。そこに、決死の覚悟で行われたいくつかの対応策が何らかの形で貢献していたのだろうか。

 私たち取材班は、この疑問にこだわって、事故から10年にわたって事故対応の検証取材を続けてきた。この謎を解き明かすことが、人間は核を制御できるのかというこの事故が突きつける根源的な問いの答えに近づけるのではないかと考えたからである。

 なぜ、格納容器は破壊されなかったと思うか。免震棟にいた何人もの当事者にも聞いたが、明確な答えは返ってこなかった。原子炉が空焚きになって2時間後に始まった消防注水が奏功したのではないかと水を向けても、事故対応の検証に真摯に向き合っている当事者ほど「証拠がなく安易なことはいえない」と首を振った。

 事故から10年。この謎を包んでいた厚いベールが剥がれ始めてきた。

 廃炉作業が進むうちに原子炉や格納容器に溶け落ちた核燃料デブリの状態が垣間見えてきたからである。

 ベントができず肝心なときに水が入らなかったため過酷な高温高圧状態だったと思われた2号機の原子炉や格納容器の中には、思いのほか溶け残っている金属が多く、予想に反して高温に達していなかったことがわかってきた。その理由は、皮肉にも肝心なときに水が入らなかったことではないかと研究者は指摘している。

そのとき最前線で起きていたこと

 メルトダウンは、核燃料に含まれるジルコニウムという金属と水が高温下で化学反応を起こすことで促進される。消防車の燃料切れでしばらく水が入らなかった2号機は、水─ジルコニウム反応が鈍くなり、1号機や3号機に比べて原子炉温度が上昇せず、メルトダウンが抑制された可能性が出てきたのである。

 さらに格納容器は破壊ぎりぎりの高圧になったが、上部の繫ぎ目や、配管との接続部分が高熱で溶けて隙間ができ、図らずも放射性物質が漏れ出ていたことも破壊を防いだ一因とみられている。

 そして2号機は、電源喪失から3日間にわたってRCICと呼ばれる冷却装置で原子炉を冷やし続けていたため、核燃料のもつ熱量が、1号機や3号機に比べると小さくなり、メルトダウンを抑制させたのではないかと指摘する専門家もいる。こうした僥倖が複雑に折り重なって、格納容器は決定的に壊れなかった。

 しかし、もしこの僥倖の何かが欠けていれば、果たしてどうなっていたか。吉田所長ら当事者の頭を「最悪シナリオ」がよぎった後、私たちの目の前に、事故後日本社会が積み上げてきた10年とまったく違った10年が広がっていたのかもしれない。

 核の暴走に人間が向き合った最前線では、時に決死の覚悟と英知が最悪の事態からの脱出に寄与したこともある。2号機の危機でも3日間奇跡的に原子炉を冷却し続けたRCICは、津波で電源喪失する直前に中央制御室の運転員がとっさの判断で起動させたものだった。

 しかしこうした人間の力をはるかに超えた偶然が重なって、2号機は格納容器が決定的に壊れるという事態を免れた。それが事故から10年経って見えてきた「真実」ではないだろうか。

10年遅れるロードマップ

 最悪シナリオで示された4号機の燃料プールの水がなくなり、高熱の使用済み核燃料がメルトダウンして、大量の放射性物質が放出されなかったのも偶然のなせるわざだった。

 4号機プールの水が干上がらなかったのは、たまたま隣接する原子炉ウェルの仕切り板に隙間ができて、大量の水が流れ込んだおかげだった。4号機が水素爆発し、原子炉建屋最上階が壊れたことで、外からの注水が可能になったことも、まさに怪我の功名だった。

 爆発前、3号機の格納容器ベントによって排出された放射性物質が流れ込み、4号機の原子炉建屋には人が立ち入れない状態だった。コンクリート注入用の特殊車両を遠隔操作し、燃料プールに冷却水を注入できたのも4号機の爆発があったからに他ならない。

 もし、これらの偶然が重なっていなかったら、4号機プールの水位はどんどん低下し、使用済み核燃料がむき出しになる恐れがあった。そうなると最悪シナリオで描かれた恐怖が現実のものになりかねなかったのである。

 事故から10年。福島第一原発では、日々廃炉作業が続けられている。最悪シナリオでメルトダウンの恐怖を指摘された4号機の燃料プールには、もう使用済み核燃料の姿はない。

 2014年中に取り出しが完了し、3号機の燃料プールからも2021年中に使用済み核燃料が取り出される。取り出しは2号機、1号機と続き、2031年までに5号機、6号機含めすべての使用済み核燃料が取り出されることになっている。

 しかし、事故1年後に国と東京電力が掲げた当初のロードマップでは、使用済み核燃料は2021年中にはすべて取り出されることになっていた。実に10年遅れているのである。

極限の危機において、人間は…

 さらに輪をかけて困難なのが推定880トンある核燃料デブリの取り出しである。ロードマップでは、当初2021年にデブリ取り出しを開始し、2031年から2036年には完了すると宣言していた。

 しかし、2015年の改定で取り出し完了年の記載は完全に消えた。2019年の改定では、まず2号機でデブリの試験的な取り出しを開始し、イギリスで開発しているロボットアームを使って、格納容器の底にある粉状のデブリを取り出すとされた。

 ところが、2020年末、東京電力は、急遽、デブリの取り出しを、1年遅らせると発表。新型コロナウィルスの感染拡大で、イギリスでのロボットアームの開発作業が遅れ、日本への輸送も困難になったためだった。2021年中にデブリ取り出しを始める約束も果たせなくなったのである。

 もっとも、デブリを取り出すと言っても、ロボットアームで1回に取り出す量は、わずか1グラム程度。その後、段階的に取り出す量を増やすとしているが、その工程の詳細は決まっていない。1号機と3号機は、2号機の取り出しで得られる知見を踏まえ、取り出し規模を大きくするとしているが、実際に取り出し量を思うように増やせるかは未知数である。

 ロードマップでは、廃炉作業は、2041年から2051年には終了することになっているが、福島第一原発を最終的にどのようにするのか、最終形はどこにも記されていない。当初のロードマップに掲げられた机上の計画と廃炉作業の現実を見比べるとき、そのあまりにも大きなズレに暴走した核の後始末が途方もなく難しいことに思えてくる。

 あの2号機の極限の危機。核の暴走を食い止めようと、吉田所長らは、爆発や被ばくの恐怖と闘いながら決死の覚悟で現場にとどまり、知恵を絞り出して、原子炉に水を入れ続けた。しかし2号機の格納容器が破壊されなかったのは、肝心なときに水が入らなかったり、格納容器の繫ぎ目の隙間から圧が抜けたりといった幾つかの偶然が重なった公算が強い。

 この極限の危機において、人間は核を制御できていなかった。それが「真実」である。

まだ終わっていない

 ただし、これは「10年目の真実」だろう。この後、廃炉作業の中で新たな事実が浮かび上がったとき、これまでの事故像が一転して変わるかもしれない。この事故では、当初考えられていた事故像が新たに発見された事実や知見によって、どんでん返しのように変わった例は枚挙に暇がない。

 事故から10年を過ぎても事故像は変わり続ける。これから最難関の核燃料デブリの取り出しのために原子炉や格納容器、そしてデブリの詳細を粘り強く調査分析していかなければならない。

 そこから見つかる新たな事実や知見は核の暴走の後始末に役立つだけでなく、人間の対応が危機の回避にどこまで貢献していたのかを見極めることにつながる。その一つ一つを丹念に検証すれば、危機の時、そして危機に備えて、人間が何をすべきなのかという未来につながる普遍的な教訓が浮かび上がってくるはずである。

 その時こそ、人間は核を制御できるのかという根源的な問いの答えをつかめるのではないだろうか。そのために、私たち取材班は、これからも検証取材を続ける所存である。

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 震災で妻を失って10年、夢中で恋していたあの頃、そして夢に出てきた妻への接吻 

週刊女性PRIME 2021年3月6日(土)13時01分配信/渡辺高嗣(ジャーナリスト)

 岩手県陸前高田市の佐々木一義さん(67)の妻・美和子さん(当時57)は市内のそば店で出前担当をしており、近くに住む実母の様子を見に行って津波の犠牲になったとみられる。遺体は3週間後に見つかった。4人の子どもは独立しており、ふたり暮らしだった。あれから10年──。

 手には白とピンクの花。店員に「菊だけじゃないようにして」と注文をつけた。花を取り替え、花立を水で満たし、線香を焚く。

「はい、高田の名産・米まんじゅう。食べてください」

 とポケットから取り出して供えた。

 一義さんは、市内最後の仮設住宅から災害公営住宅に引っ越したばかり。もとあった自宅は津波で1階が浸水したため2階で寝起きし、やがて仮設住宅で暮らすようになった。

美女と野獣と冷やかされました

 妻・美和子さんは地元の小・中学校の同級生。中学生のとき、可愛いなと思って3回アタックした。

「付き合ってほしいとラブレターを書いたんです。返事は“友達でいましょう”だった」

 別々の高校に進み、男子校の色に染まった一義さんは、美和子さんに会っても声をかけなくなった。高校を卒業して就職する前の晩、急につまらない意地を張っているのがバカバカしくなり、美和子さんに電話をかけた。

「僕はあなたが好きだった。でも、これからは同級生として声をかけるから、イヤかもしれないけどよろしくね」

 数年後、実家のスーパーを継いで働くようになっていたある日、仙台市の歯科医院で働く美和子さんから電話があった。

「美和子です。声が聞きたくて」

 仙台にすっ飛んで行った。

「恋は盲目だね(笑)。どんな話をしたか覚えていないけれども、それから付き合うようになった。同級生からは“美女と野獣”と冷やかされました」

 交際すると、思ったとおりの女性だった。元気で、きれいで、人あたりがよくて。

 結婚後、2男2女に恵まれた。一般人が自宅の風呂でカラオケを歌うテレビ番組の企画に申し込んだときは怒って拒み、1か月間、口をきいてくれなかったことも。

お父さん、ここで頑張っぺし

 賑やかな家庭を築く反面、時代の流れとともにスーパーの経営はうまくいかなくなり、2006年に倒産。従業員を解雇したり、取引先にも迷惑をかけた。故郷を離れることも考えたが、

 美和子さんは、

「いや、お父さん、ここで頑張っぺし。何があってもついていくから」

 と支えてくれた。

「幸せにするといったのに。迷惑をかけた従業員や取引先、銀行などを一軒一軒、頭を下げて回りました。恥ずかしくて顔をあげて外を歩けませんでした」

 誰にも会いたくなくて、夜明け前から働ける新聞配達を始めた。やがてホテルの夜間マネージャーの仕事をするようになった。

「ホテルの宴会場などで偶然、再会した人たちが“ここにいたのか! がんばれよ”と異口同音に励ましてくれたんです。恨み言ひとつ言わずに。本当にありがたかった」

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 そんな町を津波は容赦なく襲った──。

 一義さんは震災の半年後、市議会議員になった。全国からボランティアらが駆けつけて見知らぬ土地で奮闘する姿に触発された。美和子さんは政治的なことを嫌っていたから反対したかもしれない。

あ~津波は夢だったんだ。いがった~

 お墓にまんじゅうを供えた一義さんは、手を合わせてお経を唱えはじめた。その声が震え、詰まった。

 あーあ。読経を終えると照れ隠しのようにひと息ついた。

「5年前のバレンタインデー、夢に彼女が出てきたんです。昔のままで本当に可愛かった。僕が“しばらく。なんでここにいるの”と言うと笑うんですよ。“あれ、津波で死んだんだよな”と聞いても笑う。久しぶりだったから、ほっぺたにキスしたもん。そしたらね、唇に肌感覚があって、あ~津波は夢だったんだ。いがった~と思って。でも、ハッと目を覚ましたら仮設住宅の白い天井で、震災前のわが家の天井ではなかった」

 この年になって、こんな話をするのは恥ずかしいけれど、とまた照れた。

 引っ越す前に暮らしていた仮設住宅や高台への避難路、火葬場などを積極的に案内してくれた。それは市議としての使命というより、被災地の住民として伝えずにはいられないようだった。

 墓前で何を語りかけたのか。

「陸前高田には星になった人がたくさんいる。いつそっちの世界に行くかわからないけど、行ったときには胸を張って会えるようにするから、と」

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 東京五輪海外客受け入れ断念 スポンサー枠は検討中 

時事通信 2021年3月10日(水)13時33分配信

 政府は、今夏の東京五輪・パラリンピックについて、海外からの一般観客の受け入れを断念する方針を固めた。

 大会組織委員会、国際オリンピック委員会(IOC)などとの5者会談で確認の上、福島県で聖火リレーが始まる25日までに正式決定される見通し。複数の関係者が10日、明らかにした。

 加藤勝信官房長官は10日の記者会見で「観客の在り方は、最終的には主催者であるIOC、国際パラリンピック委員会(IPC)、東京都、大会組織委員会において判断されるべきことだ」と述べた。

 新型コロナウイルスをめぐり、感染力が強いとされる変異ウイルスが国内外で広がり、懸念が強まっている。五輪を確実に開催するには、水際対策に万全を期す必要があり、海外からの一般観客の受け入れ断念はやむを得ないと判断した。

 一方、関係者によると、IOCはスポンサー関連招待客の入国と観戦を要請している。政府関係者は「スポンサーも大会関係者だ」として受け入れに含みを持たせた。国内の観客については、規模を含め調整を続ける。

 丸川珠代五輪担当相は3日の5者会談で、「海外からの観客について変異株の影響など予測できない中、入国の可否を見通すことは非常に難しい。慎重な判断が必要だ」と伝達。政府は、海外からの観客受け入れに慎重な国内世論を考慮し、見送る方向で調整していた。 

 英紙タイムス「東京五輪は中止するべき 

時事通信 2021年3月3日(水)20時19分配信

 英紙タイムズ(電子版)は3日、今夏の東京五輪・パラリンピックについて「中止する時が来た」とするコラムを掲載した。

 筆者はリチャード・ロイド・パリー東京支局長で、「(新型コロナウイルス)感染を拡大させるイベントは日本だけでなく、世界へのリスクだ」と主張した。

 コラムは英国で野外音楽フェスティバルなどが取りやめになったことに触れ、「世界最大の都市で4週間にわたって開かれる大規模イベントも中止する必要があることは明らかだ」と述べた。

 その上で、日本政府やスポンサー企業が五輪開催を推進していることを「止まらない暴走列車」と批判。日本の新型コロナの被害が他の先進国と比較して小さかったのは、良好な衛生状態と外国人のほぼ全面的な入国禁止によるものだと指摘し、「今、日本政府はお金と名声のためにこれらを犠牲にしようとしている」と強調した。

 ロイド・パリー氏は今年1月、日本政府が非公式ながら東京五輪を中止せざるを得ないと結論付けたと報道。日本政府や国際オリンピック委員会(IOC)が否定する声明を出している。 

橋本聖子会長国民💛安心しないと開催は難しい

J-CASTニュース 2021年3月8日(月)19時45分配信

 東京五輪はいったい開催できるのか? 

 2021年3月25日の聖火リレーのスタートが迫るなか、東京五輪組織委員会の橋本聖子会長(56)が注目すべき発言を行った。

「これであればできるという安心感を国民に持っていただけない限り、開催は難しい」

と、組織委員会トップとして初めて「開催の可否」に言及した。

 これまでは何が何でも開催するという強行姿勢だった政府・東京都、そして組織委。これは中止への布石か? いったいこの「発言はどう読めばいいのだろうか。

無理やり何が何でも開催するわけではありません

「国民に安心感がない限り(五輪の)開催は難しい」

 橋本聖子・東京五輪組織員会会長(56)の驚きの発言が飛び出したのは、3月5日の「定例会見」の席上だった。2月18日に森喜朗前会長の後任に選ばれてから2週間。

「五輪の開催には国民の理解が欠かせない」

という思いから、週に1度ほどの定例会見を開くことになった。3月5日はその初日だった。まず、

「コロナの状況は依然楽観できない状況が続いており、五輪開催に向けてもご心配されている都民・国民の皆さまが多くいらっしゃいます。『安全最優先の大会』に向け、万全の体制で準備は進めており、定例的に記者会見を実施することで不安の払拭にも努めたいと考えています」

などと述べた後に質疑応答に移ったのだった。

 スポーツニッポン(3月5日付)「五輪組織委・橋本聖子会長『国民に安心感ない限り難しい』五輪"開催ありき"より国民目線」はこう伝える。

 「コロナがどういう状況であろうとやる」と話していた森喜朗前会長時代とは逆で、国民の理解を得ることが大事との姿勢を明確にした。「安心安全な大会」を目指すと繰り返す橋本会長には「どういう条件がそろえば開催できるのか、客観的な指標を示してほしい」との質問が出た。森会長は今年1月、同じ質問者に「明確な基準があるかと言えば、ない」と答えた。

橋本会長はどう答えたのか

「昨春に延期、大会日程が7月に決定した。その時点でこの夏の東京大会は実施すると決定した」

と強調したうえで、

「本当にできるのか、できないのではないか、という国民の思いは非常に重要。しっかりしたコロナ対策をしていても、感染者が減っていかない状況で地域医療のひっ迫につながるのであれば、非常に難しいのではないか。そういった心配や不安が、開催すべきと思う方々が少ない要因と思う」

と国民側の視点を披露。さらに、

「医学的、科学的な知見を踏まえ、専門家、政府、都と連携して、国民に『これであればできるんだ』という安心感を持っていただけない限り、開催は難しいと思っている。無理やり何が何でも(開催)という捉え方をされているかもしれないが、決してそうではない」

と踏み込んで発言したのだった。

 「無理やり何が何でも開くわけではない」という、この発言は重要である。これまでは最低限、「無観客という形でも開く」というのが組織委・政府・東京都側の公式コメントだったからだ。

下村博文自民政調会長も中止も考えないと

 折も折、自民党の重鎮、下村博文政調会長も「東京五輪の中止」に言及した。時事通信(3月4日付)「五輪中止の可能性に言及『主力国の参加無理なら』下村自民政調会長」がこう報じる。

「自民党の下村博文政調会長は3月4日のBS11番組で、東京五輪・パラリンピックの開催の可否について『主力国の選手が大量に来られない場合は国際オリンピック委員会(IOC)も考えざるを得ないだろう』と述べ、中止の可能性に言及した。下村氏はまた、政府が海外からの観客受け入れの見送りを検討していることに関し、『選択肢としてはあり得る』と指摘。首都圏の新型コロナの感染状況などを踏まえ、1カ月程度で結論が出るとの見通しも示した」

というのだ。

 自民党の下村博文政調会長は今年1月20日、欧米メディアから「東京五輪中止論」が取り沙汰された時はすぐさま記者会見を開き、

「東京五輪中止は100パーセントない。菅義偉首相も(衆院本会議で)強い決意を述べている」

と自信を持って打ち消しに務めていた。どういう状況の変化があったのだろうか。

 下村氏がテレビ番組で「東京五輪中止」に言及した前日の3月3日、東京五輪・パラリンピック開催に向けての組織委の橋本聖子会長、東京都の小池百合子知事、丸川珠代五輪担当相、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長、国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドリュー・パーソンズ会長による5者会議がオンラインで開かれた。

 しかし、「開催」を確認しただけで、海外からの観客受け入れの是非など重要なことは何も決めず、結論を4月に持ち越した。この5者会議の結果について海外メディアは厳しい目を向けた。

英タイムズ紙日本は止まらない暴走列車だ

 英ロンドン・タイムズ紙(3月3日付)が「It's time to cancel this year's Olympic Games」(今年の五輪大会を中止するべき時だ)という主見出しをつけ、アジア編集長のリチャード・ロイド・パリー氏のコラムを掲載した。主見出しの下には「日本だけではなく世界へのリスクが大きすぎる、東京の今夏のスーパー・スプレッダー(大量感染を引き起こす患者集団)・イベント」という見出しが付けられている」

 1995年から東京に住み、日本の事情に精通しているパリー氏はこう主張した。

「英国で50年の歴史を誇り、約15万人を動員する野外音楽祭『グラストンベリー・フェスティバル』が(コロナによって)2年連続で中止されている。一方で、東京五輪は200カ国以上から1万5000人以上の選手が参加、その数倍の審判、スポンサー、報道陣らが来日、チケット販売数は1100万枚以上になる」

と数字を列挙。2つのイベントを対比させて、

「はるかに小規模で短期間のフェスティバルが犠牲になるならば、世界最大の都市で4週間にわたって開催される大規模イベントも中止されるべきであることは明らか。新たに変異ウイルスが急増し、五輪が感染源となって世界に数週間、数カ月間の停滞をもたらすかもしれない」

とバッサリ切った。

 そして、菅義偉首相が「東京五輪を人類が新型コロナに打ち勝った証とする」と述べた発言を引用しつつ、

「五輪開催者は、勇気や人間性、抽象的な美徳を語るのを好むが、本当に開催したい理由はもっと実務的だ。すでに投入された莫大な資金と密接に絡み合った威信や権力だ。中止すれば五輪スポンサーである世界の大企業に損害があり、何年もかかる法的な議論になる」

と指摘。こうして何が何でも五輪開催へと向かおうとする様子を「止まらない暴走列車」と例えたのだった。

 また、3月6日には「東京五輪中止」を求める市民たち約70人が、東京・新宿の日本オリンピック委員会(JOC)が入るビル周辺で抗議デモを行ったが、ロイター通信などいくつかの海外メディアも報じた。

 ところで、下村博文・自民党政調会長は「主力国の選手が来ない」可能性について言及したが、「主力国」の国民は東京五輪の開催をどの程度望んでいるのだろうか。

スウェーデンは開催反対が多数

 独米グローバルコンサルタント会社「Kekst CNC」(ケクストCNC)が3月3日、「東京五輪に関する国際世論調査」(https://www.kekstcnc.com/jp/insights/covid-19-opin)を発表した。日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、スウェーデン、フランスの6か国各1000人ずつ合計6000人を対象に、「今夏の東京五輪開催に賛成か反対か」を調べた(調査期間:2021年2月11日~2月21日)。

 開催に反対する人は、日本がもっとも多く56%(賛成16%)、次いでイギリス55%(賛成17%)、ドイツで52%(賛成19%)、スウェーデン46%(賛成23%)、フランス37%(賛成25%)といずれも反対が賛成を上回った。唯一、アメリカだけが反対と賛成が33%と同じだった。

 ヨーロッパの主力国の多くが開催に反対しているわけだ。今回の結果について、「Kekst CNC」のアジア地域代表のヨッヘン・レゲヴィー氏は、世界中の多くの国がまだワクチンを手にしていない現状を指摘し、こうコメントしている。

「IOCと日本政府は、日本国内だけでなく、世界的にも今年の東京五輪開催に対して強い批判的な世論に直面しています。迅速かつ包括的で目に見えるワクチン接種の進展がなければ、世界中の懸念を払拭することができません。観客なしの規模を縮小した東京五輪の開催さえますます難しくなっています」

 ネットでの意見はどうなのか。ヤフーニュース「みんなの意見」の「東京五輪・パラの今夏開催、あなたの考えは?」というアンケート調査によると、3月8日13時半現在で投票総数は58万6652票。「中止するべきだ」76%、「延期するべきだ」12%、「開催するべきだ」10%、「わからない」2%と、今夏の開催には88%が反対だった。

 

2021年3月 9日 (火)

【東日本大震災から10年】✍「ヤクザと原発」潜入リポート

 原発は儲かる堅いシノギだな」街の顔役だったヤクザが見せた正体 

文春オンライン 2021年3月9日(火)17時12分配信/鈴木智彦

 2021年3月11日、東日本大震災から10年が経つ。しかし、同日に起こった東京電力福島第一原子力発電所(1F)の事故による影響は未だに尾を引き、住民が帰れない地域も残っている。廃炉への道のりも、まだゴールが見えない。原発事故当時、1Fでは何が起こっていたのか。原発とヤクザの問題をあぶりだす。

 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして起こった東日本大震災――。

◆◆◆

原発は儲かる

「海から固めた。まずは漁協の組合に話を通して、抜け駆けがないようまとめたんだ」

 原発からほど近い、とある街の祭りに呼ばれた私は、会場の中心部に据えられた白いテントでコーラを飲んでいた。学校の運動会で見るようなそれは合計4張あり、その下に折りたたみのテーブルが2列ずつ設置され、町内会や青年団などの老若男女が酒盛りをしていた。テントのすぐ脇には舞台が設しつらえてあって、夜になると女性演歌歌手のステージがあるという。名前を聞いても分からなかった。その後はカラオケ大会が予定されていた。

 パイプ椅子に腰掛けた親分は私の真横で、紙コップの日本酒をちびちび吞みながら、すっかり上機嫌だった。顔見知りが黙礼するたび声をかけた。

「おう、元気でやってたか? なんだ、子供が産まれたのか。今度バーベキューするからみんなで顔出せよ。これからは真面目に働かないと駄目だぞ」

 赤ん坊を抱いた若夫婦はまだ20代の前半で、地元生まれの地元育ちである。若い衆から500ミリリットルの缶ビールを2本受け取り満面の笑顔だった。たわいない会話を終え、夫婦は雑踏の中に消えた。

 親分の真後ろには町内会の会長が座っている。昭和ならともかく、平成4年に暴力団対策法が施行され、もう20年近く経つというのに、誰も気にしている様子はない。暴力団は完全に街の一部にみえた。都市部とはまったく違う空気と価値観……同じ日本とは思えない。タイムスリップした気分だ。

 原発について質問したのは、ただの好奇心からだった。今回の来訪は20年以上前の抗争事件の取材が目的だ。

 殺し殺され、という話の核心は、祭りの翌日、事務所で訊かせてもらうことになっていた。前日入りしたのは、親分から「ヤクザは警察がいうようなごろつきじゃない。暴力団と呼ばれるのは心外だ。いっぺんうちの祭りに来い。あんたの目で確かめてくれ」と要望されたからだ。

 たまたま近くに原発があったから訊いた。座持ちのための世間話に過ぎない。

「原発は儲かる。堅いシノギだな。動き出したらずっと金になる。これ一本で食える。シャブなんて売らんでもいい。俺、薬は大嫌いだからな。薬局(覚せい剤を密売する組織をこう呼ぶ。暴力団内部でも侮蔑的なニュアンスがある)やるくらいなら地下足袋履くほうがましだ。それに原発はあんたたちふうに言えば、タブーの宝庫。それが裏社会の俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ。はっはっは」

 ハレの日の高揚感とほろ酔い気分で、親分はいつになく口が軽かった。地方の小さな祭りを見物しているよりはよほど面白い。

代紋なしでは捌ききれん

「なにも特別なことじゃない。どでかい公共工事が小さい街にやってくる。言ってみりゃ、ただそれだけのこと。ダムや高速道路と同じ。それが原子力発電所という、わけのわからんもんいうだけじゃねぇか。街を代表して電力会社と交渉し、ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。それだけじゃとても人手が足りんから、あとはよその場所にいる兄弟分なんかに話を振ったり、普段から仲のいい組長連中の会社を使う。どでかいシノギになるから、代紋なしではとても捌(さば)ききれんし、工事だって進まない。俺が何度もいうように、悪は悪でもヤクザは必要悪。百聞は一見にしかず。この祭りをみれば、あんたも分かっただろう。

 そういう情報は……真っ先に俺らのとこに入ってくるようになってる。選挙で票をまとめたのは俺たちだ。恩返しなんていうと語弊があっけど、持ちつ持たれつで生きているってこと。それに俺はこの街が好きで、街を守るためならいつ命を捨ててもかまわないと思ってる。この辺の町議会だったら、俺たちが後援すれば誰でも当選する。お前、金がないんだろ。どうだ、ここに引っ越して、うちの土建屋で何年か働いて、立候補したらどうだ?」

田舎の人間は権威に弱い

 テントの脇に私のバイクが停めてあった。

 荷台にはビニールのゴミ袋に包まれたテントと寝袋がくくられている。野宿するくらいなら事務所に寝たらいいとの親分の申し出は丁重に断った。山間部に向かって30分も走れば、町営の綺麗なキャンプ場があり、炊事場にコンセントがあって、ラップトップのパソコンも使える。

「原発って……安全なんですか?」

 話をそらすため質問した。ICレコーダーは回してあった。喧噪の中で上手く録音できるか不安でも、メモを取るわけにはいかない。こういう際には頻繁にトイレに駆け込む。使えると思った話があれば、便座に座り、ポケットの手帳に殴り書きする。

「原発がいいか悪いか、普通の人間にはわからんよ。電力会社が東大あたりの偉い先生を連れて説明に来る。やれ日本には石油がない、指先ほどのウランがあれば、たくさんのドラム缶に入った石油と同じだけ電気が作れる、なんて言われたら、へぇ、となる。俺らの世代は石油ショックを経験しとるから説得力があったね。

 じーさん、ばーさん連中なんて、一通り説明されれば、原発は夢工場だと思っただろう。実際、そうなんだ、この街にとっては。なにしろ国のお墨付き。偉い先生と一緒に『放射能は厳重に管理されている』と説明を受けるからみんな信用する。田舎の人間は権威に弱い。大学の先生、これが効く。

 それにちょっと考えれば、誰だって損得勘定が出来る。原発の関係会社が街にいっぱい出来て、飲み屋、飯屋にだって活気が出ると計算する。ここら一帯は元々なにもない寒村だ。国道から一本入れば砂利道ばかりで、人もいない、活気もない。金もない。若いヤツは学校を出るとすぐ都会に出て行ってしまう。それは仕事がないからだ。

(後ろを振り向き町内会長に向かって)お前さんのところも、息子が○○電力だったよな?

 こんなちいちゃい街、役場に就職するか郵便局に勤めるか、田畑耕すか、魚獲るか。大きな会社なんてどっこも来てくれない。○○電力様様だ。

表面上、頼もしい街の顔役だが……

(建設の)話が表に出たら、街は蜂の巣をつついたような大騒ぎになったよ。もう土地はこっちで買ってあるし、それから騒いでも遅(おせ)ぇんだけどな。賛成、反対……みんな好き勝手言うけど、本音を言えば金、金、金、どれだけ儲かるのか、いくら稼げるのか、頭にあるのは金のことしかない。電力会社は普通の企業と規模も体質も違う。バックにいるのは日本政府だ。素直に、はいはい言ってたらなめられちまう。あっちこっちから蟻が群がってきて、儲けがよそに持ってかれちゃうんだ。

 俺たちは街のため、みんなのため、地元が少しでも多くの金を取れるよう努力する。それをちゃんと地元に還元する。街の人間に嫌われたらヤクザなんてやっていけない。地元密着の人気商売だから、みんなで儲けてハッピーにならないと生きてはいけない。きっちりそれを有言実行してるから、警察だって見て見ぬふりをしてくれる。それに警察だって、ほとんど俺らの幼なじみだよ。あいつらも仕事だ。上からヤクザを取り締まれと言われたら逆らえない。だからメンツは立ててやる。共存共栄。だからこうして、祭りの時にはみんなが挨拶してくれるわけだ。カタギさんを大事にしないとヤクザは生き残れない。暴対法みたいなもんができたらなおさらだろう。カタギの生き血を啜(すす)るような暴力団は消える。俺たちにとっても大歓迎だ」

 表面上、親分は頼もしい街の顔役にみえた。地域密着に関しては仰せの通りだ。が、何年も暴力団取材をしていれば、言葉のすべてを額面通り受け取るウブさは消えている。慕われているのか、怖がられているのか、その両方か、割合の判別はある程度できる。

 どんな暴力団であれ、彼らの存在価値が暴力であるという前提は変わらない。程度の差こそあれ、恐怖で他人を支配し、コントロールするのは、暴力派だろうと穏健派だろうと同じだ。流行のエコカーだって有毒ガスをまき散らす。程度が少ないというだけで毒は毒である。

 フクシマ50の中にヤクザがいた 原発事故の英雄たちは月給100万円 

文春オンライン 2021年3月9日(火)17時12分配信/鈴木智彦

茶髪のフクシマ50

 時間通りに老舗旅館に着くと、フロント脇の応接セットに茶髪の若者が座っていた。時々こちらをのぞき込む。まだ若い。20代だろう。

 責任者の姿を探す。それらしい人はいなかった。10分、20分……約束の時間を過ぎても、ピンク色の腕時計を見つめたままの茶髪君しか見あたらない。30分ほどたって、ようやくピンと来た。

「あれ、もしかして……」

「えっ、鈴木さん……ですか?」

 初対面の責任者は、こちらの目を見ようともせずはにかんだ。

「責任者っていうから……こんなに若いと思わなかった。ごめん」

「俺も東京からやってきて、初めて原発で働く人が、作業着に安全靴だとは思わなくて……てっきり背広かなんか着てるんだと思って……」

 若い茶髪の責任者は、「とりあえず、鈴木さんの部屋に行きませんか」と提案した。拒否する理由はないので、2人で501号室に上がった。広い。20畳はある。

「7月10日の夕方に、この部屋に来て下さい。O社(G社の上会社)の鈴木っていえば、フロントで鍵もらえます。あとのことはその時説明します」

「了解!」

 おどけて若い責任者に敬礼した。

「プファッ~」

 責任者はやっと笑った。

 そこから小一時間ほど世間話をした。話題は私の過去についてだった。

「いつもはなんの仕事をしてるんですか?」

 どう答えていいか悩んだ。軽いジャブで応酬した。

「俺の仕事? ゆすり、たかり、恐喝」

「マジっすか?」

 取材対象が暴力団なので、とっさにそう噓をついた。

「いや、でも実際いつもそんな感じの場所にいる」

「なのに作業着似合いすぎ、です」

「形から入るのが詐欺師のやり方だもん」

「クックック。すげぇ、なんかすげぇ感じです」

 責任者は、右腕で両目を覆いながら、純朴な仕草で笑った。

「そうだ。俺、会社から名刺作ってもらったんです」

 受け取った名刺には、G社の会社名の下に『FUKUSHIMA 50』と印刷してあった。

「えっ? フクシマ50なの?」

「一応、です」

情報を漏らさないフクシマ50

 俗にいう『フクシマ50』の定義はひどく曖昧である。一般的には「東日本大震災によって発生した“想定外”の津波が1Fに来襲し、冷却システムがダウン、1号機および3号機が立て続けに水素爆発をした後、1Fに残った職員・作業員」となろう。インターネットのフリー辞書であるWikiにもある程度の記述がある。サイトには関係者の大半が避難するなか、死を覚悟して原発の収束作業に当たった50人……実際の総数は約70名だったと書かれており、取材の印象でいえば、その程度なら信用してもいい。

 ただ、東電は免震重要棟で指揮を執った吉田昌郎所長(当時)以外のメンツを、プライバシー保護を理由に公開していない。東電社員の内訳、協力企業の人数や年齢、支給された危険手当の金額など、よく分かっていない部分が多い。噂が一人歩きをしてしまい、神格化されている部分はある。東電としてもフクシマ50を曖昧なままにしておきたいはずで、世間が彼らの英雄的行動を賞賛することで、原発事故への批判が多少でも薄まればありがたいだろう。

 当時、私が把握していたフクシマ50は彼だけだった。その後、吉田所長以外の4名から話を訊けたが、うち2名は私をフリーライターと認識していない。あえて隠しているわけではない。問われないから言わない。これまでさんざん情報を隠蔽してきた東電からアンフェアと批判されても、私はまったく平気である。

 ともかく……フクシマ50とようやく連絡が取れても、大方、口が堅い。会社員である以上、おそらく雇用者から「情報を漏らさない」ことを約束する書面を渡され、詳しい説明のないまま流れ作業的にサインしているはずだ。筋を通し、会社に殉じる生真面目さは尊重する。が、多くの人間を苦しめ、生活を破綻させ、世界を汚染した事実を考えれば、そんな一筆は社会全体の利益の前には無効である。具体的には裁判になってもかなりの確率で勝てる。公共の利益が会社の損失に優先するのは明白だ。

 そう説得はしても、フクシマ50はたいてい、カミングアウトをためらった。オフレコで……と釘を刺されているなか、噓を書くわけにはいかないので茶髪の責任者の他、3名の詳細は割愛する。

死んでもいい人間を用意

 責任者の名を、仮に佐藤としておこう。私は佐藤を毎日食事に誘った。責任者に嫌われたら仕事がやりにくい。また、いったい佐藤がどこまで私の素姓を知らされているか、確認したいからでもあった。

 何回か食事をして、ようやく佐藤は私の目を見て話してくれるようになった。彼は3号機が水素爆発した直後、1Fへの召集令状を受け取り、地獄絵図の中に降り立ったという。

「あとで聞いた話だと、経営者が電力から『死んでもいい人間を用意してくれ』と言われていたらしい。社長、もじもじしてて、なかなか『行け』と言わなかったですね。だから志願しました。うちの社長、自分が行っちゃいそうだったんで。社長が死んだら社員が路頭に迷うけど、俺が死んでも代わりはいますから」

 もちろん佐藤は自殺志願者ではない。これまで、原発を生活の糧(かて)にしてきた贖罪だったわけでもないらしい。

「居直るわけじゃないけど、誰も原子力や原発が社会的にどうのなんて考えず、普通の会社に就職する感覚でこの仕事に就いてるんじゃないですか? 原発が善か悪かなんて、深く考えたことなかったです。学校もろくに行ってないんで、難しいことは得意じゃないし(笑)。

 たしかにドキドキはしましたね。不謹慎かもしれないけど、それはどっちかといえば楽しい気持ちで……。そりゃあたくさんの人が困ってるんだから、俺たちが頑張らなきゃいけないっていう使命感はありましたよ。でもそれを自分で言ったらマンガでしょう?

 あと、当てつけみたいな気持ちはありました。これまで威勢のいいこと、偉そうなこと言ってた人間たちがビビってたんで、『よし、じゃあ俺が行ってきてやる』みたいな。

(1Fに向かう)バスの中、みんな青白い顔して泣きそうなんです。話しかけられる雰囲気じゃなかった。でも俺、わくわくしちゃって、みんなを写メしてました。20代とか、若いヤツらのほうが元気だったですね。みんながみんなじゃないけど、歳をとればとるほどブルってたですね。なにかあっても死ぬだけなのに。ぼちぼち1Fも落ち着いて、いまになって復活してきたゾンビもいるけど、『あんた、あの時バックレたよね?』って言いたいです」

 佐藤の話はどこまでが本気で、どこまで冗談なのか、簡単には判断が付きかねる。修羅場を経験した一時のテンションが、彼を調子づかせている可能性はある。それだけ、水素爆発直後の1Fは悲惨だった。自衛隊に退避命令が出され、住民たちを置き去りにしていったほど、一帯は放射能に汚染されていた。ヒロイズムに酔いしれている可能性を考慮し、佐藤のインタビューには時間をかけた。まる一日原発のことには触れず、酒を飲み、ソープをハシゴし、馬鹿話をした。

放射能を吐くゴジラ

 佐藤がようやく話し始めたのは、出会いから1カ月ほど経ったある夜からだ。その日の夕方、JR湯本駅の近くの居酒屋でビールを数杯飲んだ後、歩いて5分ほどの距離にある居酒屋で痛飲した。

「俺、ここにボトル入ってるんで安く飲めるんです!」

 そう言われて入店したのに、佐藤は自分がなんという名前でボトルをキープしたのか忘れていた。仕方がないので新しく芋焼酎のボトルを注文し、「がんばっぺ、いわき」とピンクの文字でプリントされたTシャツを着ているホステスたちを相手に吞み始めた。最初からペースが速く、1時間もしないうちにこちらが潰れ、ホステスにも犠牲者が出た。

 不覚にも1時間ほどボックス席で爆睡していたら、夢の中で『湘南乃風』がきこえてきた。ふと我に返り目を覚ますと、マスターから借りたアロハシャツ姿でマイクを握りしめ、熱唱する佐藤の姿が目に入った。

「はっはっは、鈴木さん、やっと起きましたか。てんでだらしないですね」

 そのまま2人で肩を組み、腕を振り上げながらカラオケを熱唱する。クーラーがガンガンに効いた部屋なのに、額に汗がにじむ。

「暑い!」

「まだまだ、1Fの暑さはこんなもんじゃないですよ」

 30分後、私は佐藤を担ぎ、必死で旅館の駐車場まで運んだ。足がぱんぱんで、もう一歩も進めず、アスファルトの上に佐藤を降ろす。

「佐藤さん、大丈夫? 歩ける?」

「コーラ飲みたい。飲めば復活する」

 フロントでコカ・コーラのペットボトルを買って駐車場に戻ると、佐藤は胃の中の酒をすっかりはき出していた。口から出た吐瀉物(としゃぶつ)が坂道に沿って広がっており、まるで放射能を吐くゴジラである。こちらも酔いが回っていたので、思わず笑ってしまった。

「佐藤さん、大丈夫? 喉に詰まらせたら死んじゃうよ。放射能じゃなく酒で死んだらかっこ悪いじゃん」

「コーラ……放射能に効くんだってさ。これ飲んでまた明日1Fに行く」

 コーラが放射能に効くというのは、完全なる勘違いである。それは膣内射精した後、コーラで洗浄すれば避妊できる……という中学生レベルの話に近い。

 ただ、強がっている佐藤にも、少しは恐怖心があるんだろう、と感じた。夜空の月に雲がかかり、まるで吐瀉物まみれの佐藤のようだった。

佐藤の告白

 以降、佐藤はたびたび自分の身の上話をするようになった。

 吐くまで飲んだ仲……という陳腐な事実が、佐藤にとって心を打ち明ける一線だったのかもしれない。幼稚な体育会系の精神構造は、しかし、原発作業員としては、スタンダードだろう。よく言えば頭ではなく体で語り合うタイプ……行動が伴わず、口だけの人間を佐藤は嫌う。

 客観的に観ると、それは過剰な不信感だった。死の危険を顧みず1Fで作業したという事実が、彼のプライドを増幅しているのだろう。取材対象としては極めて面倒でやりにくい。自分と同じ目線まで降りてこない限り、どこまでも話をはぐらかし、相手を小馬鹿にするからだ。

 少年時代はよくいる不良で、これまたありがちな大人社会―具体的に言えば父親に対して反抗していたという。両親からの𠮟責には耐えられたのに、大好きだった祖父母から「まともな人間になれ」と怒られたことが引き金となり、カッとして家を飛び出した。毎晩、違法改造のバイクで暴走し、近所の噂になっていたことをとがめられたのだ。

 ただし金はない。友達の家に転がり込んだ。

「親父だけに言われるなら……まだ堪えられたんだけどね、おじいちゃんとおばあちゃんからも、親父と同じこと言われてイラッとしちゃって。不満が溜まってたから、本当の原因は親父ですね。なにかしたいと気持ちばっかり焦って、でもうちの父親が働かなくて。親父……いま何してるか、生きているかどうかさえ知りません。

 ガキの頃、憧れた職業ですか? 親父みたいになりたくない、とにかく金持ちになりたかったですね。内容はどうでもいい、金に困らない生活をしたいって。金が必要だったけど、原発で働こうという未来予想図を持ったことはなかったです。卒業文集の将来の夢の欄に『原発作業員』って書く子供なんて気持ち悪いでしょ(笑)。

 友達のお母さん……すっごく優しかったです。一年近くブラブラして、家に住み着いてしまったのに、毎日ご飯作ってくれて。こりゃあ俺もブラブラ遊んでらんねぇな、って思った。暴走族とか、まぁ、それなりに楽しかったんだけど、友達のお母さんに悪いなって、仕事探したんですよ。先輩に『働きたい』って相談した先が原発をやってる会社で。とんでもないとこだったですけどね。まともなヤツなんて一人もいない。インチキばっかりなんですよ。なんかあったら、全部部下の責任にして……」

 よくある上司の愚痴は、佐藤の言い分だけを聞く限り全面的に正しい。少年らしい、青臭い理想論のウラを取るほど、こちらもヒマではないので全面的に肯定して話を訊いた。

 上司にぶち切れ、会社を辞めた佐藤を、いまの社長が拾ってくれたという。つまり佐藤が原発で働くことになったのは成り行きである。その割に、こちらが恥ずかしくなるほど、彼はいまの社長をべた褒めする。たとえば、弟と妹の進学にあたり、実家に金が必要になったとき、社長が黙って50万円を用意してくれたエピソードは、もう10回は訊かされた。

「別に金に転んだわけじゃないんですけど、学校行くのを諦めようってときだったから、すっごく嬉しかったです。その後も、いろいろ面倒をみてもらって、まだ半人前だし、これまた不謹慎かもだけど、今回の事故でちょっとは恩返しが出来たかもしれないって思ってます。

 上会社からいくらもらってるか、そんなこと知らないし、知りたくもない。電力は一人当たりの日当をいくら出してるんですか? 現場じゃ、8万円とか50万円とか、いろいろ言われてますけど、みんな普段の2割増しくらいでしょ。鳶でも、溶接でも、鍛冶屋でも、たぶんそんなもんです。社長には『いっぱい儲けてくれ』って言ってあるんです。俺の日当は3万円もあれば十分ですって、そう伝えて。でも、(爆発した直後の)何日かは、20万円も(日当を)くれた」

 ということは、おそらく、彼は金持ちになりたいという夢を叶えたのだろう。これまで何度質問しても、給料だけは教えてくれなかった。乗っている車も、年相応の地味な国産中古車なので、実収入が読み切れない。

 ある夕方、午後6時、佐藤はすっかりできあがっていた。1Fの原発作業員は朝が早い。一般的なサラリーマンが帰宅し始める頃は、もうとっくにできあがっている。

 酔いが回った彼は「今月はなんだかんだで、母親に50万も仕送りしちゃった」と、自慢げな声で、ポーズだけの愚痴をこぼした。話したそうなタイミングに見えたので慎重に流れを読んで質問を重ねた。

「じゃあ、もうほとんど給料残ってないんでしょ?」

「まだまだいけます。あと倍はオッケーです」

 それから換算して、彼の月給は100万円越えだと推測し、こっちはもちろんウラをとった。などと書くとご大層だが、それは簡単な作業だった。佐藤が次のスナックで、財布に入っていた給料明細を見せてくれたのである。

「うそー、マジ?」

 名古屋からいわき湯本に流れ着いたホステスは、金額をみて目の色を変えた。

「結婚しよう」

「いいよ。式はどこで挙げる?」

「ハワイにしようぜ!」

「ほんと、マジ?」

「でもいわきの、ね」

 いわきのハワイとは、湯本の観光のメッカだった『スパリゾートハワイアンズ』のことだ。映画『フラガール』の舞台ともなったここは、一見するとそう被害がないように見えるが、中に入ると壊滅的な状況を呈している。当時、急ピッチで新しいビルを建設中で、この頃、いわき湯本インターを降りると、巨大なクレーンが見えた。フクシマ50とホステスが、ともに本気だったとしても、二人の夢が叶うのは、物理的に2012年2月8日のグランドオープン後ということになる。もちろん、まだまだ1F事故は収束しない。新郎の休みが取れないので、夢の実現はさらに先だろう。

 それでも佐藤は十分に満足している。

「おじいちゃんとおばあちゃんが、近所に『うちの孫はフクシマ50だ』って自慢してるんだって聞いて、俺、すっごく嬉しくて」

 佐藤は世間が放射能におびえる中、幸せの絶頂にある。なんとも皮肉な話である。

 「一度、原発で働いた奴は帰ってくる」作業員を離さない原発の旨味 

文春オンライン 2021年3月9日(火)17時12分配信/鈴木智彦

東電を本気で批判する作業員は少数

 ソープの他、毎日、誰かを誘って飲みに出た。相部屋で本音を聞き出すのは無理だし、酒が入れば自然と口が軽くなる。何人かに話を訊くうち、ようやく作業員の実像がみえてきた。彼らが日本のために尽力していることは事実である。が、これだけの事故が起きても、東電を本気で批判する作業員は少数だ。

「なんもかんも津波が悪い。あんなに大きな津波が来るなんて誰も思わないっぺ」

 上会社の責任者は、東電の言う“想定外”という言葉をそのまま繰り返した。

「原発は安全だ。事故は仕方がなかった」

 もちろん、細かい部分での不満はたくさん訊いた。が、原発で飯を食っている人間にとって、東電は神様的存在であり、生活を支えてくれる恩人なのだ。3月のようにきわめて線量が高かった時分ならともかく、私が勤務した7月、8月に関していえば、作業員たちの多くはこれまでの人間関係のしがらみ、もしくは金のために現場に出ていたように思う。その点、普通の労働者と変わりはない。

「本当はもう辞めようと思ってたのよ。重機の免許もあるし、二種免も持ってるから、他の仕事に就こうと思ってた。でも社長から電話もらって、金もいいし、今更他の仕事さがすのもしんどいし」(40代の作業員)

 彼自身、被災者であり、津波で自宅を失った。20キロ圏内にある地元には帰れないため、とある仮設住宅に入居しているらしい。1Fで勤務しているため、自宅に戻る必要はないが、義援金をもらうため週に1度は仮設住宅に戻らねばならない。これまで国産の大衆車に乗っていた彼は、私が勤務した1カ月後、高級外車に乗り換えた。

「さすがにこんな車で仮設住宅に戻れねえかんな。車はしばらくここ(旅館)においとくわ」

一度原発で働いたヤツはやっぱり原発に帰ってくる

 彼のみならず、旅館の駐車場に停めてある作業員の車は、次第に高級車へと代わっていった。現場作業を終え、Jヴィレッジに戻った際、タイベックを脱ぎ捨てたあと、体育館でサーベイを受けるが、そこにあった貼り紙にも「3月に小名浜コールセンターにて、身体サーベイをされたおりにスクリーニングレベル超えで作業着と共に『車の鍵(メルセデスベンツ)』を回収された方を探しております。お心当たりのある方は、Jヴィレッジ総務班にお越し下さい」とあった。

「一度原発で働いたヤツは、なんだかんだいってもやっぱり原発に帰ってくるんだ。もう他では働けない。いまさら野丁場(のちょうば=一般的な建築現場)には戻れない」

 同じ現場に配属された下請けの親方の言葉は、原発作業員の心情を端的に表している。

コツさえつかめば耐えられる原発での作業

 相変わらず使えない作業員ではあっても、次第に体が慣れてくると、1Fでの作業はうまみが多いと感じるようになった。暑さもさほど辛くない。装備を着込み、全面マスクを装着して現場に出ると、作業に夢中になってしまい暑さを感じる余裕がないのだ。

 作業後、必ず汗だくになるので、想像以上の暑さであることは間違いないが、私のように不摂生な生活を送り、さほどタフではなく、肉体労働をほとんどしたことのない人間でもコツさえつかめば耐えられる。溶接を担当する作業員は、タイベックの上にもう1枚つなぎを着るのでしんどいだろうが、彼らも作業に没頭しているときはさほど暑さを感じないという。

 線量も想像以上に低いし、現場を出たくないという声を何度も聞いた。もちろん私は東芝系列の作業しか体験していないので、他の部署のことは分からない。

 1Fの復旧作業はあちこちから同時並行で進められていた。

 6つの原子炉は、1号機が米GE(ゼネラル・エレクトリック社)で、2・6号機がGE・東芝連合、3・5号機が東芝、4号機が日立製作所が主契約者である。暴走した1~4号機の炉心にはまだ手が付けられず、遮蔽された特別製トラックから遠隔操作ロボットを操り、専門部隊がメルトダウンした原子炉建屋の中の放射線量を調査・除染していた。汚泥や瓦礫を撤去し、道路などのインフラを整備したり、これ以上の放射性物質を拡散させないためのカバーを設置する準備も進んでいた(10月14日、1号機に設置)。絶え間なく冷却水を送り込み、汚染された水を浄化し、必要によっては敷地内のあちこちに設置されたタンクに移送する。私が就職した上会社は、この汚染水処理の一部を担当している。

東電やメーカーは現場の殿様だった

 たくさんの企業が参加しているため、1Fには東芝のシェルターの他、作業員の拠点がいくつかある。すぐ隣にはカバー作業員用プレハブ休憩所(竹中JV)があり、その反対側の企業センター研修棟、企業センター厚生棟にも2カ所の休憩場所がある。敷地内には正門休憩所をはじめ、野鳥の森近傍休憩所、日立・GE休憩所、海沿いには五洋建設の作業船休憩所、1号機の近くには原子炉建屋カバー工事休憩所、ヘリポート脇のコンテナハウス、旧緊対室休憩所、(汚染)水処理整備制御室・運転員休憩所、免震棟前には、2工区、3・4工区休憩所、5、6号機のサービスビル1階の休憩所は7月1日から緊急医療室として活用されるようになり、24時間態勢で医者が待機していた。私が就職したプラントメーカーより、瓦礫撤去や建物の復旧にあたっている作業員のほうが、きつい労働だったと思う。

 が、プラントメーカーの作業員たちは、こうした単純労働者を蔑視していた。自分たちが原発の中心にいるという誇りがあるからだろう。上会社の社員の1人は、敷地内で建築作業の人間をみかけるたび、「この土方が。邪魔なんだよ。どけよ」と暴言を吐いていた。背中に日立のシールを貼っている作業員をみても「おっ、敵だ。邪魔してやろうか」と冗談を飛ばしていたから、単に口が悪いのだろう。ただ、現場には厳然とした階級があった。内部資料を見せられたとき、東電と東芝には“殿”という敬称が付けられていた。実際、東電やメーカーは現場の殿様だった。

労働時間が短く、わがままが通り、衣食住もタダ

 当時、プラントメーカーの仕事は、汚染水処理が中心だった。前述したようにまだ本丸には触れられないため、毎日の被曝量も低い。平均すると0.06ミリシーベルト程度で、実働時間が1時間に満たない日もあった。

 被曝量が少ない上、日本のために尽力しているという誇りを持てる。1Fのすぐ近くにある広野火力発電所や福島第二原発に比べ、労働時間が短く、わがままが通り、衣食住もタダだ。Jヴィレッジで食料を配布していることは前述したが、このほか、プラントメーカーからも昼食は出される。危険に見合う額とは思えないが、どんな職種であっても、日当は最低、2割程度高く、贅沢さえしなければ、給料のすべてを使わずに済む。

 私の上会社では勤務時間の改ざんも行われていた。目撃したのは汚染水貯蔵タンク施工の安全講習が行われた時で、講習自体は午前中で終わった。事務所に戻ってくると、所長は自分の分だけ女性事務員にインスタントラーメンを作らせ、空腹の作業員からブーイングを浴びていた。帰宅できないのは、本日の講習を受け、レポートを提出しなければならないからで、それも1枚の見本を丸写しするという作業だった。2人の若い社員が答案をせっせと丸写しするのをみて、私もそれを手伝った。それも昼過ぎには終了し、所長はプラントメーカーに対する業務報告書を書き始めた。

「どうすっぺかな。午後4時半頃にしとくか」

「お昼には終わってるのに、なぜ4時半までかかったって書くんですか?」

「馬鹿言うな。(そうしないと1日分の)金がもらえないだろ」

 この上会社はプラントメーカーを変えたことがなく、その一途さが評価されていた。協力企業で構成する親睦会の会長となったこともあり、まさに蜜月関係にあった。メーカーがこうした実態を知っている可能性はある。

セシウムスイカとダチョウ狩り

 報告書が書き上がる寸前、下請け作業員の1人が冷蔵庫から凍ったスイカを取り出してきた。

「これ、4号機の脇で作ったスイカだ。3号機ではメロンを植えてたな。汚染水はあちこちにいっぱいあっかんね。それで育てた。セシウムスイカだ」

 日の当たっているアスファルトにスイカを置いて解凍した。テーブルに置いても、スイカを食べたのは取り出した本人と私だけだ。育ちが早く、すぐ収穫出来たらしい。スイカは異様に甘かった。放射能の影響なのかは判然としない。

 ダチョウ狩りに出かけたこともある。狩るといってもシューティングの道具はカメラだ。狩りには現場作業が早めに終わり、会社の事務所整理を手伝った際に行った。

「大熊町の民間農場で飼育されていたダチョウが震災によって逃げだし、大熊町内をうろうろしてる」

 同僚から話を聞いたときは嘘だと思った。調べてみると、元々1Fのマスコットとしてダチョウを飼育していた時期があったと知った。ごく少量のウランから膨大なエネルギーを生み出す原発を、少ない餌で飼育出来るダチョウに重ねたためで、その後、農園の経営者が引き取ったという。避難する際、経営者が檻を開け放ったとも聞いたが、当人が見つからないので、正確な事情は不明だ。

 その後、シェルターにダチョウを追い回す上会社のリーダーの写真が貼られた。タイベックを着込んだ人間とのツーショットは、なんともシュールで作業員の爆笑を誘った。どうやら特段苦労せずとも会えるらしい。カメラと一緒にペットフードも持参した。津波によって駅舎が失われた富岡駅付近を探したが、なかなか会えなかった。

 犬や猫、牛などは頻繁に目にした。その度にペットフードを置いた。みな痩せている。かつては艶々した毛並みだったろう洋猫は、所々毛が抜け、まだら模様になっていた。

 お目当てのダチョウには、無人の住宅街で見つけた雑種犬に、餌をやっている最中に遭遇した。路地から突然現れ、我々の車を見たまま動かなかった。油断して車に置きっぱなしのカメラを取るため、ゆっくり後ずさりした。物音を立てないよう静かにドアを開けたつもりだが、ダチョウはカメラを構える前に逃げていった。かなり痩せていた。このまま野生化すれば危険と見なされ、安楽死させられるかもしれない。

 

2021年2月14日 (日)

【震災から10年】13日23時7分✍最大震度6強(M7.3)余震が発生!!

 大震災から10年  経過して起きた最大震度6強余震

Yahoo!コラム 2021年2月14日(日)15時30分配信/福和伸夫(名古屋大学減災連携研究センター長)

沈み込むプレート内でM7.3の地震が発生

 東日本大震災を起こした2011年東北地方太平洋沖地震が発生してから、あと1か月弱で10年を迎えます。そんな中、2月13日23時7分、福島県沖の深さ55でマグニチュード7.3の地震が発生しました。最初に地震波を検知して10秒後には緊急地震速報(警報)が発せられました。最大震度は、宮城県の蔵王町、福島県の国見町、相馬市、新地町で観測された震度6強でした。

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 気象庁は、東北地方太平洋沖の余震と考えられると発表しました。東北地方太平洋沖地震の震源域の近傍で起きた地震で、沈み込む太平洋プレート内の上面近くで起きた地震でした。震源がある程度深かったため、津波は観測されたものの大きな津波被害は報告されていません。

減りつつある東北地方太平洋沖地震の余震

 大きな地震では地震後に規模の大きな余震が数多く発生し、時間と共に減少します。1891年濃尾地震の時に大森房吉が余震の回数を調べて法則性を見つけました。余震の大森公式と呼ばれています。東北地方太平洋沖地震はM9.0ものの超巨大地震ですから、M7を超える余震が多数発生しており、13日の地震を含め11個あります。地震発生当日の3月11日に2回、4月に2回、その後、7月、12月と1回ずつと2011年に6回起きました。さらに、2012年、2013年、2014年、2016年、2021年に各1回ずつ発生しました。徐々に、時間間隔は長くなっていますが、今後も起きる可能性がありそうです。

観測された揺れの強さ

 気象庁の震度観測点では、福島県・宮城県の広域で震度6強~6弱の強い揺れを観測しました。防災科学技術研究所が運用する強震計のK-NET・KiK-netでは、宮城県山元町の観測点で最大加速度1432ガル(三成分合成値)を観測しています。重力加速度を上回る強い揺れです。ただし0.3秒程度の短い周期が多い揺れでしたから、建物への影響は少なかったと思います。

 一方、長周期地震動については、福島市松木町で長周期地震動階級4を観測したのを始め福島県と宮城県では広域に2~3を観測しました。福島市の揺れは1~2秒の成分が多かったようですから、10階~20階建てのビルに居た人は、恐怖を感じたと思います。また、首都圏でも1~2を記録しましたから、高層マンションや高層ホテルの中に居た人たちは、大きな揺れを感じたと思います。

主な被害

 震度6強の強い揺れでしたが、幸い、犠牲者の報告はなく、建物損壊はあるものの倒壊家屋はなかったようです。10年前の地震で耐震性に問題のある建物が減っていたせいかもしれません。ですが、室内の被害やエレベータの閉じ込めなどは発生したようです。

 平成時代には、同じM7.3の地震として1995年兵庫県南部地震、2000年鳥取県西部地震、2016年熊本地震があり、多くの被害を出しましたが、これらの内陸直下の地震と比べ、海の地震は震源が離れているので、被害は少なめです。これは、M7.3だった東日本大震災の前震のときとよく似ています。

 ライフラインに関しては、地震直後には、東北電力や東京電力などの太平洋岸の火力発電所が自動停止し、東京電力で86万戸、東北電力で10万戸が停電しました。ですが、電力システムに大きな被害がなく、他電力からの電力供給もあって、14日午前中には概ね停電は解消されました。JRなどの鉄道も東北地方を中心に広域に運転見合わせが行われました。東北・秋田新幹線は本日も見合わせのようです。都市ガスは供給が継続されていますが、一部の地域で工業用水が停止したようです。

土砂崩れと心配される低気圧による大雨

 テレビなどでは、常磐自動車道などの土砂崩れ被害が報道されています。

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 過去の地震でも強い揺れを受けると土砂災害が多数発生します。とくに水を含んだ地盤は災害に結び付きやすいです。明日15日は被災地では強い雨が予想されており、揺れで緩んだ地盤が心配です。このため、14日に、気象庁は大雨警報や注意報の基準を下げて運用することを、国土交通省も土砂災害警戒情報の基準を引き下げて運用することを決めました。強い揺れに見舞われた地域では、厳重な警戒をして頂きたいと思います。

地震発生の長期評価

 政府地震調査推進本部は日本海溝沿いでの地震発生の長期評価を発表しています。過去、この地域では、500~600年に一度M9クラスの地震が、100年に一度M8クラスの地震が、そして数十年に一度M7クラスの地震が起きたようです。福島県沖でのM7クラスの地震発生の平均間隔は44年程度のようで、今後30年間の地震発生確率は50%と評価されています。ちなみに、お隣の宮城県沖は90%、茨城県沖は80%と評価されています。何れも高い確率です。今後も、今回と同様のM7クラスの大地震への警戒が必要だと思われます。

 また、東日本大震災や2016年熊本地震の2日前に規模の大きな前震があったことも忘れないでおきたいと思います。南側にはまだ地震が起きてない場所が残っています。また、東北地方太平洋沖地震の震源域の北側の千島海溝沿いでは、M9クラスの地震発生が30年間で7~40%と評価されていることにも注意しておきたいと思います。

 昨年は震度6弱以上の地震は発生しておらず、最大震度6強の地震は、2019年6月18日に起きた山形県沖の地震以来20か月ぶりです。東日本大震災10年を前に、あの時の甚大な被害を思い出し、改めて地震をわがことと思い、気を引き締めて対策をしてきたいと思います。

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 震源が深かったM7.3でも“津波警報”発令されず 

読売新聞オンライン 2021年2月14日(日)1時16分配信

 今回のマグニチュード(M)7・3(暫定値)の地震では、震源に近い福島県などの沿岸部に津波警報や注意報が発令されなかった。

 東北大の今村文彦教授(津波工学)は、「震源の深さが大きく影響した」と指摘する。気象庁によると、東日本大震災の震源は深さ24キロ・メートルだったが、今回の地震では約55キロ・メートルと推定。震源が深いと海底が変形しにくいため、大きな津波が起きないとされる。

 政府地震調査委員会の平田直(なおし)委員長(東京大名誉教授)は、「東日本大震災の余震と考えられる。この地域ではM7級の地震の後、もう一度強い地震が起きる恐れがある。揺れが大きかった地域では、建物に被害が出て耐震性が落ちているケースがある。『これで終わり』と考えず、より一層の注意が必要だ」と警戒を呼びかける。

東日本大震災の余震、専門家「巨大地震連動発生への備えを」

FRIDAY DIGITAL 2021年2月14日(日)12時32分配信

 キューッ! キューッ!

 2月13日深夜11時過ぎ、スマートフォンのアラームがけたたましく鳴り始めた。直後から激しい横揺れ。しばらく大きな揺れは収まらず、棚から段ボールが落ち、テーブル上の食器が倒れる。布団の中でウトウトしていた記者は、慌てて飛び起きた。横で寝ていた妻が叫ぶ。

「NHK! NHK!」

 テレビのスイッチを入れると、映し出されたのは東日本の地図だ。地図上には無数の数字が。記者が住む東京都内は「4」。福島県や宮城県の広い範囲で、震度6強が示されている。地震の規模を示すマグニチュードは、7.3だという(16年4月に起きた熊本地震と同程度)。福島県富岡町で、漁業を営む石井宏和氏が振り返る。

発生直前の不気味な予兆

「直前に、ゴゴゴゴ……と不気味な地鳴りがしたんです。直感的に『あっ、これは大きいのが来るな』と思いました。揺れは予想以上に大きかったですね。2分近く続いたと思います。神棚が倒れ、強い恐怖を感じました」

 宮城県仙台市内のアパートでは、2階の通路が崩落。福島県相馬市の常磐自動車道では土砂崩れが発生し、70mにわたり道路が埋まった。宮城県塩釜市では県営住宅から火災が発生。東北、関東地区で100人以上のケガ人が出ている。

 11年3月に発生した東日本大震災から、間もなく10年ーー。気象庁によると今回の地震はその余震で、1週間ほどは同程度の揺れに注意が必要だという。だが、危険なのは東北地方だけではないようだ。

 地震学が専門で、武蔵野学院大学特任教授の島村英紀が警鐘を鳴らす。

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「今回は東日本大震災の余震ですが、震源は福島県沖です。本震の震源地(宮城県の三陸沖)から、かなり外れています。つまり本震を抑えていた『とめ金』が外れ、地震の力が外側に向き始めたと考えられるのではないか。

 地下ではプレート同士が押し合い、バランスを保っています。しかし1ヵ所で『とめ金』が外れバランスが崩れると、巨大地震も連動する恐れがある。これまで東北沖で起きていた揺れが、関東や中部、さらには南海沖にまで波及する可能性も視野に入れておかなければならない。

 ただ、今の地震学では連動地震がいつ起きるか正確な予測は不可能です。明日起きるかもしれないし、数十年後かもしれない。危険な状態がしばらく続くことを意識して、まさかの事態に備えるのが大切です」

 日本列島はいくつものプレートの境上にあり、いつ巨大地震が起きてもおかしくない。東日本大震災の直前にも、今回と同程度の地震が起きていることが指摘されている。懐中電灯や非常食の常備など、常に避難の準備をしておき、防災と減災、いずれも進めておく必要があるだろう。

 福島宮城震度6強逆断層型長周期地震動最大階級 

毎日新聞 2021年2月14日(日)8時58分配信

 13日夜に発生したマグニチュード(M)7.3の強い地震で宮城県と福島県では最大震度6強を観測したが、震源の福島県沖は専門家が「もともと地震活動が活発な地域だった」と指摘する地域だ。気象庁は「今後1週間程度は、最大震度6強程度の地震に注意を」と呼びかけており、十分な警戒が必要だ。

 13日夜の地震は、深さ55キロの太平洋プレート内で発生した。地殻を東西に圧縮する力が働き、断層が上下方向にずれ動いた「逆断層型」の地震とみられる。震源は東日本が乗っている北米プレートとの境界より15キロほど深く、大きな津波が発生しなかったとみられる。

 発生地点は、東日本大震災の地震の震央から南西に110キロ離れた地点。気象庁は岩手県沖から千葉県沖の「余震域」で発生したM9を下回る地震を「余震と考えられる」としている。このため今回の地震も余震との見解を示した。

 大震災以降、余震域でM7を超えた地震は前回、16年に発生しており、今回で12回目だ。12回のうち7回は11年に起きており、気象庁は「余震は次第に減っているが、大震災以前に比べると地震の多い状態が続いている」と注意を促す。

 東京大地震研究所の古村孝志教授(地震学)によると、福島県沖で1938年にあった群発地震では2日間でM7を超える地震が3回起きたこともあり、もともと地震活動の活発な地域だという。古村教授は「40年周期で大きい地震が頻発している地域であり、東日本大震災を引き起こした地震がなくても、今回の地震が起きていた可能性もある。『余震』だからたいしたことはない、と楽観してはいけない」と話す。

 一方、今回の地震により、福島県中通りでは長周期地震動の揺れとしては最大の「階級4」を観測した。

 長周期地震動は、規模の大きな地震が起きた際に生じる周期の長いゆっくりとした揺れだ。階級4は「高層ビルなどでは立っていることができず、はわないと動くことができない。固定していない家具の大半が移動し、倒れるものもある状況」とされる。

 長周期地震動は13年に観測が始まった。階級4が記録された地震は、16年の熊本地震の計2回と18年の北海道胆振東部地震で、今回が4回目。震度の分布に比べ、長周期地震動は減衰しないで遠くまで伝わる特徴がある。それに加えて福島県中通りは地盤がやわらかく、影響が出やすかったと考えられるという。

 羽生結弦ら輩出のアイスリンク仙台 地震影響で営業中止 

スポニチアネックス 2021年2月14日(日)9時16分配信

 東北地方で13日夜に発生した強い地震を受け、アイスリンク仙台(宮城県仙台市)は14日、ホームページ上で「地震による影響で建物に損傷が発生したため、安全確認が取れるまでアイスリンク仙台の営業を中止させていただきます。スケート教室につきましてもお休みとなります。ご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします」と発表した。

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 アイスリンク仙台は14年ソチ、18年平昌五輪金メダルの羽生結弦(ANA)、06年トリノ五輪金メダルの荒川静香さんらを輩出。11年3月の東日本大震災で被災した際には、4カ月後の7月に営業を再開した。羽生はアイスリンク仙台への寄付を続けており、20年4月1日の発表では累計で2932万5864円に上っている。

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 ハマグリ大量打ち上げ、ボラの大群…昨年11月から宏観現象 

東スポWeb 2021年2月14日(日)0時28分配信

 宮城県南部や福島県で震度6強を観測する地震が13日午後11時8分ごろ、発生した。震源地は福島沖で、地震の規模はマグニチュード7・1とされる。昨年から太平洋では、宏観現象といわれる大地震の前触れとされる動物の異常行動が相次いで報告され、専門家の間では地震が警戒されていた

 太平洋では昨年11月11日に千葉・九十九里浜沖の約40キロにわたって、ハマグリが大量に打ち上げられる謎の現象が起き、同月22日に茨城・東海村で震度5弱の地震が発生していた。

 その後も宏観現象の一種とされる謎の現象は観測されていた。先月29日には千葉・銚子の君ヶ浜に正体不明の生物の死骸であるグロブスターが打ち上げられ、太平洋の海底でプレートが動くことにより、高周波が発生し、生物の方向感覚を狂わせた可能性が指摘されていた。

 また今月4日に東京・大田区呑川、8日には茨城・かすみがうら市の菱木川で、海水魚である大量のボラが川を埋め尽くすほどに遡上し、ニュースとなった。

 宏観現象と地震の関連性は科学的に明かされていないが、過去さまざまな地震で偶然とは思えない動物の異常行動や自然界での不可思議な現象が発生していることから研究が進んでいる。

 防災アナリストの金子富夫氏は「昨年6月から横須賀や神奈川での異臭現象、ハマグリの大量打ち上げ、ボラの大量発生があって、いずれも太平洋に面する場所で、宏観現象ではないかと心配していた矢先に大きな地震が起きた。2011年3月の東日本大震災の発生から10年を前に改めて、日本ではいつ大きな地震が起きてもおかしくないことを心掛け、コロナ禍でもあるので、より一層の対策をしてほしい」と話した。

仙台管区気象台、宮城沖との関連低い

河北新報 2021年2月14日(日)16時19分配信

 宮城県南部、福島県の中通りと浜通りで13日夜に最大震度6強を観測した地震を受け、仙台管区気象台は14日未明、記者会見を開き「今後1週間程度、最大震度6強程度の地震が発生する可能性がある」と注意を呼び掛けた。

 地震はマグニチュード(M)7・3で、福島県沖の深さ55キロの地点で発生。東日本大震災の余震とみられる。東北沖を震源とする最大震度6強の地震は、2011年4月以来。

 庄司哲也地震情報官は「大規模な地震の後は、10年後でも大きな余震活動がある」と説明。7年4カ月後にM8・6の地震が起きた04年のスマトラ沖地震(M9・1)の例を挙げた。

 地震は陸プレートに沈み込む太平洋プレート内部で起きた「逆断層型」。高い確率で発生が予想される宮城県沖地震について、庄司氏は「関連性は低いとみられるが、近い場所で発生している」と話した。

 今回の地震について、東北大の日野亮太教授(海底地震学)は「震源が深かったため海底の地殻変動が小さく、津波が発生しなかった」との見方を示した。

 福島県沖では、震災の影響でプレート境界がゆっくりとずれ動く「余効滑り」が継続。太平洋プレート内部で東西方向に圧縮する力が働き続けているという。

 太平洋プレート内部でも日本海溝の東側では東西方向に引っ張り合う力が働き、正断層型の地震が発生する。アウターライズ地震と呼ばれ、地上で観測する揺れは小さくても津波は大きくなりやすい。三陸沿岸に大きな被害をもたらした昭和三陸津波(1933年)の地震は、アウターライズ地震だったという。

 日野教授は「震災本震の影響が10年近くたっても弱まっていないことを示している。アウターライズ地震にも引き続き警戒が必要だ」と指摘した。

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 福島県沖地震の影響 常磐道“相馬IC~新地IC”法面大規模崩落 

ImpressWatch 2021年2月14日(日)16時21分配信

 NEXCO東日本(東日本高速道路)東北支社は、2月13日23時07分ごろに発生した福島県沖を震源とする地震により通行止めとしている常磐自動車道(E6)相馬IC(インターチェンジ)~亘理IC間について、本線脇のり面が大規模に崩落しているため、土砂などの排除作業を行なっていると発表した。

 被災箇所は相馬IC~新地IC間で、70×10×15m(幅×奥行き×高さ)約5000m3の規模。崩落土砂および岩塊を搬出中で、撤去作業完了後、大型土のう・ブルーシートの設置、舗装補修を実施し、早期の通行止め解除を目指すとしている。

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関連エントリ 2020/11/20 ⇒ 【異常気象?】千葉県<九十九里浜✍全域>大量のハマグリ出現!

 福島県沖地震、3日前にも南太平洋M7.7 東日本大震災や熊本地震でも類似の現象 

J-CASTニュース 2021年2月14日(日)18時28分配信

 福島県沖を震源とする、最大震度6強を観測とした2021年2月13日夜の地震。実はこの3日前の2月10日(日本時間)、南太平洋で大規模な地震が起きていた。

 2011年3月の東日本大震災の前は南半球のニュージーランドで、16年4月の熊本地震前には南太平洋で、それぞれ規模の大きな地震が起き、被害も出た。それぞれ因果関係は不明だが、不気味な現象だ。

ニュージーランドやバヌアツで

 マグニチュード(以下M)7.3が観測された福島県沖の地震。米国立気象局公式サイトの津波警報ページによると、10日にはオーストラリアの東に位置するニューカレドニア・ロイヤルティ諸島の南東でM7.7の地震が発生していた。最大で0.78メートルの高さの津波が観測されたが、14日現在被害は報告されていない。

 過去にも、似たようなことが起きている。2011年3月11日の東日本大震災の前、同年2月22日には、ニュージーランドでM6.3のカンタベリー地震(クライストチャーチ地震)が発生していた。この震災では、日本人28人を含む185人が犠牲となった。

 16年4月の熊本地震では14日と16日にそれぞれ震度7が観測され、273人の死者が出た。そして、その同月3日には、ロイヤルティ諸島北のバヌアツ諸島でM6.9の地震が発生していたのだ。

2~3日は規模の大きな余震注意

 バヌアツ諸島といった南太平洋地域で地震が発生し、続いて日本でも起きる。インターネット上では、「バヌアツの法則」なる言葉まで登場した。

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 しかし、武蔵野学院大の島村英紀特任教授(地震学)は2016年8月14日付の日刊ゲンダイデジタルの中で、「バヌアツと日本の地震に関連性があるかは分かりません」と指摘している。バヌアツと日本では距離が遠く、双方の地震がどう影響し合っているか解析するには時間がかかるという。

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 一方で「ただ、バヌアツは太平洋プレートで日本とつながっているので、バヌアツ付近で大規模地震が頻発しているということは、日本でも同規模の地震が起きる可能性はあるわけです」としている。

 今回の地震を受け、気象庁は21年2月14日未明に「揺れの強かった地域では、地震発生から1週間程度、最大震度6強程度の地震に注意してください。特に今後2~3日程度は、規模の大きな地震が発生することが多くあります」と呼びかけている。

 トレンド入りした人工地震は本当にあり得るのか

東スポWeb 2021年2月15日(月)6時15分配信

 来月11日で東日本大震災から丸10年となるなか、13日夜に東日本で発生した地震に肝を冷やした人も多かっただろう。福島県沖を震源とするマグニチュード7・3の地震で、福島、宮城両県で最大震度6強を観測。関東でも最大震度5強を観測した。そうしたなかツイッターでは「人工地震」という言葉がトレンド入り。そこで本紙は、政府機関である地震調査研究推進本部に問い合わせたところ、何と人工地震は、10年ほど前まで日本でも実際に行われていたという――。

 福島県で震度6強以上の揺れを観測するのは、2011年3月11日の東日本大震災で震度6強の揺れを観測して以来。気象庁によると、今回の地震は東日本大震災の余震とみられ、今後1週間は震度6強程度の地震に注意が必要としている。

 久しぶりに強い揺れの地震があったことで、ネット上でも地震に関するニュースが次々に更新されるなど、警戒態勢が続いている。

 そんな中、ツイッターでは「人工地震」がトレンド入りした。

 一部で「政府が意図的に起こした地震ではないか」などと書きこまれたためだとみられるが、これにネット上では「そんなことできるわけない」「人工地震は陰謀論だ」などさまざまな意見が上がった。

 中には「確かに人工地震がトレンドになったことでオリンピック森氏の問題や菅首相の息子の件などがトレンドから消えたのは事実」といった声も上がった。

 地震の調査や研究に関する業務を行っている地震調査研究推進本部のホームページによると、人工地震はこう説明されている。

「火薬の爆発、おもりの振動、圧縮空気の膨張などを震源として使用し、人工的に発生させた地震のことをいいます。人工地震により発生させた地震波を解析することにより、地下構造を調べることができます」

 同本部は文部科学省に設置されている政府の特別機関。1995年の阪神淡路大震災を契機に設立された。

 本紙が同本部関係者を取材したところ、「十数年前までは、実際に地下構造を調べる目的で人工地震を起こして調査したことがあった」と回答。ただ人工地震の場合、今回の地震のように強い揺れにはならないという。

「人工地震の場合、揺れは小さいので、ほとんど生活には支障が出ないが、事前に地域住民に知らせたりはする。今回の地震のような強い揺れが起こることはない」

 ネット社会においてSNSでの情報収集は当たり前となっているが、自然災害時は特に冷静な情報収集を心がけたい。

 

2020年3月11日 (水)

【震災から9年】今年は「武漢ウイルス」で<追悼式典>中止。

安倍首相、震災の教訓風化させぬ官邸で献花式、追悼式典は中止

時事通信 2020年3月11日(水)16時03分配信

 政府は11日、東日本大震災から9年を迎え、首相官邸で献花式を執り行った。

 安倍晋三首相は追悼のあいさつで「大きな犠牲の下に得られた貴重な教訓を決して風化させてはならない。国土強靱(きょうじん)化を進め、災害に強いふるさとを創り上げていく」と誓った。

 首相は、14日に9年ぶりに全線開通するJR常磐線などに触れつつ、「被災地の復興は着実に進展し、総仕上げの段階に入っている」と強調。一方で仮設住宅での避難生活も続いているとして、今後も被災者の生活再建を支援していく方針を示した。

 献花式には首相のほか菅義偉官房長官、武田良太防災担当相、田中和徳復興相ら約20人が出席。地震のあった午後2時46分に黙とうをささげた。

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国立劇場(東京都千代田区)で行う予定だった政府主催追悼式は直前に中止が決まった。首相は「ぎりぎりまで模索を続けたが、現下の状況を踏まえ断念するのやむなきに至った」と語り、遺族らに陳謝した。

 毎年、東京都内で開催してきた追悼式について、政府は10年の節目となる来年を最後とする方針だ。 

新型コロナで「休校しかったのか安倍晋三首相が参考にした100年前のスペイン風邪、当時の報道を探ってみた

西日本新聞 2020年3月10日(火)11時03分配信

 「新型コロナウイルスの感染拡大を受けた全国休校要請の決断について、安倍晋三首相は約100年前に流行した『スペイン風邪』の対応を参考にしたと国会で答弁していた。当時のことを知りたい」という声が西日本新聞「あなたの特命取材班」に寄せられた。西日本新聞の前身「福岡日日新聞」と「九州日報」の当時の新聞記事を掘り起こすと、二つのウイルス禍の類似点と相違点が見えてきた。

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 〈悪性の感冒猖獗(しょうけつ) 南阿にては死亡者数千 馬来(マレー)半島にも蔓延せり〉(1918年10月25日付・九州日報)

 この記事は、南アフリカ付近で流行する悪性感冒(スペイン風邪)の感染者が東南アジアのマレー半島に広がっているとして、〈同地方との往来船舶に就(つ)いては警戒中にして若(も)し本邦に病毒を輸入するに於(おい)ては一大事なるを以(も)って 予防上に注意を払われたし〉と報じている。

 東京都健康安全研究センターの「日本におけるスペインかぜの精密分析」(2005年)によると、スペイン風邪はA型インフルエンザ(H1N1型)で、第1次大戦末期の1918年以降、全世界で当時の総人口の約3割に当たる約6億人が感染。2千万~4千万人が死亡した。

国内では1918年10月上旬から全国に感染が拡大

 〈世界的の感冒 世界各地に流行し多数の死亡者を出す所あり 日本のは軽いが油断すな/悪性感冒益々猛烈 各地小学校の臨時休業〉(10月27日付・九州日報)

 国内では1918年10月上旬から全国に感染が拡大した。九州日報によると、福岡県では最初の患者が10月10日に筑紫高等女学校で発生。同県内の患者数は約1カ月間で56万9960人に激増し、うち4399人が死亡した。

 〈暴風の如(ごと)き悪性感冒 各地を吹き捲(まく)りて勢ひ猖獗(しょうけつ) 学校は運動会修学旅行中止〉(10月30日付・福岡日日新聞)

 県当局が運動会や修学旅行を当分見合わせるように通知を出し、休校の状況や増え続ける生徒の患者数が連日報じられた。

 〈休校、休校 福岡市内外各学校続々襲(おそわ)る/魔の如く蔓延(まんえん)する悪性感冒/郵便も電報も配達に大影響 福岡郵便局の患者続出/電車運転減数/炭鉱も休業〉(11月3日付・福岡日日新聞)

さまざまな分野で影響が拡大

 学校にとどまらず、さまざまな分野で影響が拡大。経済にも深刻な影響が出始めた。この日の福岡日日新聞は〈全国各地方を襲いつつある流行性感冒は遂(つい)に弊紙工場部をも襲い欠勤者多数にて本日の弊紙は八頁(ページ)と為(な)すの已(や)むなきに至れり〉というおわびを掲載している。

 〈悪性感冒尚(なお)衰色なく人身漸(ようや)く不安に傾く 谷口知事更に予防告諭を発す〉(11月8日付・福岡日日新聞)

 当時の谷口留五郎・福岡県知事が6日に予防のための注意喚起を発表。〈他人と談話を為(な)す時は四尺(1・2メートル)以上を隔て、又または「マスケ」(マスク)を用い、自分が咳嗽(がいそう=せき)、噴嚔(くしゃみ)を為(な)すときは布片を以(もっ)て鼻、口を覆うべし〉といった現代のせきエチケットに通じる内容や、〈宿屋汽車汽船等に於(おい)て往々伝染することもあるを以(もっ)て本病流行中は止(や)むを得ざる場合の外は可成(なるべく)旅行を見合わす様努むべし〉と“旅行自粛”も呼びかけている。

 〈多人数集合の場所は病毒伝播の危険多きを以(もっ)て 止(や)むを得ざる場合の外は立ち寄らざるを安全なりとす〉という“不要不急の集会の自粛”や〈患者なき家に於ても常に室内を清潔にし空気の流通を良くし布団寝衣等は毎日日光にさらすを可とす〉という項目もある。

福岡都市圏の窮状

 発熱者の急増を受けてか、11月5日付の九州日報には〈流行悪性感冒で解熱剤や氷の高値〉という記事も。8日付の福岡日日紙面には〈夏の真っ盛りより氷の需要が多い〉とある。さらに9日付の九州日報は〈氷が毎日十八噸(トン)解(とけ)る 一市五郡の病家の需要に/料理待合旅館肉屋の冷蔵庫用の供給は悉(ことごと)く中止〉と福岡都市圏の窮状を伝えていた。

 この後も連日のように、各地で増え続ける患者や死者数が報告されていたが、11月中旬になると、記事が少しずつ減っていく。代わりに、11月11日に第1次大戦の停戦協定が発効し、出征していた日本兵の凱旋に沸く記事が増えていった。

 12月1日付の福岡日日新聞に〈感冒漸く減退 福岡県下の患者一時は六十万人に達す〉という小さな記事が載った後は、スペイン風邪の記事は徐々に見当たらなくなった。

一度は沈静化したスペイン風邪だったが…

 一度は沈静化したスペイン風邪だったが、翌1919年10月下旬から再び流行に転じ、20年1月に再びピークを迎えた。

 東京都健康安全研究センターによると、18年8月~19年7月の第1回流行期は、全国で約2117万人の患者のうち約26万人が死亡。一方、19年8月~20年7月の第2回流行期は、患者数は9分の1の約240万人だったが、死亡者数は約13万人に達した。

 20年1月7日付の九州日報は〈新年来ますます猛烈を極め〉として、八幡市(現北九州市八幡東区、同西区)の患者が1600人に達し、1~5日の死者が104人に上ったと報道。10日付では全国各地の日本軍師団での患者数が計1万2千人に上ることを伝えた。警視庁の動きと共に〈東京市民一斉に予防注射を行うことに決定せり〉とも報じている。

 九州日報は11日付で、福岡県の巡査教習所や筑豊地方の炭鉱で、流感がまん延していると警鐘を鳴らした。また〈小児が恐ろしい流行性感冒に罹(かか)らぬように又(また)罹った時〉の見出しで、九州帝大小児科部長の談話を紹介した。〈第一は一般の抵抗力を強くする事である〉として、食物に注意する▽適宜の運動をさせる-などと指摘。〈多人数集まるところに行かぬようにし〉〈素人療治で失敗する例が少なくない。其の中でも手盛りで解熱剤用いるのが最も危険〉などと注意を促している。

 15日付では〈大阪の流感猛烈〉の見出しで、大阪市が全小学校と幼稚園を10日間の休校としたと報じた。また16日付では、門司市の警察署長が映画館や劇場の館主に対して〈「予防口蓋」を着用せざる者は入場を拒絶すべき用訓示〉と、再び大勢の人が集まるのを制限するムードが高まったことを伝えている。

 17日付は最も記事が多く、九州日報は〈福岡市役所では一萬七千枚からの流行性感冒予防心得書なるものを刷って市内各戸に配布し予防大宣伝を行って居る〉〈火葬場の如きも市内公私合わせて十五竈(かまど)を有して居るが之が又毎日満員で、現在の調子で死亡率が増えたらやむなく棺を一日止めなければなるまいとの事〉と、差し迫った状況を伝えた。

 福岡日日新聞も福岡市の小学校児童の発祥状況を〈全生徒一万二千三百六十六人中患者八百七人〉と報道。〈警固、大名、大浜、呉服、奈良屋等は決して少数とは言うべからずしかも之が日を逐うて増加し居る〉と、福岡都心部でのまん延ぶりを伝えた。

 20日付の福岡日日新聞は、生命保険業界が〈流感と保険 戦争以上の打撃〉の見出しで〈一昨年冬季より昨年春季にかけての同病流行の為大打撃を受けたる生命保険界に之が為再び深甚の損害を受くるに至りたる〉として、〈小会社にありては打撃の程度鮮少にあらざるべしと〉と、経済への深刻な影響をうかがわせる。

死者数がピークを迎えたのは1月

 死者数がピークを迎えたのは1月だった。2月1日付の九州日報は〈終息に近づく〉との見出しで福岡県粕屋郡の状況を報告。〈患者二千七百五十人死亡者二百三十二人に達したるが流行の当初最も猖獗(しょうけつ)を極めし炭鉱地方に於いては其後予防注射の励行マスクの奨励等によりて只管其の予防に努めたる結果(略)漸次終息に向かえるもののごとし〉との見通しを報道した。

 14日付では、〈県下の流感ようやく衰ふ〉の見出しで記事を掲載。しかし文中では〈一般の警戒の方がだいぶ調子を下げて居るが病気の方はなかなか思う程衰えて居らぬ。県下では福岡、飯塚、後藤各署の管内などでは一日十名から十五六名の死亡者を出して居る〉とした。隣の記事では、全員が病に伏し生活に困っていた一家に対して、町民が浄財を募って寄付したという記事もある。

 その後、流感の記事は減少。しかし国内での流行は終息しておらず、5月14日付の九州日報は福岡県筑後地方で〈先月末より流行性感冒再燃し罹病者百五十余名に達し部落民中病(や)まざる者なきの有様〉と撲滅の難しさを伝えた。

新型コロナとインフルエンザの類似点と相違点は

 現代に戻り、世界保健機関(WHO)は6日付のレポートで、新型コロナウイルスとインフルエンザの類似点と相違点を列挙。新型コロナはインフルエンザに比べて▽感染拡大の速さは遅い▽子どもは大人に比べて感染リスクが低い▽重症化する割合は高い▽致死率は高い▽公認のワクチンや治療薬がまだない-と指摘した。人々の命を次々に奪ったスペイン風邪がまん延した100年前の記事と、現在の状況を比較すると、その指摘はうなずける。

 ただ、米ジョンズ・ホプキンズ大と中国深セン疾病予防コントロールセンター(広東省)などのチームは、新型コロナの子どもへの感染のしやすさは、全年代の平均と変わらないとする研究成果を7日までに発表。詳しい解明はこれからだ。

 物理学者で随筆家の寺田寅彦は、自然災害をめぐってこう書き残している。「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだ」

 コロナ禍を受けた今回の全国一斉の臨時休校要請や休業要請。日本の社会や経済、人心に大きな影響をもたらした政府の判断が正しかったのかどうか。後世の審判を待つしかないのだろうか。

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新型コロナの正体は“人工ウイルス”か「分子に見られる4つの不自然

夕刊フジ 2020年3月11日(水)16時56分配信

 ■ 生物・化学兵器の世界的権威・杜祖健氏 河添恵子氏と対談

 中国発の新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるため、安倍晋三政権は9日、中国と韓国からの入国制限を強化した。イタリアや韓国で、感染者や死者が激増するなど、世界は「パンデミック(爆発的大流行)」直前といえそうだ。こうしたなか、毒性学や生物兵器・化学兵器の世界的権威である、米コロラド州立大学名誉教授の杜祖健(アンソニー・トゥー)氏(89)が緊急来日した。台湾出身で、日本滞在中には安倍政権中枢との面会も検討されている。ユーチューブ「林原チャンネル」で8日、新型コロナウイルス問題を徹底追及してきたノンフィクション作家の河添恵子氏と対談し、未知のウイルスの最新情報や、日本の対応について語った。

 「世界(の専門家の間)では『人工的なウイルスだろう』という意見が多い」

 杜氏は、新型コロナウイルスについて、河添氏から「天然のものか? 人工的なものか?」と聞かれ、こう語った。

 1930年に台北生まれ。台湾大学卒業後に渡米、スタンフォード大学やイエール大学で化学研究に従事し、コロラド州立大学理学部で教鞭をとる。ヘビや植物の天然毒が専門で、80年代にはソ連の生物兵器開発について、毒物のデータベース作成などで米政府に協力した。

 オウム真理教による一連のサリン事件で、サリンの分析方法を警察当局に指導したことで知られ、2009年に旭日中綬章を受章した。

 杜氏は、新型コロナウイルスの特性について、「SARS(重症急性呼吸器症候群)以来、動物から人間に移る感染症が米国でも重視されている」「新型コロナウイルスは、潜伏期間にも感染するという点で、これまでとは違う」と語った。

 河添氏は、発生地である中国湖北省武漢市に、エボラ出血熱など、極めて危険な病原体を扱える中国唯一のバイオセーフティーレベル4の施設「P4研究室」が存在することを指摘した。

 これに対し、杜氏は「間接的な証拠から、武漢の研究室から漏れたというのが最も適当な説明だろう」と推測し、1979年に旧ソ連・スべルドロフスクの生物兵器研究施設から炭疽菌が漏れて、近隣に複数の死者が出た事例を挙げ、続けた。

 「旧ソ連のケースは、『空調のパイプがつまったために、外に意図しない形で漏れた』とされている。武漢では、焼却処分されるはずの実験動物を裏で転売して漏れたということもあり得る。また、1つの説として、『SARSのウイルスに手を加えたのではないか』という論文も出た。『(新型コロナウイルスは)SARSと近いウイルスだが、分子に4つの違いがあり、自然に起きる違いではない』と報告されており、人工的に改良された可能性がある」

 中国軍機関紙「解放軍報」は1月31日、人民解放軍が陸軍の生物兵器専門家を武漢に派遣したことを報じている。

 杜氏は「台湾側(の専門家)は『感染症を抑えるためなら医学の専門家を送るべきなのに、(中国は)生物兵器の専門家を送っているので、(P4)研究室と関係しているのではないか』と指摘している」と紹介した。

 《中国外務省の耿爽報道官は2月20日、ウイルスが生物兵器の研究所から流出した可能性を指摘した一部報道について、「荒唐無稽で無知だ」と否定し、科学的根拠が全くないと主張した。中国当局は「人工的ウイルス」説も否定している》

 対談では、中国当局の初期対応についても議題に挙がった。

 河添氏は「武漢が当初、隠蔽をしていたことが絶対的で、習近平政権の問題になる」「日本企業も(中国の)トラップにかかっている」と断じた。

 杜氏も「中国の対応も遅すぎた。武漢全体を隔離するのはあまり意味がない。習政権は、武漢など他のところに責任をなすりつけている。今後の予想はつかないが、多くの都市が分化してしまうと生産や流通も困るし、中国の経済には影響するだろう」と語った。

 日本は、東京五輪開幕を5カ月後に控え、感染拡大抑制に必死だ。

 安倍首相は先月27日に全国の小中高校の一斉休校を要請した。9日には、中国と韓国からの入国制限を強化。今月末まで。発行済みの査証(ビザ)を無効とし、入国者には自宅やホテルで2週間待機を要請する。

 杜氏は「日本も、初期に感染者を局部で隔離できればよかったが…。(感染拡大の抑制に努めながら)今後の教訓に将来をどうすべきかに重点を置くべきだ」といい、「病院船の活用」や「動物から人間に移るウイルスについて、大学の獣医学部での研究拡充」などを説いたうえで、日本の危機管理について、こう総括した。

 「どんな生物兵器が、どの国で作られているかという情報を知ることが大事になる。米国も情報を重要視している。日本人は外から見ていて、国防意識が薄すぎる。『国が危ない』ことをあまり知らないのは、メディアが真実を報道しないためだ。防衛面を頼っている米国との関係は重要だが、(国民と国家を守るためには)憲法改正は必要だと思う」

関連エントリ 2020/03/10 ⇒ 【日経平均】急落後✍3日ぶり反発<NY株過去最大2000ドル超急落>一時✍東京株1万9千円割れ
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2020年1月17日 (金)

【あの日】<1995年1月17日>阪神大震災から25年。

阪神大震災25年「3.11」へ神戸から祈り 被災地つなぐ竹灯籠

産経新聞 2020年1月17日(金)18時04分配信

 阪神大震災の被災地・神戸から東日本大震災の犠牲者の冥福を祈ろうと、神戸市中央区で17日、市民らが竹灯籠約700本を「こうべ1・17 絆 とうほく3・11」の形に並べ、東日本大震災が発生した午後2時46分に黙祷をささげた。

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 ボランティア団体「神戸・心絆(ここな)」などが企画。東日本大震災で津波による甚大な被害を受けた宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の被災者ら約20人も参加した。「感謝」「絆」といった言葉が書き込まれた竹灯籠を前に、神戸と東北の被害に思いをはせ、「震災を忘れない」という決意を新たにした。

 閖上地区にあった自宅が津波で流されたという名取市立閖上小中学校8年(中学2年)の高玉そらさん(14)は「被災者同士のコミュニケーションの大切さなど神戸で学んだことを、東北に帰ってしっかりと伝えていきたい」と話していた。

伊方原発差し止め決定貴重な決定」「全面勝訴」―住民側

時事通信 2020年1月17日(金)18時29分配信

「やったー」「うれしい」。

 17日午後2時すぎ、四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを命じる仮処分決定が伝えられると、広島高裁(広島市)の前に集まった原告団や支援者らから歓声が上がった。ガッツポーズや握手をして喜び合い、勝利を祝う歌声を響かせた。

 「決定理由は地震と火山の両方。全面勝訴と言っていい」。高裁から出て来た弁護団共同代表の中村覚弁護士(62)が宣言すると、大きな拍手が湧き起こった。

 中村弁護士は「阪神大震災から25年目の日に、いつどこで大きな地震が起きてもおかしくないということを裁判所が強く警告してくれた」と強調。平岡秀夫弁護士(66)も「本当に貴重な決定」と意義を訴えた。

 市内で開かれた記者会見では、本訴の原告団副団長の窪田伸子さん(58)が「地震大国に住んでいる私たちは、常に原発の危険にさらされている。経済発展だけではない、真に豊かな社会をつくることこそが求められている」と語気を強めた。

 一方、四国電の佐川憲司原子力部副部長(51)は記者団に、「原発はコスト的に化石燃料より競争力があり、重要な電源。安全性を一般の方々に伝えていきたい」と厳しい表情で語った。 

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亡き人へ見守って」「今まで来られなくてごめん」神戸「つどい参列者の思い

毎日新聞 2020年1月17日(金)18時48分配信

 阪神大震災は17日で発生から25年を迎えた。神戸市中央区の東遊園地で同日に開かれた追悼行事「1・17のつどい」には、さまざまな思いを抱えた人々が参列した。その一部を紹介する。

 初めて「つどい」に参加した元小学校教諭、川岡嘉則さん(63) 25年間(「つどい」に)足が向かなかったが、(発生から25年の)節目として来た。当時、学校に避難してきた住民を室内に誘導すると「建物の中は怖い」と、運動場の中心から動かなかったことを思い出す。

 母幸(みゆき)マルさん(当時83歳)を失った姉妹、鳥山伸子さん(78)と幸カホルさん(70)=ともに神戸市東灘区 各地で災害が起きるが、その怖さを知らない人が多い。今後も式典を開き、震災を風化させないでほしい。

 義母を失った神戸市東灘区の西照子さん(82) 25年の節目なので、24年ぶりにつどいに訪れた。義母とは一緒に料理をするほど仲がよく、私の味付けをおいしいと言ってくれたことを昨日のことのように覚えている。

 知人と娘の同級生を亡くした神戸市中央区の福田純子さん(77) 毎年「つどい」に参加している。(2人の名前を刻む銘板をさすり)亡くなった人の分も、元気に生きています、と伝えた。娘は、今年もつどいに参加する気持ちになれなかった。

 父・塩入義一さん(当時83歳)を失った神戸市中央区の河合由紀子さん(75) 父は震災2カ月後に、肺気腫で亡くなった。子供の頃にスキーや山登りに連れて行ってもらえたのはいい思い出。「これからも見守ってね」と伝えた。

 長女知子さん(当時21歳)を亡くした神戸市東灘区の東畑(とうはた)悠紀子さん(78) 25年の節目に銘板にある娘の名前を初めて見に来た。これまで娘の死を認められず、「来られなくてごめん」と声を掛けた。

 祖母堀内ミツさん(当時88歳)を失った神戸市長田区の松下加代子さん(52) 糖尿病だった祖母は入院先が全壊し、避難所で2週間後に亡くなった。「薬さえあれば」と何度も思った。優しいおばあちゃんだった。

 父昭三さん(当時66歳)が犠牲となった神戸市兵庫区の会社員、栗山優美さん(50) 父は全壊したアパートの下敷きになった。2次被害の恐れで助け出せなかった。(発生から25年という)節目なんて意識しない。急な死がかわいそうだった。

 息子の学さん(当時29歳)を失った神戸市垂水区の山本淳子さん(76) 母親思いの優しい息子だった。25年経過したことで区切りがあるかのように見えるが、息子を失った悲しみは癒えない。

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車上生活2年間震災に負けなかった生花店主の波乱万丈

女性自身 2020年1月17日(金)11時04分配信

1995年1月17日。淡路島北部を震源としたマグニチュード7.3の直下型地震は、神戸市を中心とした地域の人々の暮らしを一瞬で破壊した。

地震で倒壊した家屋を大火災が襲った神戸市長田区。震災から2週間後、美智子上皇后(当時は皇后)が被災地を訪れ、焼け焦げた臭いが漂うがれきの中に花束をそっと手向けた。それは皇居で摘まれた17本のスイセンーー。清楚でいながら力強い香りを放った花。

改装した生花店を開店予定だった森本照子さん(70)は、店も住まいも何もかもを失って絶望に打ちひしがれていたが、白い花束に励まされて前を向いた。震災から14年後に店を再開した森本さんの人生をたどろう。

「父は、戦後すぐに母と結婚して神戸で花屋を始めたんです。父は、斬新な発想力とセンスがある人やったから、松月堂古流(生け花の流派)の家元に気に入られましてね。一手に花材を納めて、花を生けるのを頼まれたりもしていました。私はそんな父を尊敬していて、父みたいな花屋になりたいと憧れていたんです」

森本さんは多忙な父を手伝い、中学3年生のときには、松月堂古流の師範代の免許も取得した。しかし、ほどなくして父母は離婚。森本さんは父に引き取られたが、父の再婚相手から虐待を受けるようになり、中学を卒業してすぐにい家を追い出されてしまう。

「今でも体に義母から受けた虐待の痕があります。父には言えませんでした」

実母は再婚していて、居場所はない。引き取ってくれたのは実母の友人のおばちゃんだったというが、森本さんは、迷惑をかけまいと高校には進学せず17歳から知り合いのスナックで働くようになる。

「水商売なんて最初は怖くて、ビールの栓を抜きながら泣いてたの(笑)」

美人でスタイルも抜群の森本さんは、瞬く間に人気者に。20歳で神戸の繁華街、三宮に自分の店を出すことになった。お金の苦労をしたくないと、がむしゃらに働いた森本さん。昼間は化粧品会社の美容部員、夜はお店、空いた時間は雑誌のモデルもしたという。

転機が訪れたのは、森本さんが25歳の時。六つ下の夫・政一さん(63)との出会いだ。

「当時私は婚約者がいたから、学生みたいな夫のことなんて眼中にもありませんでした。ですが、夫はクルマを売ったお金を持ってきて『これが全財産です。結婚してください。照子さんの仕事を一生手伝いますから』と言ってくれて」

当時、婚約者から「結婚したら仕事は辞めて」と言われていた森本さん。働くのが好きだった森本さんは悩んだ末に、周囲の反対を押し切って政一さんとの結婚を選んだのだ。

森本さんは結婚後、夫と2人で生花店の従業員として働いた。多いときは一日で花を100万円分売ることもあった。

40歳で独立し、念願の生花店「花恋」を神戸市長田区の商店街、菅原市場に開店。震災が商店街を襲い、炎が街を焼き尽くしたのは、「花恋」が新装開店を迎えるはずの1月17日だった。建物の1階部分は倒壊し、用意した花も、業者に渡すつもりで店に保管していた600万円も、焼けてしまった。

「若い頃から働きづめで、やっとここまできたの……。過去も未来も全部失って、残ったのは600万円の借金と罹災証明だけでした」

当時、45歳だった森本さんにとって再起は難しく思われた。あの花束を目にするまではーー。

「(美智子さまの手向けた)そのスイセンの花束を見たとき、なんて清楚で、なんて力強いんやろう、と。涙がぽろぽろ出てね。もう一度、頑張ろうと思えたんです」

それから、再建に向けての長い戦いが始まった。住居が手に入るまで2年もの間、車上生活を続け、クルマに花を摘んで墓苑で花を売る。コツコツと開店資金を貯金し、店を再開できたのは震災から14年後だった。

「私は美智子さまの花束があったから、花屋を再建できた。花の命は短いけれど、本当に相手のことを思って作った花束は、いつまでも心の中で咲き続けるんです」

波乱万丈の人生を振り返って、森本さんはそう語った。

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2019年3月12日 (火)

【噂の真相】「粗利益✍5割超」・・・・除染業界の闇構造

東北一円しゃれこうべ除染作業に従事する労働者に応分の労いは当然お金必要なことなんだがそれが除染作業員の福利厚生に寄与せず寧ろ搾取することで一部の人間がお金暴利を得るのは我慢ならない。2年前にも受注業者による宿泊費の水増し請求が問題になったけど“聖職”を笠にマジ様々な不正受給を編み出し国や自治体に集る構造が叫び出来上がってしまった。「復興特別所得税」の使い道はかお現場の除染作業員に手厚くお金報いる形でないと急げ士気に悪影響も出る。政府に速やかな是正を要求したい。

相田みつを

お金ならマジで!?なんぼでもある除染2chicon

利益率5オススメ…“国民負担お金3兆円の

FNN PRIMEオンライン  2018年3月12日12時24分配信

役員報酬77億円…従業員100人の除染会社

アゲ3 福島第一原発の爆発事故から3月12日で8年…

放射性物質を取り除く除染作業は今も続いているが、一部の除染事業の不透明な実態をFNNは報道してきた。

今回、福島県にある除染会社の、売上に対する利益率が継続的に5割を超える極めて高い利益率だったことが新たに分かった。

これまでに約3兆円が投じられた除染費用が大幅に減らせていた可能性が浮上している。

会社幹部「お金ならなんぼでもある」

アゲ3 福島県いわき市にある従業員およそ100人の除染会社。
除染や関連工事を大手ゼネコン清水建設から請け負い巨額の利益を得ていた。

今回、福島県への情報公開請求で、この会社の粗利益が2014年からの3年間で142億円に上り、売上に対する利益率がいずれの年も5割を超えていたことが新たに分かった。

さらに関係者への取材で代表ら役員8人の役員報酬が3年間で77億円に上り、粗利益の半分以上を占めていたことも分かった。
役員報酬の水準は、規模が100倍の売上高1兆円以上の大企業の社長でも1億円程度に留まっていて、異例の高額となっている。

この除染会社で働いていた作業員:
(会社幹部は)お金ならなんぼでもあると言ってましたから。幹部数名は高級車を買ってもらってましたから。

元請け幹部と結びつき独占的に1次下請け受注

アゲ3 この極めて高い利益率のカラクリは…

関係者によると、この会社は、元請けの清水建設の幹部との結びつきを強めることなどで独占的に1次下請けに入っていたとみられる。

除染工事は一般的に元請けから繰り返し下請けに出され、各会社が利益を抜いていく。

しかし、この会社は下請けへの発言力を背景に下請けの階層を減らし、末端が受け取るレベルの金額を2次の下請けに支払うことなどで、利益を独占したとみられる。

この除染会社で働いていた作業員:
元請けさんと仲がいいから会社はなんぼでも人(作業員)が入れられると。(2次下請けに出す)一日の単価が安いですね。(他社と比べて)少なくとも5000円は違いますね。

除染を主導する環境省「法令に従い適切」

アゲ3 原発事故からこれまでに投じられた除染費用は2兆8000億円。
それぞれの事業で実態にあった費用の算出が行われていれば大幅に減らせた可能性がある。

しかし、件の除染会社は取材に応じていない。
また、除染を主導する環境省は「法令に従い適切に発注している」とコメントしている。

原発事故から8年…

3兆円に上る除染費用のうち、いったいいくらが実際に使われ、いくらが業者のフトコロに入った

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国民が負担するからこそ検証が必要だ。

相田みつを

オススメ羽生結弦スケート落札額[みんな:02]隠された

ファンの愛ネットも感嘆愛あるお金神々の遊び降参

デイリー 2019年3月11日22時36分配信

アゲ3 フィギュアスケート男子で14年ソチ、18年平昌五輪連覇の羽生結弦(24)=ANA=が出品したスケート靴のオークションが11日、締め切られ、712万2994円で落札された。東日本大震災の復興チャリティーオークションとして行われ、460件件を超える入札があり20時7分に終了した。

締切の1時間前まで350~360万円台で推移していたが、残り1時間で300万円以上急騰した。

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落札額には、落札者の羽生に対するこだわりが垣間見えた。締切ギリギリに2人から入札された額は、712万1994円。これは1994年12月7日の羽生の生年月日を意識したものとみられる。最終的にはさらに1000円が上積みされ、712万2994円で落札となったが、ネット上ではファンたちが「これ羽生さんの生年月日!凄くない?」「愛のある神々達の遊び」「愛が止まらない」などと感嘆の声が上がった。

東日本大震災の被災地である宮城県出身の羽生が、同震災の支援を行っている一般社団法人「ウェブベルマーク協会」を通じて、スケート靴を「ヤフオク!」に出品。「東日本大震災発生から8年になりますが、まだまだ復興途中の地域が多くあります。私もお役に立てればと思い、今年も出品させていただきます」と、コメントも寄せている。

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羽生は2016年、2018年にも出品しており、これが3度目。昨年はスケート靴が、850万1000円でファッションブランド「サマンサタバサ」に落札された。

靴は黒色で、ブレード部分には「Yuzuru Hanyu」と名前が刻印されている。ウェブベルマーク協会事務局によると、落札後、羽生が靴にサインをし、靴と一緒に撮影した羽生自身の写真を添えて発送するという。

相田みつを

関連エントリ 2018/03/12  【トルソワ】13歳<驚異のロシアっ娘>史上初✍4回転2度成功!!

2019年3月11日 (月)

【震災から8年】今も「避難生活者」✍5万1778人(復興庁調べ)

「避難生活者」ってどういう人達だろう。本去年の発表は29,639人(復興庁調べ)となってるんだが、。。。。去年の記事を読むと仮設住宅居住者“限定”の数字なのか。現在のプレハブ居住者は約3,100人となった。これに在宅被災者といわれる半壊の自宅に住み続けている人県外避難者などメモ含むと5万2千人ということか。正直メモ統計の扱いが杜撰過ぎる。あんまり信用できなくなった。

被災者のケアを日本全体で担う以上は意識を何時までも震災当時とように…というのは違うと思うよ。東北だろうと西日本だろうと叫びどこで暮らしてもいいじゃないか。 ichigen-sanサーチ本籍と違う所に住んでいる。故郷にしっぽフリフリふきだし・・・いつまでも縛られていたら幸せせになれないんじゃないのと考える。

相田みつを

東日本大震災から

Rescuenow  2018年3月11日0時02分配信

アゲ3 3月11日、東日本大震災が発生してから8年

人的被害避難者数

・2011年3月11日、国内最大規模となるM9.0の地震が発生し、大津波により東北地方の太平洋沿岸に大きな被害をもたらした。警察庁によると、2019年3月8日現在、死者1万5897人、行方不明者2533人、死者不明を合わせて1万8430人(前回2018年12月10日死者1万5897人、行方不明者2534人)。

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・復興庁によると、2018年9月30日現在、震災関連死は1都9県で3701人(前回3月31日3676人)。震災関連死・直接死・行方不明者と合わせると合計2万2131人。

・復興庁によると、2019年2月7日現在、避難者数は5万1778人。県外避難は3万7855人(福島県3万2631人、宮城県4196人、岩手県1028人)。

・3月2日、東北大災害科学国際研究所の研究グループは、宮城県警の震災の犠牲者の死因を分析し、4分類を12分類に整理したと発表した。県警の「溺死(91%)」「不詳(5%)」「焼死(0.8%)」「損傷死、圧死、その他(3%)」の4分類のうち「損傷死、圧死、その他」を9つに再分類した。

再分類するなかで「窒息」「頭部の損傷」「低体温症」など、多様な死因が見られることがわかった。

健康食品意識調査

・3月6日、消費者庁は、原発事故後の食品の放射性物質に関する意識調査の結果を公表した。今回の調査で、福島県産の食品の購入をためらうと回答したのは12.5%で、調査をはじめてから最少になった。調査は5176人が回答。今回が12回目で、東日本大震災の被災地や東京など大都市圏の住民を対象にインターネットを通じて実施された。

裁判提訴住民投票

・2月13日、原発構内で作業中に倒れて死亡したいわき市の自動車整備士の男性の遺族が勤務先や東電などに損害賠償約4300万円を求める裁判を福島地裁いわき支部に起こした。いわき労働基準監督署は長時間労働による過労死として労災認定している。

・2月19日、東京電力の男性社員が原発事故で大熊町の社宅から避難を強いられたとして、男性社員と家族が東京電力に慰謝料約6700万円を求めた裁判で、福島地裁は6190万円の賠償を命じる判決を出した。

・2月20日、原発事故で福島県から神奈川県に避難した60世帯175人が国と東京電力に慰謝料など54億円を求めた裁判で、横浜地裁は4億1900万円あまりの賠償を命じる判決を出した。

・2月21日、宮城県議会に東北電力女川原発2号機の再稼働を問う県民投票の条例案が提出された。本会議での採決は3月15日に行われる見込み。

・3月6日、米軍の「トモダチ作戦」に参加して被ばくしたとして、空母乗組員などが治療のための10億ドルの基金創設などを東京電力に求めた2件の裁判で、カリフォルニア州南部の連邦裁判所は請求を却下していたことが明らかになった。

・3月6日、原発事故で支店を閉鎖することになった「いわき信用組合」と「相双五城(そうそうごじょう)信用組合」が東京電力に14億円あまりの損害賠償を求めた裁判で、福島地裁いわき支部は約1億2000万円の支払いを命じる判決を出した。

事件事故不祥事

・2月11日、神奈川県は、震災の復興支援のために派遣した50代の男性職員について、宮城県気仙沼市の市道で、飲酒運転の上で自動車事故を起こして現行犯逮捕されたと発表した。

・2月13日、宮城県石巻市の防潮堤の復興工事で、石巻市は工期の遅れを理由に石巻市の建設会社「カルヤード」との契約を解除した。会社側は契約解除に反発して工事を続行、石巻市は工事の差し止めなどを求める仮処分を仙台地裁に申請した。

・2月28日、岩手県警は、海外の工法で被災地に住宅を建てる話を持ち掛け、盛岡市の会社から1000万円あまりをだまし取ったとして、大阪市城東区の自称会社役員の男を詐欺の疑いで逮捕した。

原発

・2月13日、福島第一原子力発電所2号機で燃料デブリに直接触れる調査が行われた。東京電力は、今後、具体的な取り出し方法を検討するとしている。

復興

・2月18日、福島県は株式会社ポケモンと連携協定を結んだ。「ポケットモンスター」のキャラクター「ラッキー」がふくしま応援ポケモンに就任し、特産品のPRや観光イベントに取り組む。

・2月24日、2019年4月20日に全面再開するJヴィレッジで、福島ユナイテッドFC対いわきFCの特別試合が開かれた。試合はいわきFCが5対0で勝利。

・3月1日、宮城県多賀城市の県立多賀城高校で卒業式が行われた。防災の専門家を育てる災害科学科の1期生が卒業した。

・3月8日、政府は、東日本大震災からの新たな復興の基本方針を決定した。2021年3月末に設置期限を迎える復興庁について、後継組織を設置することを明らかにした。

その他

・2月11日、お笑い芸人がツイッターで浪江町を「なくなる町」と表現し、批判を受けて後日謝罪した。

東日本大震災から7年11か月
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190211-00000001-rescuenow-soci

広島大学|地球資源論研究室|東日本大震災-被災地-
http://earthresources.sakura.ne.jp/er/EV_TKJ(4).html

警察庁|警察措置と被害状況[2019年3月8日]
http://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/index.html

復興庁|震災関連死の死者数等について(平成30年9月30日現在)[平成30年12月28日公表]
http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20140526131634.html

復興庁|全国の避難者等の数(所在都道府県別・所在施設別の数)[平成31年2月27日]
http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/hinanshasuu.html

※ 情報は発信時点のもので、最新の状況と異なる場合があります。

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なお52千人避難富士山人口減にも拍車æ³¢東日本大震災から時計

朝日新聞デジタル  2019年3月11日0時00分配信

アゲ3 死者、行方不明者、関連死を含め、2万2131人が犠牲になった東日本大震災から11日で8年になる。今も約3100人がプレハブ仮設住宅で過ごし、約5万2千人が避難生活を続ける。東京電力福島第一原発事故が起きた福島県では今春、原発立地自治体の避難指示が一部の地域で初めて解除される。

復興庁によると、新たな宅地を造る「高台移転」は93%、災害公営住宅は98%が完成した。住宅再建が進み、最大47万人いた避難者は5万2千人まで減った。

ただ津波被害が甚大だった地域は遅れており、今も仮設住宅が残る。震災前から進んでいた人口減も歯止めがかからず、岩手、宮城、福島3県の人口は8年で計30万人減少した。

福島県ではこれまで、10市町村で避難指示が解除され、原発が立地する大熊町の一部で4月にも解除される見通し。住民の帰還や定住を促す施策が進められることになる。原発の廃炉作業は、100万トンを超える汚染水や原子炉内の燃料デブリ処理など、難しい工程が控える。

東日本大震災の復興期間は10年と定められ、復興庁は21年3月末に廃止されるが、原子力災害への対応や産業の再生といった課題が残る。政府は8日、復興庁の後も後継組織を設置する方針を示した。

平成の30年余、列島は阪神・淡路大震災、東日本大震災という峻烈な災害に見舞われた。次世代に向け、教訓をいかす取り組みが求められている。

東日本大震災による被災の状況

《岩手県》

死者4674人、行方不明者1114人、震災関連死467人、避難者1028人

《宮城県》

死者9542人、行方不明者1219人、震災関連死928人、避難者4196人

《福島県》

死者1614人、行方不明者196人、震災関連死2250人、避難者3万2631人

《3県含む全国の総数》

死者1万5897人、行方不明者2533人、震災関連死3701人、避難者5万1778人

※ 死者・行方不明者は3月8日時点(警察庁)、震災関連死は昨年9月30日時点(復興庁)、避難者は2月7日時点(同)。

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避難指示解除も高齢化率45.5若者の帰省進まず福島県内9市町村

毎日新聞  2019年3月11日17時59分配信

アゲ3 東京電力福島第1原発事故の避難指示が解除された福島県内9市町村の区域で、実際に住んでいる居住者に65歳以上が占める割合(高齢化率)が45.5%と高い状態が続いている。

毎日新聞が9市町村に実施したアンケートで明らかになった。1年前と比べ、1.7ポイント改善したものの、仕事や学校などの生活基盤が避難先に定着したり放射線への不安を抱えたりして、若い世代の帰郷がなかなか進まないことが影響している。

毎日新聞は2017年夏から半年ごとに各市町村の解除区域の高齢化率を調査。17年7~8月は49.2%、18年1~2月は47.2%、18年7~8月は45.6%だった。

今年1~2月現在、居住する1万978人のうち、65歳以上は4990人だった。県内全体の高齢化率31.1%(2月現在)を大きく上回り、国立社会保障・人口問題研究所が推計する65年の日本の高齢化率38.4%も超えている。原発事故前の10年の国勢調査では、9市町村全域の高齢化率は27.4%だった。

解除区域の15歳未満の割合は5.0%(549人)。1年前から0.4ポイント上がったものの、事故前の13.1%(2万3717人)にはほど遠い。

今年度から浪江町、富岡町、川俣町山木屋地区、飯舘村、葛尾村の5町村は地元で小中学校を再開。だが、地元再開の学校に通っているのは計142人に過ぎず、事故前の4%にも満たない。

解除区域は生活インフラの整備が進まず、放射線の影響などを不安に思う子育て世代も積極的に帰郷せず、住民登録者のうち実際に住んでいる居住率は23.0%にとどまっている。

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【3.11チャリティー】フィギュアスケート羽生結弦選手 エッジ付きスケート靴 (被災地支援チャリティー開催中!!)

2018年3月11日 (日)

【震災から7年】今も「避難生活者」✍2万9千人以上・・・・

岩手,宮城,福島の被災3県で1万3584人(2018年1月末現在)がプレハブ住宅で暮らしている。賃貸住宅や公営住宅等の“みなし仮設”を入れると避難生活者は29639復興庁によると災害公営住宅の供給は3県平均=92.5%の進捗率。高台に移転する為の宅地造成は3県平均=84.4%の進捗率となった。住宅と宅地のいずれも2018年度末にほぼ供給される見通し。お金自主再建を目指す為の被災者生活再建支援金の支給申請は14万件に登るが[みんな:09]高齢者の自主再建の見通しは立たない。若い世帯が退去するにつれ時計仮設住宅のコミュニティーの高齢化が進み孤立死の増加が懸念されている。

相田みつを

原発事故から7:onionhead016:福島第1原発

フジテレビ系FNN  2018年3月10日1時41分配信

アゲ3 東日本大震災から7年を迎えるのを前に、東京電力福島第1原発を取材した。

今回、廃炉に向けた作業の最前線を取材することができた。

福島・富岡町から、福島第1原子力発電所へ向かう道路。放射線量が高いため、原発事故から7年たった今も、帰還困難区域とされ、人々が暮らすことができない。

その原因となった福島第1原発は今、廃炉に向けた作業を懸命に進めており、今回、フジテレビでは、震災後初めて、3号機建屋の内部を取材することになった。

3号機建屋の内部は、まだ放射線量が高いことなどから、防護服やフィルターつきマスクの着用が、スタッフ全員にも求められる。

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相田みつを

3号機の屋上にある、かまぼこ形のドーム。計8枚の半円状の屋根が、ようやく完成された。取材班が向かったのは、3号機建屋の最上階にある、プールに漬かった566体もの燃料棒を取り出す設備。手前に、門型の黄色い大きな機械が見える。さらにその奥にある赤い色のクレーンで、燃料棒を引き抜く。

7年前、津波で全ての電源を喪失し、冷却機能を失った3号機では、原子炉から核燃料が溶け出し、3月14日には、水素爆発が起きた。

事故により、建屋は放射性物質に汚染され、人が作業できる環境ではなかったというこの場所は、7年を経過してようやく、1時間か2時間なら作業できる環境になったという。しかし、燃料棒のあるプールへ近づくと、手持ちの線量計が示したのは、827マイクロシーベルト(μSv)。

1時間余りで、一般の人の年間の被ばく限度に達する、放射線の高さ。廃炉に向けて、これから行われるプール内の核燃料の取り出しは、初めの1歩。作業の難しさは、どうなのか。

東芝エネルギーシステムズ・篠崎史人氏は、「燃料の上部に堆積したがれき、そういったものを除去しなければいけない。そういったところから、通常のこれまでの作業よりは、時間がかかってしまう部分もあるのかなと考えています」と話した。

現場は放射線量が高いため、取り出し作業は、3号機から離れた建物で行われる。
案内された部屋には、遠隔操作のためのモニターや、操作機材が用意され始めていた。

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相田みつを

水中のがれきを除去しながら行う、566体の核燃料の取り出しにかかる時間は、2018年秋ごろから2年を見込んでいるという。こうした作業が終わったのち、格納容器内に溶け落ちた核燃料、いわゆる「デブリ」などの取り出しに向けた作業が、ようやく始まる。

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相田みつを

東京電力 福島第一廃炉推進カンパニー・大山勝義氏は、「おぼろげながら、各号機とも(燃料デブリの)分布というのがわかってきた。今後は、その性状、どのような性質かいうことを調査したうえで、燃料デブリの取り出しに向けた設計が進んでいくと思います」と話した。

政府と東京電力は、2021年には、燃料デブリの取り出しを開始するとしているが、そのデブリの規模や性質など、全容はまだ未解明のままとなっている。

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福島第1原発3号機に「燃料デブリ」とみられる物体、水中ロボ調査

相田みつを

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