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2021年4月12日 (月)

【松山英樹】29歳✍<アジア初>オーガスタNGCマスターズ優勝!!

 松山英樹“アジア初”マスターズ制覇 悲願のMajor Title獲得 

my caddie 2021年4月12日(月)8時03分配信

 海外男子メジャーのマスターズは11日、米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGC(7475ヤード・パー72)で最終ラウンドが行われ、松山英樹が通算10アンダーで悲願のメジャー初制覇を果たした。

 4打差リードの単独トップから出た松山は、出だしの1番パー4はティーショットを右に曲げボギーとしたが、2番パー5でバンカーからの第3打目を寄せてバーディを奪う。3番から7番はパーとし、8番パー5はグリーン奥からの第3打目を約1メートルに寄せてバーディ。続く9番パー4も第2打目を約1メートルにつけバーディと2アンダーで折り返した。

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 10番、11番はパー。12番パー3はティーショットを奥のバンカーに入れて寄せきれずボギーとしたが、13番パー5でグリーン奥からのアプローチを約30センチにつけタップインバーディ。14番はパーセーブ、15番パー5は第2打目がグリーン奥の池に入りボギー、16番パー3はグリーンを捉えるも約12メートルの難しいバーディパットから3パットのボギー。17番はパー、18番はボギーとしたが、トータル4バーディ、5ボギーの1オーバー「73」を記録し快挙を成し遂げた。

 この優勝で松山は、マスターズ覇者に贈られるグリーンジャケットに袖を通す初のアジア人選手に。また、樋口久子(1977年/全米女子プロゴルフ選手権)、井戸木鴻樹(2013年/全米プロシニアゴルフ選手権)、渋野日向子(2019年/AIG全英女子オープン)に次ぐ、海外メジャー大会を制した4人目の日本人選手となった。

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 さらにマスターズ前週に開催されたオーガスタ・ナショナル女子アマで梶谷翼が優勝と、2週連続で日本人選手がゴルフの聖地で頂点に立った。

 通算9アンダー単独2位にウィル・ザラトリス(米)、通算7アンダー3位タイにジョーダン・スピース(米)、ザンダー・シャウフェレ(米)が入った。

 松山英樹マスターズローアマ獲得から初制覇まで 

ALBA Net 2021年4月12日(月)8時14分配信

<マスターズ 最終日◇11日◇オーガスタ・ナショナルGC(米ジョージア州)◇7475ヤード・パー72>

 日本勢として初めて「マスターズ」制覇を成し遂げた松山英樹。悲願のメジャー制覇を達成した場所は世界に初めて名を轟かせた場所、そしてメジャーで初めての予選落ちをはじめ、何度も悔しい思いをした場所でもあった。

 初めて出場したのは2011年。霞が関CCで行われた、「アジア・パシフィックアマチュア選手権」優勝で資格を得て参戦した。初めて足を踏み入れたオーガスタでは、初日からアマチュアらしからぬ安定したプレーを披露。27位タイに入り日本人史上初のローアマチュアに輝いた。東北福祉大のある仙台に拠点を置く松山が、東日本大震災直後に躍進を見せたことも、パトロンたちから大きな称賛を浴びた。

 勢いそのままに11年もアジア・パシフィックアマチュア選手権で連覇を達成。2年連続アマチュアとして出場権を獲得した。再び訪れたオーガスタでも3日目まで我慢のゴルフを続けて27位タイにつけて史上初の2年連続ローアマチュア目前。ところが…。

 最終日にパッティングを見失い痛恨の「80」。54位タイに終わり、ローアマチュアを逃す結果となった。涙を流し、悔しさを胸に刻んだ松山はここにまた帰ってくることを誓ってオーガスタを後にした。

 2年ぶりに、そして初めてプロとして出場した14年大会は苦しい戦いとなった。連戦からくる左手の故障による調整不足も重なり、初日に「80」を叩いて大きく出遅れ。2日目は「71」にまとめたが、カットラインに遠く及ばず予選落ち。PGAツアーメンバーとなった松山のメジャー大会での予選落ちはこれが初めてのこと。「悔しい以外に何もない」と唇をかんだ。

 前年の「ザ・メモリアル・トーナメント」で日本人史上4人目のPGAツアーチャンピオンとなって迎えた15年大会。注目度も前回の比ではない戦いのなかで、前年の鬱憤を晴らすようなプレーを見せた。

 安定したプレーでアンダーを積み重ね、10位タイで迎えた最終日には「66」をマークして一気にジャンプアップ。片山晋呉、伊澤利光の4位に続く日本勢3番目の5位に食い込んでメジャー制覇に現実味を持たせた一戦となった。

 さらに翌16年は優勝争いに加わることになる。最終日を迎えた時点で首位とは2打差の3位。歴史が変わる瞬間を誰もが待ち望む日曜日となった。しかし、最終日は前半4番でボギーを叩くと、5番でもボギー。さらに6番のパー3ではダブルボギーを叩いて優勝戦線から脱落した。後半は巻き返したものの前半の後退が最後まで響いてしまった。

 これ以降は苦しい戦いが続いた。17年は2日目に「70」で16位タイに浮上したものの、ムービングデーの3日目は18番で痛恨の4パットをたたくなど苦しんだ。「67」と巻き返して11位タイで終え、日本のエースの意地を見せたものの、全体的にフラストレーションがたまる大会だったのは間違いない。

 18年大会も19位、19年大会は32位タイ。新型コロナウイルスの影響により秋に開催された20年も、予選ラウンドを終えて首位と1打差の6位タイにつけたもののムービングデーに伸ばせず。結果13位タイと、またもトップ10入りを逃した。

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 そうして迎えた21年大会。米ツアー公式サイトの優勝予想から漏れるなど期待はかつてほどではなかったが、初日に2位タイ発進を見せると、3日目に3日連続のイーグルを奪うなど自身マスターズのベストスコアとなる「65」を叩き出した。2位以下に4打差をつけて単独首位に浮上すると、そのままトップで駆け抜けて、日本勢の悲願を達成した。

 「マスターズ史上💢最も破廉恥」韓国人ゴルファーの所業に非難殺到 

THE DIGEST 2021年4月10日(土)17時15分配信

 世界最高峰の檜舞台で、目を疑う光景が映し出された。

 米ジョージア州のオーガスタナショナルGCで開催中の『マスターズ』は現地金曜日に大会2日目を消化。日本の松山英樹は通算4アンダーで首位と3打差で終え、6位タイに付けて決勝ラウンドに進んだ。

 そんな伝統あるオーガスタで、信じられない行動に出たのが、韓国のキム・シウーだ。この日はスタートから好調を維持していたキムだが、14番で3パットを叩いて初のボギーを記録し、スコアを落としてしまう。すると続くパー5の15番では、ウェッジでのアプローチがカップを通り過ぎて逆側のエッジにまで到達。これで「イライラした」と振り返るキムは、なんと握っていたパターを地面に垂直に強く打ち付け、ぐにゃりと曲げてしまったのだ。

 ルール上、替えのパターは使えないため、3ウッドでパッティングに臨んだ。なんとか15番をパーで切り抜けたものの、拾い上げたボールを池に投げ捨てるなど、マナーを逸脱した行為が続いた。結局残る3ホールもグリーン上でウッドを使用する羽目になり、いずれも2パットを余儀なくされてバーディは獲れず。それでも松山と同じ通算4アンダーで、6位タイで2日目を終えた。

 ラウンド後のインタビューで「わざと壊そうとしたわけじゃなく、壊れてしまったんだ」と弁明し、「その後もパーを獲れたのはラッキーだった」と前向きに捉えたキム。だが、日本のテレビ中継局である『TBS』で解説を担当した中嶋常幸プロが怒りを滲ませたように、批判の声が渦巻くのは至極当然だ。
 
 米専門メディア『Golf Digest』は「マスターズで勝利を収めるためには、感情を露にすることなく72ホールすべてで集中しなければならない。それがセオリーだ」と諭したうえで、「キム・シンウーはそれを試されたが、怒りに身を任せてしまった」と断じた。そして次のように続けている。

「あの時点で、彼はトップのジャスティン・ローズと3打差だった。そんななかで、マスターズ史上、もっとも無謀で問題視されるべき行動のひとつに及んでしまったのだ。究極の戦いにおいて、パターを失なうことがなにを意味するのか。3ウッドで代替したものの、パターだったなら残る3ホールすべてをパーで終えることもなかっただろう」

 ラウンドを終えたキムは日没までずっと、新しいパターで練習を続けていたという。

 マスターズという、とりわけ格式が重んじられる舞台での失態。土日の決勝ラウンドで優勝争いをし、もし初優勝を遂げたとしても、今回の軽率な行動が帳消しになるわけではない。

 歴史こじけた松山英樹最後まで緊張しっぱなし 

朝日新聞デジタル 2021年4月12日(月)8時08分配信

 日本男子ゴルフ界の悲願がついに達成された。米ジョージア州オーガスタで11日まで開催されたマスターズ・トーナメント。最終ラウンドを単独首位から出た松山英樹(29)が圧倒的なゴルフで優勝を果たした。

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「メジャー」と呼ばれる男子の4大大会を日本選手として初めて制した。

 松山は試合後のインタビューで「朝からずっと緊張していて、最後まで緊張しっぱなしで終わりました」と苦笑。日本勢初の優勝について「僕が勝ったことで、日本人が変わっていくんじゃないかと思います」と話した。

 日本選手最初の4大大会挑戦は、1932年の全英、全米両オープンに出場した宮本留吉にまでさかのぼる。以後、世界の層の厚さに何度もはね返されてきた。

 日本選手が最も優勝に近づいたのは、1980年の全米オープン。当時38歳の青木功さん(現日本ゴルフツアー機構会長)が、帝王ジャック・ニクラス(米)と4日間、同組でプレーし、惜しくも2位となった。「バルタスロールの死闘」と呼ばれ、今なお語り継がれる名勝負だ。

 この偉大な2人のゴルファーと松山は不思議な縁を持つ。6歳の時、地元愛媛のゴルフ場で練習していた青木氏と会った。初めて接したプロゴルファーだった。青木氏から手招きされて、近くで練習を見せてもらった。「大きかった。僕の背丈は青木さんの胸の高さくらい。子供でもオーラを感じたのを覚えている」と松山は語る。

 プロになってからも、節目節目で目をかけたのが青木氏。メジャー大会で優勝争いに加わりながら、優勝に届かない松山に対して、「またチャンスはある。頑張れ」と励ました。

 ニクラスとも縁を持つ。松山が14年に米ツアーで初優勝を飾ったメモリアル・トーナメントは、ニクラスが創設し、ホストを務める大会。「すごい才能だ」と当時から松山の将来性を見抜いていた。

 マスターズ最終日の前にはツイッターでこうつぶやいた。「青木とはメジャー大会で何度もプレーした。彼は今でもヒーローだ」

 そしてこう続けた。「松山は本当に手堅い選手。4打のリードは大きい。日本で大きな注目を集めるだろう」。マスターズで最多6度の優勝を誇る帝王の予言通り、抜群の安定感を見せた松山が、歴史の扉をこじ開けた。

幾度の優勝争いの末に…ついに破った松山英樹

時事通信 2021年4月12日(月)8時17分配信

 日本男子がはね返され続けた厚い壁を、29歳の松山英樹がついに破った。何度もメジャーの優勝争いを経験し、たどり着いた頂点だ。

 2014年6月に米ツアー初優勝。2勝目までは1年8カ月を要したが、その後は完全にトップ選手の仲間入り。メジャーでも常に優勝候補に挙がるようになった。

 初めて頂点に迫ったのが16年4月のマスターズ。首位と2打差で出た最終ラウンドは、序盤で失速して脱落した。同年7月の全米プロ選手権では終盤まで食い下がったが、差を詰め切れず5打差の4位。17年6月の全米オープンは最終ラウンドで猛追して2位に入った。

 17年8月の全米プロは、さらに優勝に近づいた。最終日中盤に単独トップに立ちながら、同組で回ったジャスティン・トーマス(米国)に逆転された。いつも淡々とした受け答えの松山が肩を震わせ涙する姿が、どれだけ悔しいかを表していた。一方、優勝争いを重ねるうちに自信がついたのは確かで、「場数が増えていけば、それだけチャンスも増えているということ」と話した。

 18年以降はメジャーではトップ10もなかったが、目標はぶれることはなくついに到達した。世界で日本勢の存在感を示してきた青木功や中嶋常幸らでも成し得なかった歴史的偉業。元世界ランキング1位でメジャー優勝経験もあるジェーソン・デー(オーストラリア)はこう言ったことがある。「英樹は精神力が非常に強い。浮き沈みがなく、それがまさに日本人のメンタリティーなのではないかと思う」

 欧米メディアから自身のメジャー優勝が日本ゴルフ界に与える影響について問われるたびに、心の内を述べてきた。「今の日本の男子ツアーは女子に比べてあまり人気がない。僕が優勝すると見方も変わると思うので頑張りたい」。日本男子のトップとしての責任感を胸に戦ってきた。メジャー1勝で満足せず、歩みを進めていく。 

 松山英樹の優勝に解説中嶋常幸も男泣き 

デイリー 2021年4月12日(月)8時14分配信

 松山英樹(29)=LEXUS=が快挙を成し遂げた。最終日、2位に4打差をつけてスタートすると、4バーディー、5ボギーの73、通算10アンダーで日本人初のマスターズ優勝を飾った。これにテレビ解説の中嶋常幸も涙声で松山の快挙を喜んだ。

 日本人初の快挙に、何度もオーガスタに挑戦してきた中嶋も涙を堪えることはできなかった。松山の優勝が決まると中嶋は「すいません、苦しかったから、本当に良かった…」と男泣き。

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 ゲスト解説の宮里優作も「本当にこんな日が来るなんて…。彼の夢に僕らが乗っかってるんですけど、日頃からトレーニング、練習してきたので本当に良かった、ありがとうといいたい」とこちらも涙声。中嶋は「おめでとう!」と実況席から叫んでいた。

 激闘を制した松山英樹日本ゴルフ史に名を遺す 

スポーツ報知 2021年4月12日(月)8時03分配信

米男子プロゴルフツアー メジャー21年初戦マスターズ最終日(11日、米ジョージア州オーガスタナショナルGC=7475ヤード、パー72)

 2位と4打差の首位スタートした松山英樹(29)=LEXUS=が優勝を果たした。日本人初のマスターズ優勝&レギュラー日本男子初の海外メジャー制覇。10回目の出場で松山は、栄光のグリーンジャケットに袖を通し、日本ゴルフ史に名を残す快挙を成し遂げた。

 これがメジャー初優勝に向けてのプレッシャーなのか。

 松山は難関の1番パー4の第1打を大きくミスした。ドライバーを握らず、番手を落とした3番ウッドで放ったボールは大きく右に曲がり、林へ消えた。第2打も、あわや木を直撃する危ないショットだった。フェアウェーからの第3打は全くピンに寄らず、10メートルのパーパットを残した。

 しかし、振り返ってみれば、ドタバタしたのは、第3打までだった。パーパットは入らなかったもののカップ縁に止まる完璧な距離感だった。

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 1番をボギーでスタートした松山は通算10アンダーに後退。その時点で、1、2番をバーディーで発進し、通算9アンダーとしたウィル・ザラトリス(24)=米国=に1打差に迫られた。4打あった差は、アッという間に1打差まで肉薄されたが、ここから松山が本来の姿を取り戻した。

 2番パー5ではドライバーで放った第1打がフェアウェーを捕らえ、第2打をグリーン手前のバンカーへ。第3打を1メートルに寄せて、バーディー奪取。スコアを通算11アンダーに戻した。

 3番パー4、4番パー3はパーをセーブして迎えた最難関の5番パー4。第1打を左バンカーに入れ、第2打をフェアウェーに刻む。残り96ヤードの第3打はピン左約6メートルに残したが、長いパーパットを強気のタッチで沈め、最難関ホールを切り抜けた。

 松山は6番パー3では4メートル、7番パー4では1・2メートルのバーディーチャンスにつけた。いずれも惜しくもバーディーパットを決められなかったが、流れを確実に取り戻した。

 8番パー5で第2打をグリーン奥まで運び、第3打の12ヤードのアプローチを1メートルに寄せてバーディー。9番パー4でも第2打を1メートルに寄せて連続バーディー。スコアをふたつ伸ばして通算13アンダー。前半終了時点で、2位のザラトリスとは5打差。結局、スタート時点より差を広げた。

 プロゴルフの世界で勝負を分けるサンデーバックナイン(最終日の後半9ホール)でも、松山は栄光に向けて確実に歩みを進めた。

 祈らずにはいられないと言われるアーメンコーナーの11、12、13番。12番パー3では第1打を左奥バンカーに入れてボギー。続く13番パー5では第1打を右の林に曲げたが、日本のゴルフファンの「祈り」が通じたのか、木に当たり、右セミラフまで戻ってきた。グリーン手前に流れる小川超えを狙った第2打は左に曲がったが、グリーン左ラフにとどまり、第3打のアプローチを1メートル以内に寄せてバーディー奪取。アーメンコーナーをイーブンで切り抜けた。

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 この時点で2位に浮上した同組のザンダー・シャウフェレ(27)=米国=とは5打差。安全圏と思われて、残り5ホールに向かった。

 しかし、メジャー制覇へ試練は続く。15番パー5。第1打はフェアウェーをキープ。池超えの第2打。手前の池を大きく越えたボールは、グリーンも飛び越え、奥の池へ落ちた。1罰打の第4打はグリーンに乗らず。奥のカラーからパターで狙った第5打は入らずに痛恨のボギー。この時点で、4ホール連続バーディーと猛追してきたシャウフェレに2打差まで迫られた。

 しかし、何が起こるのか、分からないのが、マスターズ。16番パー3で、シャウフェレが第1打を左へ池ポチャ。打ち直しの第3打もグリーンオーバーし、まさかのトリプルボギーで通算8アンダーの3位に後退。松山もボギーをたたき、通算11アンダー。その時点で通算9アンダーでホールアウトしたウィル・ザラトリス(24)=米国=とは2打差。ヒリヒリした展開で、勝負はクライマックスを迎えた。

 17番パー4。松山は第1打をフェアウェーキープ。第2打をしっかりグリーンに乗せてパーセーブした。

 2打差をキープして最終18番へ。両サイドから林が迫る難しい第1打をしっかりとフェアウェーキープし、勝利を大きく引き寄せた。最後のパットを沈め、長い、長い18ホールを戦い終えた。

 マスターズに日本人が初参戦して85年。32人の日本人選手が挑み、誰も立つことができなかった頂点に、松山がついに立った。

 現地時間2021年4月11日。日本時間12日早朝。日本列島が歓喜に湧いた。「松山英樹」の名前は永遠に日本ゴルフ界の歴史に刻まれることになった。

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 日本人選手の海外メジャー制 

 ▽ レギュラー男子 

 2021年マスターズ 松山英樹

 レギュラー女子

 1977年全米女子プロ 樋口久子

 2019年AIG全英女子オープン 渋野日向子

 シニア男子

 2013年全米プロシニア 井戸木鴻樹

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2021年4月 4日 (日)

【北の国から】性格俳優✍田中邦衛さん(享年88歳)逝去。

 田中邦衛さん追悼テロップ「謹んで御冥福お祈りします」 

サンスポ 2021年4月3日(土)21時42分配信

 フジテレビは3日、俳優の田中邦衛(たなか・くにえ)さんの訃報を受けて、追悼番組として「北の国から’87初恋」を放送した。

 田中さんが主人公・黒板五郎役を務めた同局系ドラマ「北の国から」は1981年10月9日から82年3月26日まで金曜午後10時枠の「金曜劇場」で放送。その後、シリーズ化され、ドラマスペシャル8本が83年から2002年まで制作された。妻(いしだあゆみ)の不倫を機に、東京から故郷の北海道・富良野に移り住んだ五郎(田中)と幼子だった純と蛍の21年間を描く。原作・脚本は倉本聰。

 この日の番組冒頭、「俳優の田中邦衛さんがお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼テロップが流された。

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 シリーズで親子を演じた長男・純役の吉岡秀隆(50)は、訃報が流れた前日2日、「邦衛さんの笑顔しか思い浮かびません」と追悼。長女・蛍役の中嶋朋子(49)も「幼い頃から、今まで、何も変わることなく、人として、深く接してくださいました」と温かい“父”を偲んでいる。

 「出来ること出来なくなった」田中邦衛さん知られざる晩年 

東スポWeb 2021年4月3日(土)6時15分配信

 テレビドラマ「北の国から」の父親役などで人気を集めた俳優の田中邦衛(たなか・くにえ)さんが3月24日午前11時24分、老衰のため死去した。88歳だった。岐阜県出身。葬儀は家族で行った。ぼくとつとした語り口で親しまれ、人との出会いを大切に役者人生を歩み、テレビドラマ「北の国から」(フジテレビ系)の主人公黒板五郎にも似た真っすぐな人柄が多くの人から愛されていた。

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 田中さんはここ数年、高齢のため俳優を休業。2012年8月に行われた俳優・地井武男さん(享年70)の「お別れの会」では「北の国から」で息子役だった吉岡秀隆に支えられながら、祭壇の前に立った。

 業界関係者によると「ずいぶん前から『もう人前には出ない』と公言していた。衰えゆく姿を見せたくなかったのだろう」という。

「12、13年ごろから隠居生活で家族で介助できたのですが、15年ごろからは要介護になり、自宅から車で20分ほどの有料老人ホームに入った。歩行できず、施設内でも車いす生活でした。『自分でできることがひとつひとつできなくなっていた』と言い、すべてに介助が必要で、食べ物、飲み物も飲み込みにくくなっていたほどです。でも、意識はしっかりしていました。そして、17年からは自宅に戻ってリハビリ生活をしていたそうです」

 最近は公の場に姿を現さず、静かな暮らしを送っていたという。

 マスコミもかねて田中さんにインタビュー取材を申し込んでいたが頑なに受けなかったという。最後まで生粋の俳優だった。

 そんな田中さんが強烈な印象を残したのは1961年からの映画「若大将」シリーズと、81年からのドラマ「北の国から」だろう。

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「若大将」シリーズで主役の加山雄三さんと張り合う青大将役で評判に。

 映画関係者は「若大将シリーズでは加山雄三さんの引き立て役とも言えたが、『北の国から』で田中さんらしい役者人生になったんでしょうね」と語る。

「北の国から」に黒板五郎役で主演。子ども役の吉岡や中嶋朋子とともに、北海道・富良野の大自然の中でたくましく生きる家族を演じた。子どもたちに真っすぐな愛情を注ぐ不器用な父親像は、多くの共感を集めた。

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 また、田中さんと言えば「網走番外地」(65年)など、多くの映画で故高倉健さんとタッグを組んだことで知られる。

「駅 STATION」(81年)では、厳寒期の北海道での撮影だった。芸能プロ関係者は「雪のシーンの撮影だが、雪が降っていなかったため〝雪待ち〟となり、あまりの寒さに田中さんは暖房の効いたロケバスに避難。ところが、車窓から見ると、健さんは外で立っていた。田中さんは『健さんはスタッフを無言で支えているんだ』とあわててロケバスを飛び出したんです」と語る。

 そんな田中さんと高倉さんが〝漫才コンビ〟を結成しようとしたエピソードについて、ビートたけし本紙客員編集長が、こんなエピソードを本紙に語ったことがある。

 たけしは「お笑い芸人が映画賞を取るようになったから、ラジオで『役者よりお笑いの方が芝居がうまいじゃねえか。何なら役者がお笑いやってみろ』って言ったことがある。そしたら健さんが田中邦衛に『漫才やろうか』って言ったらしいよ」と本紙に明かした。

〝健・邦衛〟の漫才コンビが実現していたらすごいことだが、「だけどネタ合わせやったらお互い無口で『こりゃダメだ』と、すぐにやめたって(笑い)」とたけしは明かした。こうして漫才コンビ〝健・邦衛〟は幻に終わったという。

ビートたけし田中邦衛高倉健の秘話明かす

スポニチアネックス 2021年4月3日(土)22時32分配信

 お笑いタレントのビートたけし(74)が3日、TBS「新・情報7DAYS ニュースキャスター」(土曜後10・00)に出演。3月24日に老衰のため、88歳で死去した俳優の田中邦衛さんを追悼する場面があった。

 たけしは、85年公開の映画「夜叉」で田中さんと共演したことがあり「『夜叉』のときにね、いつも高倉健さんと一緒にいてさ。俺がそのときのラジオで『役者は漫才できないだろ、俺は漫才師でも役者はできるぞ』って言ったの。それを聞いた健さんが、邦衛さんに電話して『高倉ですけど、邦衛ちゃん漫才やろうか?たけしが言ってたぞ』って。2人で喫茶店で待ち合わせして、やってみようとしたんだって」と驚きの展開に。

 「でも、お互い無口で全然ダメだったって。それを邦衛さんが俺に言ってきたのよ『健さんが本当に漫才をやる気になったんだよ!』って。面白かったですね」と懐かしんだ。

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田中邦衛さん訃報富良野ドラマ館来館者7~8倍に

スポニチアネックス 2021年4月3日(土)19時44分配信

「北の国から」のオリジナルグッズを販売する新富良野プリンスホテル内「富良野・ドラマ館」の運営会社で物販を統括する小野坂貴志さん(47)は「訃報の後、オンラインショップも合わせて普段の10倍の売り上げがある。店にいらっしゃるお客さまの数も日頃の7~8倍です」と話した。

 一番の売れ筋は黒板五郎の衣装のジャンパーとニット帽で、「他を圧倒する数」と小野坂さん。店内には献花台が設けられ、手を合わせていくファンもいた。

 小野坂さんは埼玉県出身。「北の国から」に憧れ、脚本家と俳優を養成する倉本聰氏の私塾「富良野塾」に入った経歴の持ち主だ。

「塾生として田中さんを見ていて、あまりにも富良野に馴染んでいる方だった。倉本さんもおっしゃっていたが、田中邦衛さんは亡くなっても、五郎さんは生きていると思っています」と目頭を熱くして話した。

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 田中邦衛さん「電車の中でひょっとして純クンのお父さん?って、嬉しいよね」転機となった黒田五郎 

夕刊フジ 2021年4月3日(土)16時56分配信

 3月24日に老衰のため88歳で死去した俳優の田中邦衛さん。ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)の父親役や、『若大将』シリーズのライバル青大将など、長きにわたって多くのファンに愛されてきた“いぶし銀”の名優がひとり、静かに旅立った。

 最近は、体力の衰えなどを理由に休業状態となっており、2010年に公開された映画『最後の忠臣蔵』が最後の出演作となった。最期は家族に看取られながら息を引き取ったという。

 15年には、入院をきっかけに歩行困難となり、車椅子生活をしながら、リハビリに励んでいると報じられていた。

 映画『若大将』シリーズや『網走番外地』『仁義なき戦い』シリーズなどでアクの強い演技で“主役キラー”といわれた邦衛さん。いぶし銀のバイプレーヤーとして活躍していたが、転機となったのは1981年に始まった『北の国から』の黒板五郎役だ。

 口をとがらせてとつとつと話す独特の語り口が、純と蛍という2人の子供に真っすぐな愛情を注ぐ不器用な父親像と相まって、視聴者の共感を集めた。

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 まじめで不器用な姿は演技だけではなかった。ベテランの芸能記者は「役者一筋の姿勢は結構、記者泣かせでした」と話し、「人見知りで、インタビューでもなかなか懐に入れてくれない。不勉強なのを見透かされると、途端に口数が減ってしまう」と明かす。

 大作映画の初主演作である90年公開の映画『タスマニア物語』。オーストラリア・タスマニア島でのロケに同行した元産経新聞の映画記者、田中宏子氏は邦衛さんの素顔を垣間見た。

 《撮影現場が大好きなんだ》と話した邦衛さんは、その理由を《スタッフの子たちなんて安い手当で安い弁当を食いながら、いい汗を流してる。みんなすてきな顔をしてるし、すてきな心をしてるんだよね》と田中氏に語ったという。

 戦後の一時期、英語の代用教員をしていたが、《英語のセリフが子役よりヘタだといわれちゃった》とも。

 『北の国から』で主役を張ったとき、《自分をゼロに戻して演技開眼した》という邦衛さん。五郎役で得た貴重な経験を明かした。

 《電車の中で突っ立ってたら、髪の毛を真っ茶色に染めた若い男がオレのほうに来るんだよ。それでさ、「おじさん、ひょっとして純くんのお父さん?」だって。うれしいよね》

 「“不器用”を自認していた邦さん。自己顕示欲の強い人が多いこの世界では珍しくシャイで誠実、ハートがあったかい人でした」と田中氏は語る。

 田中邦衛さん「俺元々中学教師だったんだ」 

読売新聞オンライン 2021年4月3日(土)13時15分配信

「北の国から」など道内を舞台にしたドラマや映画で活躍した田中邦衛さんは、撮影の合間に町を歩き、地元の人たちに声をかける気さくな人柄で知られた。富良野や新冠、羅臼……。田中さんと触れあったゆかりの人たちは、突然の別れを惜しんだ。

素朴な姿印象的

 「あまりにも突然で信じられない」

 北の国からの劇中に登場した富良野市の料理店「くまげら」の店主・森本毅さん(78)は、そう肩を落とした。

 ドラマ放映が始まる前の制作記者会見は、店2階の宴会場で開かれた。ロケの休憩中、田中さんはよく店にお茶を飲みに訪れた。「(ドラマ主人公の)五郎とそっくりな気さくな人で、家族のような存在だった。『くにさん』と呼んでいたが、ドラマのイメージが強くなり、いつしか五郎さんと呼ぶようになった」と懐かしんだ。

 田中さんが夕食を食べに訪れたという居酒屋「炉ばた」大将の田村栄治さん(73)は「体調を崩したと聞いて心配していた。元気になって富良野に戻ってきてほしかった」と悼んだ。田中さんが食べたのは、たら汁やおにぎり、焼き魚。「帽子にジャンパーというドラマからそのまま出てきたような素朴な姿が印象的だった」と振り返った。

 経営する木材会社が撮影現場となった仲世古善雄さん(77)は「富良野のことを気遣ってくれて、感謝しかない」。田中さんはロケ中、バスで市内を移動していたといい、仲世古さんは「バス停で住民たちと和気あいあいと話していた姿を覚えている」と目を細めた。

思い出多く

 ロケを支えた人たちも、気さくな人柄をしのんだ。

 当時、新富良野プリンスホテルの係員としてロケ隊や俳優陣の受け入れ窓口を務めた峰廻(みねまわり)賢さん(66)によると、田中さんは温泉好きで、地元の温泉に出かけるなど、富良野を満喫している様子だった。自宅に田中さんを招き、近所の人たちと一緒に食事をしたこともあるといい、「気さくな人で、友達も多かった」と話した。

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 ロケ開始を1か月後に控えた1981年夏、田中さんら俳優陣は、地域に慣れるため富良野市に現地入りした。地元青年会議所の理事長だった会田系伍さん(80)が歓迎の焼き肉パーティーを開いた席上、田中さんは「俺、元々中学の教師だったんだ」と言って一同を驚かせた。会田さんは「そんな人がなぜ役者をしているのか、みんな不思議がっていた。あの場面が忘れられない」と述懐した。

生き方、継承したい

 映画やドラマの撮影は富良野以外の地域でも行われ、映画「優駿(ゆうしゅん)ORACION」のロケが行われた新冠町の「新冠橋本牧場」取締役橋本寿子さん(64)は「知人に頼まれて田中さんにサインをお願いすると快諾してくれた。知人の子どもを抱っこして写真撮影にも応じ、驚いた」と振り返った。

 ドラマ「北の国から2002遺言」では、羅臼町の飲み屋で田中さんが町の漁師らと飲んだり歌ったりして大騒ぎする宴会シーンに、同町の食堂経営舟木清一さん(69)が漁師役のエキストラとして出演。悲報を聞いて「とても残念だ」と嘆いた。

 北の国からの五郎は、「純」や「蛍」とともに2001年、富良野市の名誉住民となった。市は近く、市民らが参加できる別れの催しを開く方向で検討しているという。北猛俊市長は「五郎さんが富良野に残してくれた人生観は大きなものがある。ご冥福を祈るとともに、彼の生き方を継承できる取り組みを市民と一緒に考えたい」と静かに語った。

田中邦衛さんを悼む

スポニチアネックス 2021年4月3日(土)5時30分配信

 ドラマ「北の国から」から映画「仁義なき戦い」まで幅広い名演で人気を博した田中邦衛さん(享年88)の突然の訃報に芸能界では悲しみが広がった。

山田洋次氏(映画「学校」シリーズを監督)善良が服を着て歩いているような人だった。一緒にいるだけで楽しい気持ちになるような素敵な人だった。あんな俳優が、あんな日本人がいたことを誇りに思う。

北大路欣也(映画「仁義なき戦い」などで共演)邦衛さんの“欣也ちゃん頑張れ”の一言でぬくもりと力をいっぱいもらいました。仲良くしていただいた日々を忘れることができません。心から感謝あるのみ。合掌。

千葉真一(「網走番外地 北海篇」などで共演)俳優座の舞台に出ている時から見ていて、個性が強くていい役者だなあと興味を持っていた。共演した時も、持っていかれるかも、という緊張感で臨んでいたことを覚えています。(東映)大泉撮影所ではしょっちゅう会って、一緒に飯を食いながらいろいろな話をしました。成田三樹夫さんと並び、バイプレーヤーとして尊敬していました。

永瀬正敏(「息子」などで共演)あの時も、あの時も、あの時も…優しく親身になって接していただきました。できることならもう一度ご一緒したかったです。

渡辺謙(ドラマ「御家人斬九郎」などで共演)大好きな、大好きな、大好きな先輩、田中邦衛さんが召されました。いっぱいいたずら合戦したのは忘れません。御家人斬九郎でも真面目に面白い芝居をしてくるのを丁々発止で受け止めるのが楽しかった~。もう一度ご一緒したかったです。

仲代達矢(俳優座の先輩)本当にショックです。役者というのは個性的な生き方をしなければならない宿命。これが田中邦衛である、という人生を生きた素晴らしい役者だったと思います。

岩城滉一(「北の国から」で共演)クニさんは黒板五郎そのもので、怒ることもない、優しくて素晴らしい人でした。娘が小3ぐらいの頃、1人で飛行機に乗って「北の国から」の現場に来た。凄く可愛がってくれて、一日中プールで面倒を見てくれたことが印象深いです。僕にとっては親父というより、年の離れた兄貴みたいな存在でした。

いしだあゆみ(「北の国から」で共演)突然の悲しいお知らせに大変驚いております。楽しいお仕事をご一緒できましたことが、私にとってかけがえのない大切な思い出です。心よりご冥福をお祈りいたします。

ガッツ石松(「北の国から」で共演) ユーモアがあって周囲に気を使う人だった。現場の雰囲気を明るくするため、ダジャレを言ったり、人がしゃべってるところに割り込んできたりしてね。共演していた人たちが先に亡くなって寂しい思いをしていたから、天国では高倉健さんや地井武男さんらと明るくのんびりしてほしいね。

さだまさし(「北の国から」主題歌担当)1980年の冬の富良野、倉本聰先生のご自宅でメインテーマを作ったあの日のことは今でも鮮烈に胸に残っています。邦衛さんは「北の国から」のテーマ曲を気に入り、本当に大切にしてくださいました。とても穏やかで温かなお人柄で役者としても人としても「格別に」個性も存在感も強い素晴らしい方でした。

杉田成道氏(「北の国から」の演出を担当)30年来の戦友を失った気持ち。邦さんという人はまさに五郎さんそのもので、むしろ五郎さんの方が邦さんに近寄って、その体にすっぽり入り込んだような気がします。全てにこだわらなくて、なんでも包み込むまさに日本の父でした。

倉本聰氏(「北の国から」の脚本家)たった今(2日午後6時すぎ)、知りました。知人からNHKを見ろ、と電話が掛かってきまして。全然、知りませんでした。

 邦さんの奥さんとは電話でちょくちょく話していたんですが、最後の電話は2カ月くらい前だと思います。そのときは、極端に悪くなったとは言っていませんでした。会いたいと何度も言っていたのですが、だいぶ前から(介護)施設に入っていましたから…。

 まぁ、とにかく家族を大事にした人でした、ものすごく。僕らと飲んでいても、時間が来ると帰っちゃう人でした。

 「北の国から」の主演を頼んだときに、「今までの(若大将シリーズの)青大将はやらないでくれ」と言ったら、口をとんがらがせて「じゃあ俺は何をやればいい」と言ったけど、ちゃんと役を作り上げてくれた。あの人でなければ、「北の国から」はなかった。

 黒板五郎役の候補には高倉健さん(享年83)、藤竜也さん(79)、西田敏行さん(73)、中村雅俊さん(70)もいました。

(五郎のモデルである)僕みたいな欠陥だらけの人間は誰だろう、誰が一番、情けないだろうってみんなで話し合ったんです。そしたら文句なく邦さんで。男の情けなさをやろうって言ってて、見事にそれが出た。

 でも、邦さんは途中から2枚目になりました。父の威厳と情けなさ、だらしなさ、矛盾の中で生きる姿が出てきてね。

 あるとき僕が「男は真面目にやればやるほど矛盾が出るもんだ」と邦さんに話したら、「そうだよな」って同感してくれましたね。

 一生懸命やっているといろんなことが起きちゃうでしょう。隠し事をしていると一生懸命、隠すけど矛盾が出てくる。それをものの見事に出してくれた。

 最後に掛けたい言葉?…それはやめましょう。いなくなった人間に失礼ですよ。

 「幸せな役者人生」田中邦衛さん御遺族コメント全文 

産経新聞 2021年4月2日(金)19時15分配信

 先月24日に亡くなった俳優、田中邦衛(たなか・くにえ)さんの家族から2日、産経新聞に「お知らせ」と題したファクスが送られてきた。その内容は以下の通り(原文ママ)。

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俳優・田中邦衛は、2021年3月24日午前11時24分、老衰のため、息を引き取りました。家族に見守られながら、安らかな旅立ちでした88歳でした

長年、応援してくださったファンの皆様をはじめ、多くの方々に支えられ、心に残る数々の作品に出会い、幸せな役者人生を歩むことが出来ましたここに、生前の御厚誼を心より感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます

故人は、最期の日まで、皆様からの励ましを支えに、前向きに生きる気力と、周囲への感謝を持ち続けていました素晴らしい医療・介護チームのサポートのもと、私たち家族も、共にかけがえのない時を過ごすことができました

葬儀につきましては、静かに見送ってほしいとの故人の希望により、過日、家族葬の形で執り行いました御香典、御供花などは、お気持ちだけ有り難く頂戴し、辞退させて頂きたく、お願い申し上げますまた、お別れ会・偲ぶ会などにつきましても、実施する予定はございませんこれまでお世話になった皆様、お一人お一人に御挨拶申し上げるべきところ、誠に勝手ながら、故人の遺志をご理解頂ければ有り難いです

出演させて頂いた作品を通し、故人を思い出して頂くことがあれば、幸甚に存じます

重ね重ね、どうもありがとうございました

2021年4月2日

家族一同

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関連エントリ 2014/12/01 ⇒ 【仁義なき戦い】✍菅原文太さん(享年81)逝去。
関連エントリ 2014/11/18 ⇒ 【最後の映画スター】✍高倉健さん(享年83)逝去。

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2021年3月 6日 (土)

【5度目の結婚】名優ニコラス・ケイジ(57)✍今度も日本人(26)と結婚。

 ニコラスケイジ💓日本人女優2月5度目結婚 

Hint-Pot 2021年3月6日(土)14時28分配信

 昨年に日本人女優・芝田璃子との交際が報じられていたニコラス・ケイジ。このほど、2月に5度目の結婚をしていたことが明らかになり、結婚式でのツーショット写真が公開された。ラスベガスの有名ホテルで行われた式で、花嫁は着物姿を披露。また、花嫁はKiroroの楽曲が流れる中を歩いたという。

 ◇ ◇ ◇

新郎の亡き父の誕生日を祝うため2月16日に挙式

 今年1月で57歳を迎えた米有名俳優ニコラス・ケイジ。映画『リービング・ラスベガス』で米アカデミー主演男優賞に輝いた実力派であり、日本でもおなじみの人気俳優だ。だが、1995年に米女優パトリシア・アークエットと結婚して以来、離婚と結婚が度々報じられてきた。

 そんなニコラスの最新ガールフレンドは、20年2月にニコラスの生前墓を訪問した際などにパパラッチされ、3月に名前が判明した日本人女優の芝田璃子。

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 当時の報道によると、京都の芸能事務所に所属する26歳で、18年には日本のテレビ番組で母親の蒸発や10年ほど児童養護施設にいたことを明かしていたという。

 そしてこのほど、2人が米国時間2月16日に米ネバダ州のラスベガスで結婚式を挙げていたことが分かった。米雑誌「ピープル」は式の写真を公開するとともに、ニコラスが「それは本当のことです。そして私たちはとても幸せです」と、結婚を認めたと報じている。

 同誌によると、ニコラスの広報担当者は会場が有名ホテル「ウィン・ラスベガス」だったことを明かし、とても小規模で親密な式と表現。また日付は「新郎の亡き父の誕生日を祝うために選ばれた」と述べた。

 さらに、式でのニコラスは米ブランド「トム・フォード」のタキシードを着用。花嫁は京都で手作りされたブライダル用の着物に身を包み、お気に入りだというKiroroの楽曲が流れる中を歩いたそうだ。「Winter song」とされているため、おそらく「冬のうた」ではないかと思われる。さらに2人は伝統的なカトリックと神道の誓いをウォルト・ホイットマンの詩と俳句に置き換えたという。

 ちなみに、ニコラスは19年3月、同じラスベガスで日系人メイクアップアーティストと4度目の結婚(結婚許可証の申請)をしたが、4日後には「泥酔中だった」として無効を申請。同年5月末に離婚が認められた。今回は正式に式を挙げているだけに“本気の結婚”だと分かるが、ファンは今度こそ末長い縁を祈っていることだろう。

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ニコラスケイジ26歳日本人女性5度目の結婚

サンスポ  2021年3月6日(土)15時44分配信

 米TMZ(電子版)は5日(日本時間6日)、米人気俳優のニコラス・ケイジ(57)が日本出身のシバタ・リコ(26)さんと5度目の結婚をし、2人が先月ラスベガスで結婚式を挙げたと伝えた。2人は1年ほど前に日本で出会ったという。

 ケイジ氏の関係者によると、2人は先月16日(同17日)、ラスベガスのウィンホテルで挙式を行った。TMZは、着物姿のリコさんと黒のタキシードを着用した2人が手をつなぐ仲むつまじい姿の写真を掲載。

「ニコラス・ケイジ、ラスベガスで26歳女性と5度目の結婚」との見出しで、「現在ラスベガス在住のケイジ氏は、ビデオ通話でリコさんにプロポーズし昨年8月に婚約を発表。ケイジ氏は、当時日本に滞在していたリコさんに国際宅急便で婚約指輪を郵送した」と伝えた。

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 TMZによると、ケイジ氏は日本人女性のコイケ・エリコさんと4度目の結婚をしたが、わずか4日で離婚。それから2年もたたずして、今回の5度目の結婚に至ったという。

 ニコラスケイジ“5度目婚”仰天プロポーズ指輪を空輸 

女性自身 2021年3月6日(土)23時12分配信

 ニコラス・ケイジ(57)が日本人女性と結婚したと、3月6日に報じられた。各メディアによると、2月16日にラスベガスのホテルで結婚式を挙げたとのこと。

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 ケイジも海外メディア「People.com」の取材に、《It's true, and we are very happy》と喜びを語っている。

「お相手は、かねてから交際していた芝田璃子さん(26)。2人が出会ったのは1年以上前、ケイジが滋賀県に滞在していたときだといいます。結婚式は小規模で行われ、芝田さんが好な女性デュオ・Kiroroの楽曲も流れたそうです。海外メディアでは、タキシードに身を包んだケイジと着物姿の芝田さんが誓いのキスをする様子も報じられています」(映画関係者)

 そんなケイジが結婚をするのは、今回で5度目。前回は、19年3月に当時の恋人と結婚。しかし4日後に婚約を破棄し、同年5月に離婚が認められた。その離婚事由が「婚約したときは泥酔中だったから」とも伝えられ、世界中を驚かせた。

 ケイジにとって芝田との結婚は“5度目の正直”のようだが、プロポーズも驚きの方法だったようだ。

「ニューヨークに滞在していた芝田さんが京都に帰ってしまったことから、6カ月ほど会えなくなった期間があったそうです。一緒に過ごした時間が至福だっただけに、ケイジはいっそう恋しく感じたようです。思いを募らせた彼は、FaceTimeで芝田さんにプロポーズ。婚約指輪を日本に送ったそうです」(海外ジャーナリスト)

 芝田といえば、星野源(40)主演の『引っ越し大名!』といった話題作にも出演経験のある女優だ。現在の活動状況は不明だが、19年7月放送の『親子の絆のぞき見バラエティ!イマドキ家族』(テレビ東京系)にも登場したことがある。

「芝田さんは、複雑な家庭環境に育ったことを明かしていました。母親と21年間会っていないことから、『女優になれば気づいてもらえるはず』と役者を目指したそうです。番組を通じて、感動の再会を果たしていました。

 いっぽう幼少期を児童養護施設で過ごしたこともあり、父親との間に溝が広がっていったことも語っていました。辛い思いをした分、これから幸せな家庭を築いていけるといいですね」(前出・映画関係者)

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 ネットでは、新婚の2人を祝福する声が広がっている。

ニコラス・ケイジが! おめでとうございます!
マジか! おめでとうございます! 今度こそ幸せになっとくれ!
幸せなのか! それは良かった! お幸せに~

 福原愛さん騒動、背景に国際結婚の難しさ…日台家族観の違い 

スポニチアネックス 2021年3月6日(土)21時20分配信

 卓球女子五輪メダリストの福原愛さん(32)をめぐる離婚騒動に関し、国際結婚の難しさを指摘する声がネット上に相次いでいる。

 2012年に日本と台湾のハーフの男性と結婚し、台北に在住している元宝塚男役の真野すがたは「日台夫婦として思うところはあります…」とブログに投稿。

 福原さんが嫁いだのが台湾の高雄であることを挙げ「高雄ともなればもう中国語どころか台湾語が飛び交っていて(中略)もう全然別の世界なんだよね」と、日本でよく知られている台北とは文化が大きく異なると指摘。

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 週刊文春は、福原が元卓球台湾代表の夫江宏傑(32)の義姉や義母からのいびりに耐えかねて離婚協議入りしていると報道しているが、真野は「今でも昔ながらの考え方や伝統習慣にそって生活している人々ががっちり家族・親せきと繋がっている」という土壌があることを明かしている。

 台湾の男性と結婚、離婚した女性は「姑の言うことは絶対。旦那は姑の味方」と自身の体験を踏まえて指摘。一方で「一般的に台湾の姑は口うるさいみたいだけど、情に厚くて、外では嫁の自慢をしてくれる」という。

 福原は「夫婦間で子供にとって何が一番なのか話し合っている」とコメントしている。米国人男性と離婚した女性は「アメリカは自分第一主義。自分の時間を優先するために、子供を預けるあの“ベビーシッター文化”にどうしてもなじめなかった」と文化の違いに悩み、離婚に至ったことを明かした。

福原愛不倫報道」に中国ファンが激怒

FRIDAY DIGTAL 2021年3月7日(日)8時01分配信

 卓球女子メダリスト・福原愛の不倫疑惑報道が異様な展開を見せている。

 3月4日発売の「女性セブン」が報じたもので、訪日中の福原が2月下旬、長身のイケメン男性と2泊3日の“横浜デート”を楽しんだという。同誌の電子版「NEWS ポストセブン」ではデート写真55枚を掲載しており、言い逃れできないようにも見えたが…。

 福原は4日夜、自身のマネジメント業務を行う「電通スポーツパートナーズ」の公式ホームページで直筆メッセージを公開。

《この度は私自身の軽率な行動により、ご心配、ご迷惑をお掛けしておりますことを心よりお詫び申し上げます。台湾にいる夫や子供、家族に対しても不安や心配を抱かせてしまい、真摯に反省しております》

と、謝罪した上で、不倫疑惑については次のように釈明した。

《社会人の先輩として尊敬していた友人にアドバイスをいただく際に気分転換を兼ねて、外出いたしました。一緒の部屋に宿泊した事実はありません》

江宏傑との今後についても

《夫婦間で子供にとって何が一番なのか話し合っていることも、併せて報告させていただきます》

と意味深に綴っている。

「“無理筋”でも否定しないと、彼女の商品価値に大きな傷がつく。東京五輪の仕事も内定しているだけに『一線は超えていない』と言うしかなかった」(広告代理店関係者)

 一方の夫・江も福原の不貞行為が発覚するや、すぐに動いた。マネジメント会社を通じ、

《小傑(江)は小愛(福原さん)が男性と遊んでいたことを知らなかった》

と先制ジャブ。さらに4日夜には江本人も声明を発表し、

《私の小愛への愛情は、出会った最初の日から今まで変わっていません。結婚して5年近くになり、素敵な男の子と娘がいます。文化の違いに適応することは、常に夫と妻の共通の宿題でした。私たちの家族のサポートに感謝しています》

と“不変の愛”を訴えた。さらに夫婦関係についても

《小愛が台湾にいない間、小愛のお母さんと2人の子供たちの世話を分かち合ってきました。一連の誤ったゴシップが私たちの愛する親戚を傷つけることは本当に望んでいません。未来の道は長いです。私たちの相互の感情が消えることはありません》

と円満を強調。インスタグラムのストーリーでは福原さんの母・千代さんの写真を公開した上で《愛ママお誕生日おめでとう》というメッセージも掲載している。

 福原が離婚に向けた話し合いを匂わせているのとは正反対だ。この辺りの事情について台湾メディアに詳しい人物は、

「向こう(台湾)で江はあくまで“福原愛の夫”という扱いなんです。夫婦共演のCMに出演できるのも、福原のおかげ。彼女と離婚した場合、江は失うものが大きすぎるのです」

と話す。福原は台湾のみならず、中国でも絶大な人気を誇る。中国版ツイッター「微博」のフォロワー数は500万人超で、‘08年には胡錦涛・元国家主席と卓球対決までしたほどだ。

 江は4日発売の「週刊文春」で福原に対するモラハラ言動が大々的に報じられた。歯科治療を終えた帰り道、江が福原に対し「誘うような口の開け方をして。この売女(ばいた)!」と激しく罵ったという。

「これに中国の福原ファンは激怒しており、SNS上では江に対して物騒な文言も散見されます。もともと台湾と中国の関係は芳しくないだけに、江の周辺が身の危険を感じるほどだといいます。少なくともネットを通じてのなんらかの嫌がらせはあるでしょうね」(同・台湾メディアに詳しい人物)

 すんなり離婚とはいかないのも、こうした背景があるとみられる。海を隔てて、事態は泥沼化しそうな雲行きだ。

 福原愛さん不倫報道で「エール諦め中台温度差 

デイリー新潮 2021年3月5日(金)13時35分配信/西谷格(ルポライター)

日本人は不倫が多い? 

 すっかり“時の人”となってしまった、元卓球日本代表で銀メダリストの福原愛さん(32歳)。エリート会社員との不倫疑惑、そして夫である台湾人卓球選手・江宏傑(ジャン・ホンジェ、32歳)さんとの離婚協議が週刊誌で報じられると、ニュースは日本のみならず中国・台湾と東アジアを駆け巡った。反応が対照的だった台湾と中国の例を紹介する。

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 男性とのツーショット写真をおさえた記事がある一方で、夫のモラハラも報じられる中で、福原さん自身は、「社会人の先輩として尊敬していた友人にアドバイスをいただく際に気分転換を兼ねて、外出いたしました。一緒の部屋に宿泊した事実はありません」とコメントを発表している。

 ネット上のコメントやワイドショーでの扱いを見ると、日本の世論は福原愛さんに対して非常に厳しい意見が少なくない。

「終わったな。超えてはならない一線を超えてる」

「モラハラがあったとして、婚姻生活が終了してないのに他の男の人と疑われることしちゃアウトでしょ」

「日台友好の観点からも日本の評価を貶める国際的にもダメな事例」

 などと非難轟々、同情の余地なしといった扱いである。

 だが、それとは対照的に、結婚生活を送った台湾、卓球の本場で現地プロリーグにも参加した中国では、世論の反応が大きく異なる。

 まず、台湾のほうから見てみると、夫婦への皮肉まじりの冷淡なコメントが散見されるものの、愛さん本人へのバッシングはそれほど目立たない。

“国際結婚は難しい”、“日本人は不倫が多いから仕方がない”など、あきらめムードや残念感が強いようだ。

500万フォロワーが大応援

「終わったな。江宏傑さん、ご愁傷様!」

「日本人の女性にとって、不倫はよくあること。江宏傑がこうした文化の違いを受け入れられるか分からないけど」

「報じられている夫からのモラハラが事実だとしたら、私だったら耐えられない。離婚前にほかの人を好きになるのは道徳的には問題があるけれど、結婚生活を維持するつもりがないのなら、我々がとやかく言うことではないだろう」

「結婚しているなら、異性とデートに行くのはマズイだろ」

「もう台湾に帰って来るな」

「不道徳な夫婦は(現在出演する)家電メーカーの広告に出る資格などない!」

「ビジネス夫婦はうまくいかないなあ」

「不倫報道が出たのは妻のほうなのに、夫のほうばかり責められているのはどういうことなんだ?」

「早く愛ちゃんを取り返したほうがいい。でないと、誰も江宏傑のことなんて興味ないんだから」

「江宏傑はキチンと説明すべき」

 台湾での反応には濃淡があるものの、一言で言えば“あきれた”という感じかもしれない。

 一方、中国大陸では日本・台湾とは大きく景色が異なる。

 ネット上では「不倫」よりも「離婚」に関するニュースが目立ち、中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」には、愛さんへのエールや励まし、擁護の声が溢れた。

「夫にはすでに離婚の意志を伝えているんだから、裏切りにはならない。気持ちの上ではもう別れているんだから、恋人を作ってもいいだろう」

「男のほうに問題があるから、不倫したんだろう」

「これが過ちだとしたら、彼女は全世界の女性が犯す過ちを犯したに過ぎない。別にどうってことはない」

「ずいぶん堂々と撮られているし、本当に不倫なのかな?」

「夫婦のどちらが先に不倫しているか、分からないよね」

かつてテレビ番組で

 福原愛さんはかつてテレビ番組で、未婚女子へのアドバイスとして、「好意を寄せている男性と旅行に行くのは当然ある。その際に、“部屋はちゃんと別々にしてほしい”と伝えるべきだ」と話していたことがある。

 今回の“ホテルでは別々の部屋に泊まった”という釈明を聞いて、その番組のことが思い出されたが、中国ではそれを敢えて肯定するコメントが目立った。

「ホテルで本当に何もしてないかもよ! 世界平和について語り合っていたのかもしれないし」

 福原愛さんは、ウェイボー上で500万フォロワーを有する。本人のウェイボーには、熱狂的と言えるのほどの応援メッセージが溢れた。

「愛ちゃん、あんなヒモ男とはさっさと別れたほうがいいよ!」

「ネット上のおかしなコメントは、見ないほうがいいよ」

「中国はいつまでもあなたの故郷だよ」

「離婚するのは普通のこと。謝罪なんか必要ない。元気出して」

「子供と一緒に中国においで」

 彼女が現役のころから変わらず、どんなことがあっても愛さんの側に立つという、大応援団が付いているのだ。

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 中国語の東北弁を巧みに操り、オリンピックで中国選手を相手に金メダルを争った福原愛さん。その中国での人気は、日本人の想像以上だったと言えるかもしれない。

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2021年2月25日 (木)

【栃木✍山火事】発生から5日目「延焼面積100万平米」鎮火の目途立たず

 栃木県足利市の山火事鎮火2週間以上かかる可能性 

読売新聞オンライン 2021年2月24日(水)20時48分配信

 栃木県足利市の両崖山(りょうがいさん)(251メートル)で山火事が発生し、出火から4日目となった24日夜も延焼が続いた。同日午後6時現在で山林約76・5ヘクタールを焼失し、陸上自衛隊や県などのヘリが散水を続けた。市は鎮火に10日から2週間かかる可能性があるとの見通しを示した。けが人や民家への被害は確認されていない。

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 県によると、ヘリによる散水は同日午後6時までで計約280回、散水量は計約85万リットルに及んでいる。市によると、両崖山東側の同市本城地区では火が民家まで約70メートルの地点に迫った。西側の天狗山(259メートル)にも燃え広がった。

 市は、避難勧告の対象を近隣の72世帯から177世帯に広げた。同日午後7時現在で、市内3か所の避難所に21世帯37人が避難している。近くの中学校が臨時休校になるなど、市民生活に影響が出始めている。

 市などによると、21日午後、「山林が燃えている」と登山者から119番があった。県内には乾燥注意報が出され、連日の強風で周辺に飛び火した。

 東日本高速道路は24日午後10時20分、北関東道の足利インターチェンジ(IC)―太田桐生IC間を通行止めとした。

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群馬県桐生市でも山火事消火活動始まる

ABEMA TIMES 2021年2月25日(木)12時40分配信

 栃木県足利市で21日から山火事の延焼が続いているが、北西に約25キロ離れた群馬県内でも別の山火事が発生したことがわかり消火活動が始まっている。

 新たな山火事が発生したのは群馬県桐生市で、赤城山の東の山麓。午前10時ごろに発生が確認され、消防車13台や山梨県の防災ヘリコプターなどによる消火活動が始まっている。

 これまでにけが人や住宅などへの被害の情報は入っていない。

茨城県桜川市山火事雨引山周辺

茨城新聞クロスアイ 2021年2月25日(木)21時58分配信

 25日午後7時39分ごろ、桜川市本木の雨引山周辺で、山林が燃えていると近隣の住民から119番通報があった。

 桜川署によると、周囲に建物はなく、けが人などの情報は入っていない。筑西広域消防本部によると、午後9時半現在、火は延焼しているという。同署で出火原因を調べている。

 雨引山は中腹に587年開山の古刹(こさつ)、雨引山楽法寺(雨引観音)がある。同本部によると、火災現場は同寺の数百メートル下方。同寺には国重要文化財の観世音菩薩立像や県指定文化財の本堂がある。

 同本部からは消防車6台、消防隊員約25人が消火に当たっている。

長野でも山林火災ゴミやしていたったか

長野放送 2021年2月25日(木)19時30分配信

 長野県阿智村で25日午後、山林火災が発生し、午後7時現在も鎮火には至っていない。消防は、26日朝から消火活動を再開する。

 火災が発生しているのは、阿智村清内路の山林。25日午後3時ころ、付近の住民から「建物が燃えて山林に火が燃え移ってる」との119番通報があった。

 長野県警の発表では、ごみを燃やしていた火が燃え移ったとみられ、近くの空き家2棟も全焼したが、けが人などは確認されていない。

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 栃木県足利市の山火事赤城おろしで被害拡大、長期化の様相 

毎日新聞 2021年2月25日(木)19時57分配信

 栃木県足利市で発生した山火事は25日、発生から5日目を迎えた。火の勢いは衰えず、これまでに約100ヘクタールを焼失し、避難勧告の対象は207世帯に増えた。延焼拡大の要因となっているのが、北側の群馬県の赤城山から吹きつける「赤城おろし」と呼ばれる季節風だ。市は鎮火までさらに2週間程度かかるとみており、住民の不安は募る。

 「立ち木ではなく、下草がじわじわ燃えている。消えたかと思うと落ち葉の表層が崩れ、下の残火が燃え出す」。現場を視察した市幹部は、強風に乗ってあちこちに飛び火した炎の様子を険しい表情で説明する。

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 火災が発生したのは21日午後3時半ごろ。足利市中心部にほど近い両崖(りょうがい)山(標高251メートル)から白煙が上がっているのを登山客が見つけ、119番した。駆け付けた消防隊員が山頂付近にある休憩所の木製ベンチの周辺約50平方メートルが燃えているのを確認した。両崖山と西側にある天狗山(同259メートル)は、天気がよければ富士山が見える人気のハイキングコース。火災が起きた日も多くの人が訪れており、市はハイカーの火の不始末が原因だった可能性もあるとみている。

 市内にはこの時期、冬型の気圧配置が強まると赤城山からの強い北風が吹きつける。16日からは乾燥注意報が発令されていた。市は火勢が強まった22日、県を通じて陸上自衛隊に災害派遣を要請。ヘリコプターによる上空からの散水と地上からの放水で延焼を食い止めようとした。

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 ところが23日には隣接する栃木県佐野市で最大瞬間風速17メートルを観測する強風が吹き荒れ、ヘリによる消火活動は一時中断を余儀なくされた。強風は24日も続き、火は天狗山に燃え移り、22日時点で10ヘクタールだった焼失面積は、7倍の76・5ヘクタールに拡大した。

 火災による市民生活への影響も深刻になっている。足利市内の中学と高校5校が臨時休校となったほか、24日夜からは北関東自動車道の足利インターチェンジ(IC)―太田桐生IC間の上下線が通行止めに。

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 市街地には風で運ばれた煙が漂い、かすみがかかったような状態が続く。両崖山のふもとに住む大学院生、熊本諒太さん(24)は「子どものころから遠足などで登ってきた山の景色が変わってしまうのは寂しい」と心配そうに話す。

 足利市と群馬県桐生市では2014年にも、約263ヘクタールを焼く大規模な山火事が起きている。下草から木へと燃え広がり、その後は炭化した木がくすぶり続けたという。当時は水のうを背負った消防隊員が山を登り、17日後にようやく消し止めた。足利市は今後、国の緊急消防援助隊の応援を受けながら消火を目指す方針で、幹部は「山林の被害はある程度やむを得ない。けが人を出さない、建物を守ることが最優先」と話した。

 ◇ 山林火災、出火原因は「たき火」が最多

 林野庁によると、2019年にあった山林火災は1391件だった。15年以降の5年間の発生件数は、ほぼ横ばいとなっている。

 15~19年の出火原因は、たき火が最多の373件(30・2%)。野焼き216件(17・5%)▽放火(疑い含む)104件(8・4%)▽たばこ63件(5・1%)――となっている。

 空気が乾燥し、落ち葉が積もって燃えやすくなる冬から春にかけて発生するケースが多い。人気が高まっているキャンプやハイキング中のたき火が原因となったケースもあるとみられる。同庁は「不注意からの出火が多い。火災が起こりやすい場所でたき火をしないことや、火気の使用中はその場を離れず、消火を徹底してほしい」と呼びかけている。

 ◇ 避難勧告が発令された2000年以降の主な山火事

 

発生場所     発生日と鎮火日    避難勧告等人数  焼失面積(ヘクタール)

 

兵庫県宝塚市   02年3月19~21日  241世帯718人      32

 

岐阜市・各務原市 02年4月5~6日1160世帯3613人    410

 

香川県直島町   04年1月13~19日  283世帯650人    122

 

東京都三宅村   12年11月16~25日    85世帯146人    156

 

岩手県釜石市   17年5月8~22日  136世帯348人    413

 

※ 林野庁のホームページから

足利山火事刀剣乱舞聖地神社全焼延焼続く

朝日新聞デジタル 2021年2月26日(金)9時33分配信

 栃木県足利市の山火事は5日目の25日も延焼が続いた。周辺の5中、高校が休校し、新たに天狗山西側の大岩町の一部30世帯に避難勧告が出た。避難勧告は計207世帯になった。北関東自動車道の足利IC―太田桐生ICも24日夜から通行止めとなり、あちこちで渋滞が起きた。

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 市によると、焼失面積は約100ヘクタールに広がり、火が天狗山南側の今福町や西側の大岩町方面の民家に迫る場所が増えた。北側は北関東道の大岩トンネルの上部を越えて延焼した。

 市は学校のプールや河川の調節池に水をため、消火用の水確保を始めた。上空からの放水に参加したヘリは茨城や埼玉、宮城県など計12機。地上からも県外から消防応援を受けて168人態勢で消火に当たった。応援を含めた指揮系統を整備するため、消防庁から指揮要員の派遣も受けた。

 一部焼け跡が報道陣に公開された。民家まで約3メートルに迫った焼け跡では雑木林の下草や落ち葉が燃えて黒く焦げていた。火だねが飛び散って広がっている様子が確認できた。

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 長期化に備え、市は保健師を避難勧告地区に派遣し、住民の健康状態を聞き取り、医師会のチームが避難所を訪ねて相談に応じる態勢づくりも進めた。

 この山火事で両崖山(りょうがいさん)の山中にある無人の御岳神社が全焼した。両崖山には中世に城が築かれ、城主の長尾氏が名刀「山姥切(やまんばぎり)国広」を打たせたと伝わる。この刀がオンラインゲーム「刀剣乱舞」に登場。神社はファンの「聖地」として知られていたという。

 ファンが頻繁に訪れる市内の日本料理店「蝶(ちょう)や」オーナーの奈良孝太郎さん(49)は「小さいほこらのような神社だが、ファンや市民にとっては思い入れのある場所。みんなの手で再建できればと思うが、今はただ鎮火を待つだけです」と話した。

 なぜ起きた“山林火災”…乾燥強風など悪条件重なる 

下野新聞 2021年2月26日(金)9時16分配信

 25日も延焼が続いた足利市の山林火災は、なぜ起きたのか。識者は乾燥、強風のほか、この時期特有の山林の状況を要因に挙げる。一方、県は「山林火災の原因の多くは人為的なもの」と指摘し、火の取り扱いへの注意を呼び掛けた。

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 宇都宮地方気象台によると、足利市には今月16日から乾燥注意報が継続して出ているほか、23日には強風注意報も出された。足利に近い佐野では23日の平均風速が5.3メートルに達し、2月の平年値を上回った。

 森林総合研究所(茨城県つくば市)の玉井幸治(たまいこうじ)領域長は「2月という時期に加え、折からの乾燥や強風を考えると、いかにも山林火災が起きやすい悪条件がそろっていた印象だ」と語る。

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 林野庁によると、山の地面に堆積している枯れ葉などは燃えやすく、山火事につながりやすいという。玉井氏は「落ち葉が太陽光で乾き、より燃えやすくなるのがこの時期。同時に(火元となる)野焼きなど、人の活動も活発化してくる」と説明する。

 県森林整備課によると、県内では今年に入り、今回を除き25件の山林火災が発生。昨年1年間の23件を既に上回っており、担当者は「ここ数年でも非常に多く、心配していた」と話す。

 25件の原因は野焼き(火入れ)9件、ごみ焼却とたき火各5件、たばこの投げ捨て1件など、大半が人為的なものだった。担当者は「火から目を離さない、たばこを投げ捨てないといった火の取り扱いへの注意が、豊かな山林を守ることにつながる」と強調した。

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2020年12月18日 (金)

【特別読み物】突然<YouTube>が見られなくなったら・・・・

 YouTube落ちた日ユーザーはどこへ行ったデータで解析 

ITmediaビジネスonline 2020年12月18日(金)7時50分配信/古田拓也(1級FP技能士)

 世界から突然YouTubeが消えたとき、人々はどこに居場所を求めるのだろうか。

 12月14日、Googleのサービスの多くが利用できなくなった。日本時間の20時45分~21時35分に、YouTubeやGmailをはじめとして、認証が必要なすべてのサービスを含めて大規模なシステム障害が発生した。

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 原因はGoogleの内部ストレージにおけるディスク容量の割り当て問題。中央ID管理システムの容量が少なくなってしまったことで認証が必要なサービスを中心に機能不全に陥ってしまったのだ。

 障害が復旧するまでにかかった時間は、わずか45分間程度。しかし、世界に与えたインパクトは甚大である。例えば日本では、YouTubeの動画を見られなかった人々がニコニコ動画に殺到するという動きをみせた。短期間での異常なアクセス数の高まりによって、ニコニコ動画も一時的に視聴やページ表示に不具合をきたすという結果となったのだ。

 このように、圧倒的なシェアを誇るYouTubeがなくなったとき、ユーザーはインターネットのどこに居場所を求めたのだろうか。今回はGoogle Trendsのデータからインターネットユーザーの動向を日米で比較した。

ニコニコとTwitterに流れた日本ユーザー

 まず、障害発生時の日本の動きに注目してみよう。YouTubeが落ちたとされる14日の21時近辺に、大きく分けて2つの山が浮かび上がる。

 それはTwitterとニコニコ動画だ。YouTubeがダウンした時間帯とちょうど重なるかのように検索トラフィックが急増している。一方で、Facebook、インスタグラム、Netflixは障害発生時も特段の検索トラフィック増は確認できなかった。

 一方で米国は異なる状況だ。同じく14日21時近辺のグラフを確認すると、Twitterにやや小幅な伸びが見られるものの、最も利用度が高まったのはFacebookである。もともと利用度が高い周期にあたるものの、障害発生時における検索トラフィックの角度は最近でも最も鋭いため、Facebookへ流入した人々が増加したといってよいだろう。

 驚くべきは、水色で示した競合の動画配信サイトの推移ではないだろうか。日本では2番手の印象が強いニコニコ動画が、YouTubeの不具合と同時に流入を増加させた。

 反対に、米国における「動画配信サイト」への影響はほとんど現れなかった。米国では複数の動画配信サイトが存在しているが、米国における2番手、3番手の動画サイトでも、障害発生時に特段の流入増加はみられなかったのだ。グラフに採用したDaylyMotionをはじめとしたさまざまな動画配信サイトで流入増が観測できなかった。

 なぜ日本と米国でこれほどの差が生まれたのだろうか。その要因は大きく分けて2つある。

YouTubeの次にニコニコが選ばれた理由

 まずは、動画配信サービス市場における「需要の代替性」が日本市場については高く、米国市場においては低いということがあるだろう。

 NTTドコモ系列のシンクタンクであるモバイル社会研究所の調査によれば、我が国における動画サイトにおいて、YouTubeが62.3%、ニコニコ動画が9.1%という結果となった。

 YouTubeの利用度と比較すると、ニコニコ動画はその15%程度の利用度であるが、主にサブカルチャー主体のコンテンツを得意としていたり、動画のコメントを画面上に表示していたりするという独自性によって、競争の激しい動画サイト市場で生き残っている。その結果、日本では決して無視できない量のアクセス数があるため、YouTubeでアップロードしている動画をニコニコ動画にも並行してアップロードすることで知名度を向上させようとする動画投稿者も存在する。

 今回、トラフィックが大幅に向上した背景には、これらの要因がニコニコ動画のYouTubeに対する「需要の代替性」を高めたことによると考えられる。

 そもそも、需要の代替性とは、商品の機能・用途・品質等の要素に基づき、需要者側から確定する異なる商品間の代替度をいう。商品間の代替度が高いほど、競争関係が強くなる。

 この観点から考えると、ニコニコ動画は、YouTubeと同じ動画がアップロードされやすい環境にあり、YouTubeが不調のときにはニコニコ動画にアップロードされている動画が補完的な立ち位置となりやすい。

 その結果、ユーザーの認識としては「YouTubeがなくなったらニコニコ」という動きとなったと推測される。一方で米国ではYouTubeが“国産”動画サイトであることもあり、独占的な立ち位置を確保していることで2番手、3番手の「補完性」が高まらず、結果としてYouTubeの代替となりにくかったのではないだろうか。

 もう1つの要素が時差にあるだろう。日本時間では午後8時45分というゴールデンタイム中に障害が発生したが、米国西部における太平洋標準時では午前3時45分と早朝であった。ニューヨーク時間でもその時刻は朝6時45分と、米国ではインターネットユーザーが多くない時間帯であったことも両国における影響度に差が生まれたことは留意しておくべきだ。

 今回はYouTubeを中心に障害発生時のユーザー動向を確認したが、1つのプラットフォームの稼働中断ないしは停止がもたらす影響は年々大きくなっている。

 グーグルサービス障害 メール動画一時停止 

共同通信 2020年12月14日(月)22時41分配信

 米グーグルで14日、障害が起き、日本を含む各国で動画投稿サイト「ユーチューブ」や「Gメール」「グーグルカレンダー」など幅広いサービスが一時停止した。グーグルは影響を受けた大半の利用者で問題は解消したとしている。

 障害が起きたのは14日午前7時(日本時間午後9時)ごろ。約1時間でおおむね復旧した。利用者はグーグルのサービスに一時的にアクセスできなくなった。Gメールは送信してから受信するまで、通常より時間がかかった。

 グーグルの広報担当者は声明で「内部ストレージ(記憶装置)関連の問題で認証システムが約45分間停止した」と説明し陳謝した。

 米グーグル複数サービス障害一時アクセス不可 

時事通信 2020年12月14日(月)23時21分配信

 米IT大手グーグルは14日、メールサービスの「Gメール」など提供する複数のサービスで障害が発生したことを明らかにした。

 利用者が一時的にアクセスできなくなったが、障害の理由などは不明。

 グーグルのウェブサイトによると、クラウドサービスの「グーグル・ドライブ」や地図アプリなど20種類以上の幅広いサービスで障害が起きた。同社は早朝に障害を把握したが、その後1時間程度でサービスの大部分が回復した。

 傘下の動画投稿サイト「ユーチューブ」も14日朝にツイッターで、利用者がアクセスできなくなったと発表したが、その後復旧した。

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 バイオで人体改造した“超人兵器開発目指す中国 

JBpress 2020年12月10日(木)6時01分配信/渡部 悦和(前第36代東部方面総監)

 米国の情報コミュニティ*1
を統括する米国家情報長官(DNI)ジョーン・ラトクリフ(John Ratcliff)がウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)に投稿*2

し、「中国は米国の最大の脅威である」などと厳しく中国を批判している。 そして、投稿文の中で中国人民解放軍がバイオテクノロジーを使い、兵士を改造し「超人兵士(スーパー・ソールジャー)」を生み出す人体実験を行っていると指摘した。

 現役の国家情報長官が一般紙にこれらの驚くべき内容を記述するのは非常に珍しいことであり、その注目点をまとめてみた。

WSJへの投稿文の注目点

 ラトクリフ長官の投稿文の注目点は以下の通り。

 中華人民共和国が今日の米国にとって最大の脅威であり、第2次世界大戦以来世界中の民主主義と自由に最大の脅威をもたらしている。中国は、経済的、軍事的、技術的に米国と地球のその他の地域を支配するつもりだ。

 中国の経済スパイのやり方は、「奪い、コピーし、取って代わる(rob, replicate and replace)」ということだ。中国は米国企業から知的財産を奪い、技術をコピーし、世界市場で米国企業に取って代わろうとしている。

 2018年、中国の風力タービン製造業者である華鋭風電(シノベル)が米国のスーパーコンダクターから企業秘密を盗んだ罪で罰則が課せられたが、米国には損害が出た。

 盗難により、米国企業は10億ドル以上を失い、700人の雇用を失った。今日、シノベルは、盗難ではなく創意工夫と努力によって合法的なビジネスを構築したかのように振る舞い、風力タービンを世界中に販売している。

 FBIは、知的財産の窃取に関与した中国人を頻繁に逮捕している。例えば、ハーバード大学の化学部長は今年逮捕されるまで、中国への情報提供の報酬として、月額5万ドルを受け取ったが、これに関し米国当局に虚偽の陳述をした。

 中国の知的財産の窃取は、米国に年間5000億ドルのコストを強いている。

 *1=国家情報長官は、米連邦政府に属する16個の情報機関(CIA、FBI、DIA、NSAなど)の人事・予算を統括する。

 *2=John Ratcliff 、“China Is National Security Threat No. 1”、WSJ

 習近平主席は、中国を世界一の軍事力にすると宣言しているが、そのために米国防省の機微技術を盗んでいる。

 米国の諜報機関は、中国が生物学的に強化された能力を備えた兵士(筆者注:いわゆる「超人兵士」)を誕生させるために、人民解放軍の兵士に対して人体実験を実施した。

 つまり、中国当局の「パワーの追求」には倫理的な限界はないのだ。

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 中国は、新興技術において世界クラスの技術開発を行っている。インテリジェンス機関は、華為技術(ファーウェイ・テクノロジーズ)などのハイテク企業を利用して、ソフトウエアや機器への脆弱性の導入など、悪意のある活動を行っている。

 ファーウェイや他の中国企業はこれを否定しているが、5G通信を支配しようとする中国の取り組みは、情報を収集し、通信を妨害し、世界中のユーザーのプライバシーを脅かす北京の機会を増やすだけだ。

 中国はすでに、共産党のイデオロギー的統制を脅かす米国のウエブ・コンテンツを制限し、米国本土に対するサイバー攻撃機能を強化している。

 中国は今年、米国の数十人の議員と議会の補佐官を対象とする大規模な影響工作に従事した。中国当局は、米国でこの種の影響工作を定期的に実施している。

 ラトクリフ長官は下院と上院の情報委員会に、中国がロシアの6倍、イランの12倍の頻度で米国の国会議員を標的にしていると証言している。

 これらの脅威に対処するために、年間850億ドルのインテリジェンス予算内で、資源をシフトし中国に焦点を当てている。

 このシフトは、米国の諜報機関が政策立案者に中国の意図と活動についての洞察を与え、必要なリソースを確実に維持するためだ。

 諜報機関内では、健全な議論と考え方の転換がすでに進行中だ。冷戦中に活躍した才能のある情報分析者と運用者は、常にソビエト連邦とロシアに焦点を当ててきた。今世紀の変わり目に活躍した人々にとっては、テロ対策が最優先事項だった。

 しかし、今日、我々は目の前にある事実を直視しなければいけない。つまり、中国が今後の米国の主要な国家安全保障上の焦点である。

 米国以外の国々もこのことを理解しなければいけない。世界は2つの完全に互換性がないイデオロギー間の選択肢を提示されている。

 中国の指導者たちは、個人の権利を共産党の意志に従属させようとしている。彼らは企業に対して政府の統制を行使し、権威主義的な監視国家によって市民のプライバシーと自由を破壊している。

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 世界を暗闇に引き戻すための中国当局の努力が失敗すると想定すべきではない。中国は、自らがトップでない世界秩序は歴史的に異常であると信じている。それを変え、逆転させることを企図している。

 中国当局は、米国との永続的な対立に備えている。ワシントンも準備すべきである。

 リーダーは、脅威を理解し、それについて率直に話し、それに対処するための行動を取るために、党派の分裂を越えて取り組む必要がある。

 米国人は、ファシズムの惨劇を打ち負かし、鉄のカーテンを倒すまで、常に立ち上がってきた。

 我々の世代は、独自のイメージで世界を再形成し、支配的な超大国としての米国に取って代わろうとする中国への対応によって評価されるであろう。

人民解放軍、超人兵士育成の野望

 米国の大手メディアMSNBCは、ラトクリフ国家情報長官の投稿文を紹介しているが、特に超人兵士に注目した記事*
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を掲載している。以下は、その要約だ。 

 ラトクリフ長官は、中国が「生物学的に強化された能力」を有する超人兵士を目指して、人民解放軍のメンバーに対して「人体実験」を実施していると記述している。

 中国当局のパワー追求には倫理的な境界はない。中国は、「キャプテン・米国」、「ブラッド・ショット」、「ユニバーサル・ソルジャー」などのハリウッド映画に描かれている種類の「超人兵士」を誕生させようとしている。

 新米国安全保障センター(CNAS)の人民解放軍専門家エルザ・カニアと中国問題のコンサルタントで元海軍将校のウィルソン・ヴォーンディックは2019年、バイオテクノロジーを戦場に適用するという中国の野望に関する論文「中国の軍事バイオテクノロジー最前線(China’s Military Biotech Frontier)」を発表した。

 その論文では、中国が遺伝子編集技術を使用して兵士のパフォーマンスを向上させることについて書いている。

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 具体的には、遺伝子編集ツールCRISPR( クリスパー)を使用した中国の研究を紹介している。

 (筆者注:CRISPRに関しては、中国の南方科技大学の賀建奎准教授が2018年11月29日、世界で初めてCRISPRを使いゲノム編集した双子の赤ちゃんを作り出したと主張し、世界に衝撃を与えた。CRISPRは「分子のはさみ」を使って、ゲノム上の特定の箇所を任意に削除したり置き換えたり、修正することができる技術だ)

 (理論的には、受精卵のDNA情報を一部削除したり改変することで、遺伝由来の難病を予防できる。しかし、世界の科学者は、受精卵のゲノム編集について深刻に懸念している。特に西側の科学者は、健康な人々のパフォーマンスを高めるために遺伝子を操作しようとすることは非倫理的であると考えている)

 CRISPRを活用して将来の戦場で人間の能力を高める可能性は、現時点では架空のものに過ぎないが、中国の軍事研究者がその可能性を探求し始めている兆候がある。

 中国の軍事科学者と戦略家は、バイオテクノロジーが「軍事における革命(RMA)の新たな戦略的制高点(焦点)」になる可能性があると一貫して主張してきた。

 *3=Ken Dilanian、“China has done human testing to create biologically enhanced super soldiers”、MSNBC

バイオテクノロジーによる軍事革命目指す

 エルサ・カニアらの上述の論文は、人民解放軍の「解放軍報」の記事*
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を参考にしているが、以下にその要約を紹介する。超人兵士のアイデアはここから出ている。 

 戦争のパターンを変えた多くの発明は生物学の発展と密接に関連している。人類は、鳥の羽の研究により、航空機の羽を設計し、戦闘機を生み出した。

 コウモリの超音波ポジショニング能力を模倣することにより、レーダー技術を発明した。イルカの超音波研究から、水中の世界に浸透するソナー技術を発明した。バイオテクノロジーは、生物学による軍事革命をもたらすであろう。

 エンゲルスは、「技術の進歩が軍事目的で使用されるようになると、指揮官の意志に反して、戦闘方法に変化を引き起こす」と指摘した。

 生物学の技術とその他の最先端技術の融合は、国防科学技術の革新と発展を推進し、兵器、戦闘理論、戦争パターンなどに広範囲にわたる効果を生み出す。

 バイオテクノロジーは、武器や装備品の飛躍的な開発のために新たな情報を提供する。例えば、高性能のバイオニクス(生体工学)とバイオマテリアルの適用は、武器や装備品の新たなマテリアルを提供する。

 生体分子の特定の認識に基づくバイオセンシング技術は戦場の状況認識の手段と能力を変える。

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 バイオコンピューターは、従来のコンピューター空間、熱放散、並列処理の物理的限界を打ち破り、軍用コンピューターに革命を引き起こす。

 一方で、破壊的な武器や装備の開発のための技術も提供し、人間の意識を妨害して制御する新しい脳制御の武器や装備を開発し、それによって従来の戦闘スタイルを無効にし、戦争の無人化を可能にする無人戦闘プラットフォームを開発できる可能性がある。

 バイオテクノロジーは、将来の戦闘プラットフォームがヒューマン・マシン統合とインテリジェンスの移行(「低インテリジェンス」から「高インテリジェンス」への移行)を可能にする。

 実験室では、脳とコンピューターのインターフェース兵器が検証されている。一方で、情報ベースの「低インテリジェンス」から脳のような「高インテリジェンス」への転換を可能にする戦闘プラットフォームが開発されている。

 将来的には、人間の脳のような情報処理システムは、高性能の低電力コンピューティング、高度にインテリジェントな自律的意思決定、アクティブな学習、その他の革命的ブレークスルーを達成し、高度にインテリジェントな自律戦闘部隊の出現を促進する。

 *4=「生物科技将成为未来军事革命新的战略制高点」 、2015年10月6日03付の「解放军报」

 さらに、「生命をコントロールする権利(制生权)」、「脳をコントロールする権利(制脑权)」、「知性をコントロールする権利(制智权)」という新しい理論が生まれる。

 将来、生物体の兵器化が現実化する中、非伝統的な戦闘スタイルが登場し、「生物フロンティア」が国防の新たなフロンティアとなる。

 人間の脳を利用・制御できるようになることで、物理領域や情報領域から認知領域への戦闘領域の拡大が加速し、陸・海・空・宇宙・電磁波・サイバー空間に次ぐ新たな戦闘空間となる可能性がある。

 将来的には、「Internet of Brains(脳のインターネット)」は、インターネットとIoT(Internet of Things)に続く全く新しいネットワークになり、生物学的インテリジェンスが最新の情報技術を完全に統合し、超えることを可能にする。

 最後に、人民解放軍のバイオテクノロジーを活用した軍事革命やその一環としての超人兵士の誕生という野望はまだ実現できていない。

 しかし、倫理や生命の尊厳などあらゆる制約事項に捕らわれない超限思想で将来戦を考える中国は手ごわい。

 これにいかに対処するかは自衛隊の大きな課題である。

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2020年11月20日 (金)

【異常気象?】千葉県<九十九里浜✍全域>大量のハマグリ出現!

 九十九里浜大量ハマグリ『採取禁止』持ち去り相次ぐ…漁業関係者「死活問題」「採取は密漁 

千葉日報 2020年11月20日(金)11時59分配信

 九十九里浜の各地で、海岸に大量のハマグリが打ち上げられているのが確認されている。一帯の漁業権を持つ九十九里漁業協同組合の担当者は「水産資源が枯渇し死活問題になりかねない」と困惑。ハマグリを持ち帰る一般の人も相次いでいる。

 同組合によると、山武市から一宮町にかけての九十九里浜一帯で、1週間ほど前から打ち上げられているのが見つかっている。潮が引いた後に、大粒のハマグリが砂地を埋め尽くす状況が連日繰り返されているという。

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 千葉県漁業資源課によると、死んだ貝などが局所的に打ち上げられることは2年に1回ほどあるが、今回のような規模は記録に残る限り初めて。同課の担当者は「漁業にどれほどの影響があるか分からず、定期的に調査していかなければ」と話している。

 また、海岸の様子がテレビのニュースで紹介されたこともあり、ハマグリを拾いに来る一般の人も。19日午後、九十九里町の片貝海岸周辺では、膝まで水に漬かり貝を採取する人が何人もいた。千葉市から来たという若い男性は、1時間ほどで発泡スチロールの箱をいっぱいにしていた。

 一方、稚貝を放流するなどして資源管理をしてきた同組合は「ハマグリには漁業権が設定されているため一般人の採取は密漁にあたる」と指摘。地元の東金署も巡回を増やして警戒を強化し、浜や周辺道路などで採取しないよう呼び掛けている。

 同組合は漁業関係者らと一緒にハマグリを海に戻す作業を繰り返しているが、終わりが見えない状況だ。担当者は「将来的に九十九里浜からいなくなってしまったら本当に困る」と表情を曇らせている。

 九十九里浜全域で大量ハマグリ発生、専門家「文献でも確認できず 

ABEMA TIMES 2020年11月19日(木)19時32分配信

 18日、千葉県の九十九里浜の浜辺に打ちあげられていた大量のハマグリ。15日に撮影された写真では、大量のハマグリが波打ち際を埋め尽くし、足の踏み場もないほどだ。実は今月10日ごろから連日、九十九里浜の全域で大量のハマグリが打ちあげられているという。

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 九十九里浜全域には漁業権が設定されていて、一般の人がハマグリを許可なく獲ることは禁止されている。違反した場合は20万円以下の罰金に処されるが、大量のハマグリを求め浜辺には人が集まっていた。中には200個近く獲ったという人も。地元の漁協はハマグリを保護して沖合に戻していて、勝手に持ち帰らないよう呼び掛けている。

 突如として打ち上げられた大量のハマグリについて、貝の専門家である千葉県立中央博物館の黒住耐二上席研究員は「大量にハマグリの大きな個体が打ちあがったというのは聞いたことがないし、実際に文献で確認できることはなかった。極めて珍しい現象だと思っている」と話している。

 九十九里浜「ハマグリ大量打ち上げ騒動」大地震前兆か? 

東スポWeb 2020年11月19日(木)11時30分配信

 大量のハマグリ打ち上げは何のサインなのか? 千葉・九十九里浜の海岸で、今月11日から大量のハマグリが海岸に打ち上げられている。原因は不明で、県や地元の漁協も対応に苦慮している。神奈川・三浦半島で発生している異臭騒動と合わせ、大地震の前触れとして警戒する声も上がっている。

「これだけの規模のハマグリが打ち上がったのは、なかなかない」と、千葉県の漁業担当者が困惑を隠せない、ハマグリの大量出現だ。
 県によれば、北は匝瑳市堀川浜から南は長生郡までの約40キロにわたる海岸に11日夜から断続的に打ち上げられたハマグリが見つかっている。

 その数はあまりに多すぎて、県や漁協でも把握できないほど。エリアによっては集中的に打ち上げられている箇所もあり、数千個レベルでは収まらないとみられる。

 気になるのは原因だが、現時点では全くもって不明。最近、天候の異変や、海水に異常があったこともないという。県の水産総合研究センターは貝を持ち帰り、調査しているが、「(生きている貝は)砂に潜ることができるし、特に痩せたりもしていない。これだけの数ですから、誰かがばらまいたということはなく、自然現象です」。

 九十九里沖はハマグリの絶好の漁場として知られるが、生息環境の変化で漁獲量は増減が激しく、その生態もまだ謎が多い。海岸に打ち上げられたことは過去にもあるというが、県では「平成元年(1989年)の夏場にある程度のハマグリが打ち上がった記録があるが、今回は規模が大きい」と、過去に例を見ないという。

 この謎の現象に対し、防災関係者の間では、大地震の前触れとなる「宏観(こうかん)現象」ではないかと危惧する声が多い。東日本大震災の前にもクジラやイルカの大量打ち上げ、深海魚のリュウグウノツカイが漂着したことなどが、宏観現象だったのではないかといわれている。科学的根拠はないとされているが、無関係とも言い切れないため、独自で情報収集している自治体もある。

 防災アナリストの金子富夫氏は「今年6月から、横須賀や横浜など三浦半島で発生している異臭はいまだ原因が分かっていません。そこに今回のハマグリ大量打ち上げ。関東エリアの東と西ですから何らかの地殻変動が起きていて、連動している可能性がある。大地震が起きる前の予兆現象かもしれないと、自然からの警鐘ととらえた方がいい」と話す。

 日本は現在、新型コロナの第3波が到来しているさなかだ。金子氏は「もし、この状況で首都直下地震が発生したら大変なことになる。東京はもちろん、国内の医療態勢が逼迫している中で、何十万人ものケガ人が発生すれば、東京崩壊、日本崩壊にもなりかねない」と心配する。

 その上で金子氏は「食料品の買い置き、緊張感ある生活形態、地域社会のあり方の考え直しなどをさらに継続することが、コロナ禍で発生するかもしれない大規模地震への備えになる」と説く。コロナ第3波と大地震は、最悪のダブルパンチだけに発生しないことを祈りつつ、用心するに越したことはない。

新型コロナ後遺症”、意識失い嘔吐・記憶曖昧などまで侵入か

朝日新聞デジタル 2020年11月14日(土)6時00分配信

 新型コロナウイルスは脳にも感染し、「深刻な脳障害を起こす恐れがある」という報告が相次ぐ。髄膜炎や脳炎、意識障害のほか、記憶障害が出る人もおり、後遺症が心配される。脳の中で何が起きているのか。

 3月、山梨県に住む20代の男性が新型コロナに感染した。意識を失ったままけいれんし、嘔吐したまま床に横たわっていたところを家族が発見。救急車で山梨大病院に運ばれた。

 脳を覆う脳脊髄液をPCR検査で調べると、新型コロナ陽性だった。頭蓋骨と脳の間の髄膜が炎症を起こす髄膜炎とみられ、脳のMRIでは記憶領域にあたる海馬に炎症があった。

 退院後は日常生活に問題はないものの、直近1、2年間の記憶があいまいになったという。新型コロナへの感染が関係していると疑われているが、明確な原因はわかっていない。

 英国では、発熱や頭痛を訴えた後に意識障害を起こした59歳の女性が、入院後に新型コロナに感染していることがわかった。MRIで脳の腫れや出血が確認され、急性壊死(えし)性脳症と診断された。集中治療を受けたが、入院10日目に死亡したと報告されている(https://nn.neurology.org/content/7/5/e789)。

 ドイツのチームは7月、新型コロナの神経症状について、92本の論文や報告を分析した(https://link.springer.com/article/10.1007/s00415-020-10067-3)。感染者の20%に頭痛、7%にめまい、5%に意識障害があった。髄膜炎や脳炎、手足がまひするギラン・バレー症候群も数例ながら報告された。

 コロナ第3波襲来菅政権に対し風向き変わった 

現代ビジネス 2020年11月21日(土)6時31分配信/歳川 隆雄(ジャーナリスト)

批判を浴びたにも拘わらず

 マスコミ各社の世論調査から菅義偉内閣支持率を見てみる。新型コロナウイルス感染者数が急増する中で、内閣支持率は健闘しているのだ。

 NHK(調査実施は11月6~8日):支持56%、不支持19%、「朝日新聞」(同14~15日):支持56%、不支持20%、「毎日新聞」(同7日):支持57%、不支持36%、「読売新聞」・日本テレビ合同調査(同6~8日):支持69%、不支持22%、共同通信(同14~15日):63.0%、不支持19.2%、テレビ朝日(同14~15日):支持55.9%、不支持22.5%――である。

 菅首相が今臨時国会の衆参院予算委員会で「日本学術会議問題」(推薦した6人が拒否された)について、野党から「学問の自由を侵すもの」と徹底追及されただけでなく、学者・識者からの批判を浴びたにも拘わらず高い内閣支持率を維持しているのだ。

 驚いたのは、政権との距離を持つ、というよりも批判的な社論で知られる「朝日新聞」は支持が前月比3ポイント増の56%、不支持は同2P減の20%だったことである。「読売」はともかくとして、筆者が相場観として参照する「共同」も支持が2.5P増で不支持は2.7P減である。

 菅首相は最近、すこぶる上機嫌であり、政権運営に自信を増しているというのだ。一体全体、なぜなのか。

大統領選に比べたら…

 今なお「敗北宣言」を拒み続けるドナルド・トランプ米大統領と、来年1月20日の次期政権誕生に向けての人事に着手し、新たな政策を披露し始めたジョー・バイデン次期大統領が対峙した第59回アメリカ合衆国大統領選――。

 米国の政権移行期に出来した混乱を目の当たりにした日本国民は、政権党の自民党総裁選を経て安倍晋三政権から菅政権へ平和裏に移行したことを高く評価しているということなのか。民主主義体制と自由主義経済を標榜する国家では「当然」であることが当然でなくなったことに呆然としながらも、何だかんだ言っても「日本って良い国じゃん」という気持ちなのか。定かではない。そうは言っても、国民は「ベター(よりマシ)論」から判断しているようだ。

 では、菅首相ご本人は当然ながら目指しているだろうが、果たして菅政権はこれから4年間の「本格政権」になるのだろうか。その可能性は相当程度ある。政界には「運も実力のうち」という言葉があるが、ツキに恵まれれば菅長期政権は十分考えられる。

 その「ツキ」というのは、言うまでもなく世界的なパンデミックと国内のコロナ感染の収束の目途がつくということである。

 それ如何で来夏の東京五輪・パラリンピック「有観客」開催が成功裏に実現するからだ。問題はそれだけではない。菅氏が首相の座を掛けて政治決断した「Go Toトラベル」の先行きもコロナ次第である。

神のみぞ知る

 ところが、今週になって瞬く間に東京を筆頭に政令指定都市でコロナウイルス感染者が激増している。所管する西村康稔経済財政・再生相が思わず「神のみぞ知る」と漏らすほどの勢いである。

 菅政権が感染対策に全力投球していることは承知している。それでも治療薬やワクチンの開発・供与は時間との闘いであり、多分にツキも関わって来るのは否定し難い。これまでの政権・国会運営を振り返ってみれば分かるように、菅氏は明らかにツキまくっていた。

 しかし、ここに来て菅氏が胸中に秘める来年初頭の衆院解散・総選挙に黄色信号が点滅し始めたのだ。この数日に永田町では早くも9月総選挙説が取り沙汰されるようになった。

 これまで筆者は一貫して「1月19日解散・2月7日投開票」、「1月22日解散・2月28日投開票」のいずれかであるとの見立てを披瀝してきた。この見立てを修正せざるを得なくなるのか未だ分からない。

 菅氏が運に見放されたのかどうかは、11月連休明けの来週末の政府新型コロナウイルス感染症対策本部発表を待つ他ない。

はぐらかし批判回避菅首相答弁鉄壁ゼロ回答

西日本新聞 2020年11月16日(月)10時51分配信

 臨時国会で答弁能力を不安視された菅義偉首相だが、一問一答形式の衆参予算委員会での初論戦をひとまず乗り切った。焦点の日本学術会議問題では譲歩せず、会員任命拒否の理由を一切明かさない答弁ぶり。有識者に読み解いてもらうと、「鉄壁」「はぐらかしてばかり」と評価が分かれた。

 「人事に関することなので、お答えは差し控える」。今月2~6日に開かれた予算委。任命拒否に関する質問が核心に迫ると首相はこう繰り返してかわし、立憲民主党の枝野幸男代表から「壊れたレコードのようだ」とやゆされた。

 麗沢大の川上和久教授(政治心理学)は「たたかれても理由は絶対言わない、との覚悟を感じた。野党の時間切れを狙った戦術だろう。失言もなく『鉄壁のガースー(首相の愛称)』は健在だ」と分析。「全集中の呼吸で答弁させていただく」と人気漫画「鬼滅の刃」のせりふを引用した点も「話題をつくることで批判の矛先をそらしてみせる」テクニックだったとみる。

 「総合的、俯瞰的な活動を求めたい」「閉鎖的、既得権益のようになっている」と、学術会議に関する首相の主張は二転三転。「多様性が大事」としながら、任命拒否した6人のうちには若手や女性の研究者も含まれ、野党側は「支離滅裂」と批判。審議はたびたび紛糾した。

 街頭で国会質疑を上映する「国会パブリックビューイング」に取り組む上西充子法政大教授は「質問に正面から答えておらず、臨機応変な判断が見られなかった」。加えて首相が、内閣府と学術会議の間の事前調整がなかったことを拒否の背景の一つとして持ち出したことを「調整に応じなければ任命拒否する、忖度しろということか」と疑問視した。

 では、話す様子はどう映ったか。企業人らを対象にプレゼンテーションの方法を教えている「ベストスピーカー教育研究所」(大阪府)の高津和彦所長は、首相の答弁の声量が「官房長官時代に比べ大きくなった」と評した。特に何かを伝えたい場面で目を見開けば、より真剣さが伝わるとアドバイスした上で「『えー』『まぁ』といった感嘆詞が多く、人ごとに聞こえるところは要注意。余裕を演出したのかもしれませんが」とも。

 答弁書の棒読みや秘書官による紙の差し入れが目立ち、ちぐはぐな印象も与えたが、政府高官は「(首相は)初々しかった。場数を踏めばもっと良くなる」と今後に期待した。

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 渋谷区のバス停で殴り殺された“ホームレス女性”が最期に見たもの 

FRIDAY DIGITAL 2020年11月20日(金)13時02分配信

 所持金8円とわずかな身のまわりのものを抱えた女性が、11月16日の早朝、渋谷区幡ヶ谷のバス停で亡くなった。

 女性の名前は、まだわからない。年齢は「60歳代」。彼女の最期の場所になったバス停のベンチにいるのを「この数か月、見かけるようになった」と近所の人はいう。足元にキャリーバッグを置いて、ベンチに座っていたという。

 11月16日の午前5時、この女性がバス停のベンチの前に倒れているのを通りかかった人が見つけ、警察に連絡した。彼女は病院に運ばれ死亡が確認された。住所も、年齢もわからない。

 彼女は何十年か前、誰かの赤ちゃんとしてこの世に生を受けた。よちよち歩きをし、おしゃべりができるようになり、学校に行き、少女時代を過ごした。成人して、それからも年齢を重ねて、生きてきた。

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 そして今年、2020年11月16日の早朝に、東京・渋谷区「幡ヶ谷原町」のバス停で、何者かに殴り殺された。

 彼女の最期の場所になったバス停の近くに防犯カメラがあった。帽子をかぶりチェックのシャツを着た人物が、持っていた白い袋で彼女の頭を殴りつけた。彼女はその場に倒れ、亡くなった。死因は外傷性くも膜下出血。

 新宿や渋谷にも近いこのあたりは、通りを入ると落ち着いた住宅街だが、片側4車線の甲州街道の上に首都高4号新宿線の高架が覆いかぶさるようにして、街を貫いている。バス停は「笹塚」の大きな交差点のすぐ近くで、ベンチは道路に背を向けて固定されている。奥行き25センチの、小柄な人でもゆったりとは座れない木のベンチが、彼女の「定位置」だった。

「終バスが行ったあと、どこからかやってくるんですよね。で、朝にはいなくなってるんです」

「新宿のほうに向かって、キャリーバッグを引いて歩いてるのを何度か見ました。足取りはわりとしっかりしていて。おばあさんという感じじゃ、ぜんぜんなかった」(近くの住人)

22:44 渋谷駅行の最終バスが通り過ぎた後のこの場所で、彼女が夜を過ごしていたことを知っている人は少なくなかった。

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 彼女を殴った人物の姿は、周辺の防犯カメラの映像にたくさん写っている。まもなく警察に見つかり、司法の手にかかり、罪を問われ、罰を受けるだろう。でも、無残に殺された彼女は帰らない。

 コロナ禍で、女性の自死が激増している。街で、路上で過ごす女性の姿を多く見かけるようになった。

「声をかけられなかった周囲の人を責められるのか? 自分だったら? と自問自答しています。食べるものや着るもの、お金を渡していた人たちが近隣にいたかもしれません。でもなにより、安全な場所『ハウジングファースト』の仕組みが必要と、あらためて痛切に思いました」

 ホームレスの状態にある人を支援する「ビッグイシュー日本」東京事務所の佐野未来さんは絞り出すようにこういった。

「自助」が求められる日本。公的なセイフティーネットが機能しないこの国で、孫子の代まで生活に困らない資産のある家に生まれたひと握りの人以外、だれもが、いつ家を失うかわからない。今、路上やネットカフェなどで過ごす、家がない=ホームレスの状態にある人は東京都内で4000人。30代、40代の若年層も多い。

 オリンピックを歓迎する「TOKYO2020」のフラッグがはためく。昼間のバス停には、ひっきりなりにバスがやってくる。傍に7つの花束と、「あったかいはちみつレモン」と「焼酎の緑茶割り」と、マドレーヌが2つ、供えてあった。バス停横のイチョウは黄色く色づいて、首都高の高架とビルの間から青空が見えた。夜の間だけここを居場所にしていた彼女は、この風景を見ていなかったかもしれない。

 11月16日の早朝、渋谷区幡ヶ谷のバス停で殴り殺された人。女性で、もう若くはなく、安全な家を持たなかった彼女は、守られなかった。彼女が最後に口にしたものはどんな味がしただろう。彼女が最後に見たのはどんな景色だっただろう。殺されていい命はひとつもない。

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コロナ禍でも「ホームレスに仕事」…BIG ISSUE“17年目の思い”

FRIDAY DIGITAL 2020年9月24日(木)13時02分配信

 景気悪化が止まらない。失業する人が増えて、自殺する人が増えて、この国はどうなってしまうんだろう。新しい総理大臣が掲げるのは「自助」だ。自分でなんとかしろという。なんとかできない人たちは家を失い、文字通り、路頭に迷う。

「ホームレスの人に仕事を、という日本でのビッグイシューの試みは17年になりました。駅前などで雑誌『THE BIG ISSUE』を売って、その売り上げの半分以上がそのまま販売者の収入になる仕組みです。今、全国で110人ほどが販売をしています」

 創刊当時から関わる、ビッグイシュー東京事務所の佐野未来さんは続ける。

「新型コロナの影響で3月から、街に人がいなくなってしまい、路上での販売部数は激減しました。けれども、販売をやめたら収入がゼロになってしまうし、『ステイホーム』といわれても、そもそも『ホーム』がないんです。

 生活保護は、家族に連絡がいくことへの抵抗や、劣悪な環境の寮に入れられた経験などさまざまな理由で利用をためらう人が多い。どうやって生き延びればよいのか、という不安も耳にしました」

これから、増えるかもしれない

「ビッグイシューはホームレス状態の人が『自分で働いて稼ぐ』事業なんですが、今回ばかりはそれを一時的に返上しました。通信販売の呼びかけをしたところ、思った以上に多くの方が賛同してくださり、4月から6月にかけては毎月5万円、7月から9月にかけては毎月3万円を販売者に販売継続協力金として渡すことができて、なんとか乗り切れました」

「コロナ緊急3ヶ月通信販売」は、第1次におよそ9500人、7月からの第2次にも5000人の参加があったという。

「ありがたかったです。販売者は感染予防対策をしながら販売を続けていますが、減った収入を協力金で補填することができて、安心につながっているようで、雰囲気も明るいです。でも、ホームレスの当事者が、自分で雑誌を売って稼ぎ、部屋を借りて自立できるよう応援するのが本来の姿。それに、街頭で販売して常連のお客様と一言二言、話をするのが生きがいという人もいます」

 路上での販売自体は、注意深く進めていく。さらに「今後、収入や家を失い販売を希望する方が増える可能性も大きい」という。

 厚生労働省の2020年1月の調査結果によると、全国の路上や公園などで暮らす「ホームレス」は全国で「3992人」といわれている。が、

「路上生活者だけが、ホームレスではありません。家がない人、たとえば居候や、ネットカフェで寝起きしている人はホームレスです。家がありませんから。2017年に東京都がネットカフェやサウナなどで寝起きする人の数を調査したところ約4000人いらしたそうです。4月の緊急事態宣言で、ネットカフェが営業自粛の対象となったとき、この人たちの多くは泊まる場所を失いました」

 特別定額給付金は、住民票がないと申請できないため「全国民」に給付されたはずの10万円も、彼らの手には届かなかった。

 コロナ禍では、すべての人がさまざまな影響を受けている。なかでも、もともとホームのない人はじめ、社会的な弱者、生活が困窮している人の受けた打撃は凄まじい。

自助に殺される前に

「30代前半に販売者登録をしていた男性が最近、10年を経てビッグイシューに戻ってきました。この方は自立して、全国各地で日雇いや派遣の仕事などをして11年間、日々生きつないできたのですが、この春、新型コロナの影響で仕事を失いました。数か月仕事を探しても見つからず、悩んで悩んで、ビッグイシューに戻ってきたんです。健康な若者が真面目に働いて、それでもこういうことが起きる。これは、彼個人というより、社会にとっても損失じゃないでしょうか。

 生活保護は受けたくないとおっしゃって、なんとか自分でやろうとするけれど、一度ホームレス状態になってしまうとそこから自力で抜け出すのは至難の業です。そんななかで体や心の健康が損なわれたりすれば、安定した住まいや仕事を探すことはますます困難になる。この人の向こうに、今、ネットカフェで暮らしている人や非正規雇用で働いている人の姿が見えるようです」

 ある日突然「住まいを失う」。それはもう、人ごとではない。

「ふつうに一所懸命生きている若者を使い捨てにするような社会って、いいわけないです。頼れる家族や友人がいなくても安心して生きられるセーフティネットが機能してなければ、いくらだって人が『落ちて』くる。それが今の日本です。これは、当事者だけでなく社会全体にも負の影響を及ぼします」

ホームレスの状態は、けっして人ごとではない

「創刊のときは、長引く不況で失業して住まいを失った『ホームレスの人に仕事を』つくり、そしていつか『BIG ISSUE』が要らなくなることが目標でした。でもやればやるほど、問題はそんなにシンプルじゃなかった。本来、仕事をして、スキルを身につけ、社会や地域に貢献できるはずの人が使い捨てられたり、一人で路頭に迷ったりすることのないように、ホームレスを生み出す社会構造を変えなければと。

『BIG ISSUE』がほんとうに要らなくなる日。それは、かりにひとりぼっちになっても社会が助けてくれる、人が安心してやりがいを持って生きられる社会が実現するときだと思います」

 2008年の秋のリーマンショックが引き金となった世界経済不況のとき、日本では半年の時差でホームレスになる人が急増した。新型コロナの感染拡大から半年になる今、佐野さんたちスタッフは「ドキドキしている」という。

「ホームレスになる過程に決まった形はありません。みなさん、それぞれの事情があってそうなるんです。2007年に立ち上げたNPO法人ビッグイシュー基金では、生活自立応援のためのシェルターを用意したり、福祉につなげるなどの相談も受けています」

 誰もが「落ちる」可能性があることが明らかになったこの国で、どう生きのびていくか。なにを選び、なにをすればいいのか。みんな、問われている。

「わたしたちは、販売者が誇りをもって売れる雑誌を作り、誰もが排除されない、生きやすい社会、とくに若い世代が希望をもって生きられる社会を作るのに役立つ情報発信をしていきます」

 渋谷女性撲殺46歳男逮捕 傷害致死容疑「死ぬと思わず」 

時事通信 2020年11月21日(土)12時46分配信

 東京都渋谷区のバス停で女性が殴られ死亡した事件で、警視庁捜査1課は21日、傷害致死容疑で同区笹塚、職業不詳吉田和人容疑者(46)を逮捕した。

 容疑を認め、「まさか死んでしまうとは思わなかった」と話しているという。

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 逮捕容疑は16日午前4時ごろ、同区幡ケ谷のバス停でベンチに座っていた大林三佐子さん(64)の頭を殴り、外傷性くも膜下出血で死亡させた疑い。

 同課によると、吉田容疑者は21日午前3時ごろ、母親に連れられて渋谷区内の交番に出頭した。「痛い思いをさせれば(大林さんが)バス停からいなくなると思った」と話しているという。

 吉田容疑者は深夜にたびたび付近を散歩し、路上生活していた大林さんがバス停にいるのを認識していたとみて、同課が経緯を調べている。 

 

2020年11月 2日 (月)

【訃報】名優ショーン・コネリーさん(享年90歳)逝去。

 名優ショーンコネリー栄光苦悩…代名詞「ボンド」毛嫌いし話題禁句だった 

日刊ゲンダイDIGITAL 2020年11月2日(月)13時00分配信

 英スコットランドの名優で、このほど90歳で亡くなったショーン・コネリー。映画「007」シリーズでは「歴代最高のジェームズ・ボンド」と称せられ、その勇姿が語り継がれているが、代名詞でもあるボンド役を毛嫌いしていた時期もあったという。

「出世作ではありましたけど、役のイメージが強すぎて、何を演じても『ボンドっぽい』と映画ファンから揶揄されていたことがあったのです。1967年公開のシリーズ第5作『007は二度死ぬ』は日本が舞台で、来日したときにはトイレまで記者たちに追いかけまわされ、写真を撮られ、『そのときボンドを降りる決心をしたんだ』と、コネリーは友人で3代目ボンドのロジャー・ムーアに明かしています。実際、彼の周りではボンドの話は禁句で、街で『あ、ボンドだ』と言われるのを心底嫌がっていたという話があります。一時期は『ボンドを殺したい』とまで言っていたそうです」(映画関係者)

 1930年、英スコットランドのエディンバラでトラック運転手の父と工場勤務の母のもとに生まれ、労働者階級で長い下積み生活を送っていたショーン・コネリー。俳優としてのキャリアでも、低迷期があり、アカデミー助演男優賞、ゴールデングローブ助演男優賞を受賞した映画「アンタッチャブル」(87年)こそ、ボンドのイメージを払拭し、キャリア再起を果たした代表作として挙げる声もある。

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 そしてボンド役以外でも、修道士を演じた「薔薇の名前」(86年)など、数々の名作を残した。「007は二度死ぬ」でコネリーと共演した浜美枝はこんな追悼コメントを発表している。

「ボンドガールとして渡英し、右も左もわからない撮影現場に戸惑っていた私に『大丈夫? 心配事はない?』と毎朝、声をかけてくださったのがショーン・コネリーさんでした。あのときの人を包み込むような優しいまなざし、深みのある穏やかな声を今も忘れることができません。(中略)役者として、ひとりの人間として、気骨のある生き方を貫かれたその生き方にどれだけ励まされ、勇気づけられたでしょう」

 スクリーンでショーン・コネリーに魅了されてきた日本の中高年世代ならば、浜と同じような感慨があるのではないか。芸能リポーターの城下尊之氏はこう言う。

「海外のスター俳優なのですけれども、その映画を見てきた私たち日本人にとっては、もう少し身近な、憧れの存在だったと思います。どの役を演じても、常に気品があり味わいがあって、ダンディズムを見せてくれた。心に残る人であり、どれもが大切なメモリーですよ。またあの懐かしい映画を見たい、見続けていきたいと思わせてくれる。そうやって、いつまでも人々の記憶のなかで生き続けていくのでしょうね」

 ボディービルで鍛えた分厚い胸板に、胸毛をたくわえた男の色気。それでいて知的で優しい生きざま。滞在先のバハマで睡眠中に息を引き取ったことが発表されて以来、世界中から哀悼の声があがっている。

コネリーさん訃報真の伝説英国の象徴」—英メディア

時事通信 2020年10月31日(土)23時30分配信

 英国を代表する俳優ショーン・コネリーさん死去の報を受けて31日、英国内では各界の著名人から悲しみの声が寄せられた。

 報道によると、ダウデン文化相は「真の伝説であり、英国の象徴だ」と功績をたたえた。

 現ジェームズ・ボンド役の俳優ダニエル・クレイグさんは「映画界の真の偉人の一人を失って悲しい。彼は俳優や映画制作者らに影響を与え続ける」とコメント。サッカーの元イングランド代表でテレビ司会者のゲーリー・リネカーさんも「最善のボンドだった。(訃報に)動揺している」と語った。

 コネリーさんは、出身地スコットランドの英国からの独立支持者としても知られた。スコットランドのスタージョン自治政府首相はツイッターで「心が砕けるようだ。最愛の人物の死を皆が悼んでいる」と悲しみを表した。 

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ダニエル・クレイグら“歴代ボンド”✍ショーン・コネリーを追悼

CinemaCafe.net 2020年11月2日(月)12時15分配信

 10月31日(現地時間)に、初代ジェームズ・ボンドことショーン・コネリーがバハマの自宅で亡くなった。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の公開を控えている6代目ボンドのダニエル・クレイグは、ジェームズ・ボンドの公式ツイッターを通して追悼メッセージを発表。「映画界における真の偉人の1人が亡くなったと聞き、本当に悲しいです」。

「サー・ショーン・コネリーは、ボンドとしてもそれ以外の存在としても、名を残すことでしょう。1つの時代とスタイルを方向付けた人でした。彼がスクリーンで見せたウィットや魅力は100万ワット級で、 いまの大ヒット作の製作に一役買いました。この先もずっと、俳優やフィルムメーカーに影響を与え続けます。遺族にお悔やみを申し上げます。彼のいる場所には、どうかゴルフ場がありますように」。

 5代目ボンドで、8月25日に90歳の誕生日を迎えたショーンに祝福メッセージを贈っていたピアース・ブロスナンも、インスタグラムにメッセージを投稿。「サー・ショーン・コネリー。あなたは私が少年の頃、そして大人になって自分自身がジェームズ・ボンドになってからも、私の中で最高のジェームズ・ボンドでした」と敬意を表した。

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 妻のミシュリーヌ・ルクブルン(91)はショーンが晩年認知症を患い、自分の思いを伝えることができなかったと「Daily Mail」紙に明かした。「寝ている間に安らかに息を引き取る」というショーンの希望が叶ってよかったとも語っている。今年5月に結婚45周年を迎えた2人。ミシュリーヌは「彼は素敵な人でした。私たちは素晴らしい人生をともにしました」と結婚生活をふり返った。

 ミシュリーヌ夫人が明かす ショーンコネリー無念と苦闘の晩年 

スポニチアネックス 2020年11月2日(月)10時09分配信

 バハマで10月31日に90歳で亡くなった俳優ショーン・コネリー氏が、ここ数年にわたって認知症で苦しんでいたことをミシュリーヌ・ルクブルン夫人(91)が明らかにした。

 英メール・オン・サンデー紙に対してその事実を公表したもので、同夫人は「認知症が重荷になって、ここ数年は彼自身をうまく表現することができませんでした。彼の最後の願いは穏やかに去っていくこと。少なくとも眠っている間に静かに息を引き取ったので、彼が望んでいた通りになりました」とコメント。

 アルツハイマー症を含めてどのタイプの認知症だったかは語っていないが、コネリー氏にとっては無念の晩年だったようだ。

 コネリー氏は1962年にオーストラリア出身の女優ダイアン・シレントさん(2011年に78歳で死去)と結婚して、のちに俳優となるジェイソン・コネリー(57)をもうけたが、1973年に離婚。1975年にモロッコ系フランス人の画家だったミシュリーヌ夫人と再婚し(同夫人は3度目の結婚)、同夫人が2人の前夫との間にもうけていた3人の子どもを自身の養子としていた。

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 同夫人は「まさに模範的な男性。ゴージャスな人でした。素晴らしい人生だったので、彼なしで生きていくのはつらいです」と複雑な胸中を吐露。007シリーズを含めた多くの作品に出演した名優が認知症に苦しんでいたという一報は、英国や米国などの多くのメディアで報じられ、大きな衝撃を与える結果となっている。

 54年前007ロケ地”はファンの“聖地”に鹿児島南さつま市坊津 

南日本新聞 2020年11月2日(月)10時40分配信

 31日に訃報が伝えられた俳優ショーン・コネリーさん(90)は、代表作「007」の撮影で鹿児島を訪れていた。ロケ地になった南さつま市坊津の関係者からもしのぶ声が上がった。

 1967年公開のシリーズ第5作「007は二度死ぬ」の鹿児島ロケは66年夏。コネリーさん、共演の丹波哲郎さん、浜美枝さんらが訪れた。漁村のシーンの舞台となった同市坊津町秋目では、住民もエキストラとして参加。漁を休むなど、地域を挙げて撮影を後押しした。

 同地区には90年、コネリーさん、丹波さんのサインを刻んだ記念碑が建てられ、観光名所に。ロケ地を散策するツアーが開催されるなど、ファンの“聖地”として、地域活性化に一役買っている。

 県漁協組合長の宮内一朗さん(64)は、小学5年の時に撮影に参加。記念碑の建立にも奔走した。宮内さんは「世界の大スターが来るので、集落は大騒ぎになった。とてもかっこよく存在感があった」と振り返る。今も国内外からファンが秋目を訪れるといい「地元の名前を世界に知らしめてくれたコネリーさんに感謝している」と惜しんだ。

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 ショーンコネリー追悼54年前『極真会館』訪問秘話 

スポニチアネックス 2020年11月2日(月)5時30分配信

 初代ジェームズ・ボンド役の英俳優ショーン・コネリーさんが90歳で死去したと全世界に伝わってから一夜明けた1日、「007は二度死ぬ」(67年公開)の撮影で来日したコネリーさんが空手の極真会館(東京・池袋)を訪問した際のエピソードを極真会館最高顧問、郷田勇三氏(80)が本紙に明かした。

 訪問したのは1966年。コネリーさんは、極真会館設立者の大山倍達総裁とガッチリ握手。大山氏と並んで道場生の演武を見学した。「コネリーさんは組手を食い入るように見つめていた」と郷田氏。稽古に参加することはなかったが、服装はポロシャツ、ズボンともに白で統一。「自分も道着を着ているとの気持ちを表したのでは」。フルコンタクトの激しい稽古に「コネリーさんは“これが日本の武道か。(日本人の)強さが分かった”と語った」という。

 その後、コネリーさんと大山氏は個室に移動。しばらく談笑して、大山氏はコネリーさんに極真空手名誉段位の認定証を贈呈したという。郷田氏はコネリーさんの肉体美を鮮明に覚えているという。ボディービルで鍛えた胸筋は、シャツが破れそうな程パンパン。「良い体をしてましたね。手足も長く、空手をやれば相当強くなったと思います」と語った。道場への訪問は、映画に出演した道場生2人が瓦割りや頭突きでの氷割りをするのを見て感激したコネリーさんが「道場を見学したい」と望んで実現した。

 コネリーさんと大山氏は意気投合。大山氏が総裁を務めていた70年代には、コネリーさんを国際極真空手連盟の役員に起用している。76年には、大山氏の著書にコネリーさんが「マス大山の世界は(中略)鉄拳一筋に生きる執念と自信に裏打ちされている」と推薦文を寄せている。

 郷田氏は「紳士で礼儀正しく気さくな人でした」と“世界一有名なスパイ”の死を悼んだ。コネリーさんの強烈な印象だけは色あせていないようだった。

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 岡村隆史「差婚ましがる中年男性りかかる現実 

PRESIDENT Online 2020年10月30日(金)18時16分配信

芸能人は「年の差婚」が多い? 

 ナインティナインの岡村隆史さんが、10月22日深夜のラジオ生放送で、自身が結婚したことを報告しました。50歳で初婚の岡村さんに対して、お相手は30代の一般女性と報道されているので、少なくとも10歳以上の年(とし)の差婚となります。

 半年ほど前、自らの発言が炎上した岡村さんですが、皮肉にもその出来事がきっかけとなり、落ち込む彼を彼女が支えてくれたとのこと。それが今回の結婚に結びついたようです。ネット上でも、祝福の声が相次ぎ、好意的に受け取られました。中には、「あの岡村でさえ50歳で30代との年の差婚ができたんだから、俺にもワンチャンある」と希望を見いだした同年代の未婚男性もいることでしょう。

 さて、現実はどうでしょうか? 

 芸能人の結婚報道において、よくこの「年の差婚」が取り上げられることがあります。

 確かに、過去においても、俳優の西島秀俊さんは43歳で、16歳下の一般女性と、俳優の福山雅治さんは46歳で、女優の吹石一恵さんと13歳の年の差婚をしました。お笑い芸人の千原ジュニアさんも41歳で、18歳年下の方と結婚されています。

 こう書きだすと、芸能人には「年の差婚」が多いイメージを抱きがちですが、それは注目度が高いがゆえの単なる錯覚です。芸能人であったとしても、決して「年の差婚」が多いというわけではありません。

未婚の多さは「若者の結婚離れ」ではない

 日本では「未婚化」が進んでいます。2015年国勢調査時点で、男性の生涯未婚率(50歳時未婚率)は23.4%、女性は14.1%で、2040年には、これが男性3割、女性2割に増えると推計されています。つまり、50歳まで未婚のまま過ごす人がそれだけいるということであり、50歳まで未婚の人はその後も結婚する可能性が極めて低いのです。

 同時に、晩婚化も進んでいます。皆婚時代だった1970年代と比較すれば、40代以上で初婚の男性の数は増えています。しかし、これは中年男性が結婚しやすくなったわけではなく、単純に昔と比べて40代以上の未婚男性の絶対数が増えたからです。

 未婚というとどうしても若者を想起しがちです。「イマドキの若い男は草食化している」などという意見もそれを反映したものでしょう。ところが、それも事実と反します。未婚者は、もはや若者だけではありません。

 男性の20~30代の若者未婚数と40代以上の中年未婚数との比率を比較すると、1955年には、若者未婚が中年未婚の44倍もいましたが、2015年ではそれがわずか1.5倍と、その差はかなり接近しています。そのうち、40歳以上の未婚人口が若者未婚を上回ります。

 日本の未婚化問題とは、もはや未婚おじさん問題となりつつあるのです。

「夫が年上」のパターンは激減している

 そもそも、日本の婚姻において、夫が年上である「夫年上婚」は激減しています。

 厚労省の2019年人口動態調査によれば、この年の婚姻数は59万9007組でした。2018年と比較すると「令和婚効果」のおかげで、若干増えましたが、婚姻数がもっとも多かった1970年代と比べるとその数はほぼ半減しています

 また、初婚数だけを抽出すると、2019年は33万9418組で、これも1970年の初婚数と比べれば、半減どころか57%減少、組数にして約44万組も減っています。この激減の原因の大半が「夫年上婚」の減少なのです。

 1970年から2019年までの婚姻の組み合わせ推移をみれば、それは明らかです。全体の婚姻数が大きく減っているのに対して、実は「夫婦同い年婚」および「妻年上婚」の数は、婚姻数が多かった皆婚時代とほぼ変わりません。大きく減少しているのは夫年上婚だけなのです。

 1970年と2019年を比較すると、日本の婚姻数(再婚含む)は約44万組減少しているのですが、それは前述した通り、「夫年上婚」の減少と完全一致します。つまり、日本の婚姻が減った最大の要因は、年上の男性が結婚できなくなったからだとも言えます。

「お見合い」が盛んな時代は多かったが…

 これは、いわゆる「見合い結婚」の減少とリンクします。戦後からしばらくは、「見合い結婚」が7割以上を占めていました。「見合い結婚」と「恋愛結婚」の比率が逆転したのが1965年ごろです。その後、伝統的な「見合い結婚」は全体の5%台まで落ち込みます。この「見合い結婚」の減少と「夫年上婚」の減少とは強い正の相関にあります。

 言い換えれば、戦後から1980年代まで「夫年上婚」が多かった要因は「お見合い」によるものだったと推測できます。今後、伝統的な見合いによる結婚が増えるとはとても考えられません。よって、今後はより一層「夫年上婚」は減少し続けるでしょう。

 芸能人の特別な事例が印象的であるため、「若い女性との年の差婚をする中年男が増えている」と錯覚するようですが、そんな事実は存在しません。むしろ年を取った男性はどんどん結婚できなくなっていると考えるべきでしょう。

 結婚において「女の上方婚志向、男の下方婚志向」とよく言われます。これは、女性は、自分より収入や年齢や学歴が上の男性と結婚したがり、男性はその逆であるということです。もっと単純化すると、女性は自分より年収が上の男性との「玉の輿婚」を希望し、男性は自分より年齢が下の女性との「トロフィーワイフ」を希望するというものです。身も蓋もない言い方をすれば、結婚とは「男の年収と女の年齢とのトレードオフ」なのです。

10歳以上若い女性と結婚できる割合は0.2%しかない

 しかし、すべての結婚がそうとはなりません。高収入男性と結婚できる未婚女性は決して多くありませんし、実は理論上も不可能です。2017年就業構造基本調査によれば、年収400万円以上の未婚男性は、20~50代まで年齢層を広げても3割もいません。7割は300万円台なのですから、どだい無理なのです。

 同時に、若い女性と結婚できる中年未婚男性もごくわずかです。2019年の人口動態調査で、40~59歳までの未婚男性が初婚で10歳以上年の若い女性と結婚できる割合は、たったの0.2%。1000人に2人しかできません。芸能人になる確率よりは楽かもしれませんが、通常では可能性は低いということになります。

 晩婚化とはいえ、今でも初婚においては、男性は5割以上、女性は6割以上が29歳までの結婚で占められています。その多くは、同い年くらいの相手と、同じくらいの収入の相手と結婚しています。現実の結婚は、年齢も収入も近い「同類婚」が増えているのです。年齢および収入の同類婚が増えるということは、有り体に言えば、貧困同士、裕福同士の同い年カップルばかりになっているということです。「玉の輿」も「トロフィーワイフ」も一部のごく少数の人にしか実現できない「現代のおとぎ話」にすぎないのです。

 おとぎ話の虚構をいつまでも追い求めて、高年収の男を探し回る女性と、「若い女」に執着しすぎる男性だけがいつまでも結婚できないことになります。

「男も女も実は結婚したい」のウソ

 とはいえ、世の中のすべての男女が「結婚したい」と思っているわけではありません。メディアではよく「結婚したい男女は9割」などと報道されますが、あれは事実と反します。

 このデータは、出所が厚労省「出生動向基本調査(対象18~34歳)」によるものですが、選択肢が「いずれ結婚するつもり」か「一生結婚するつもりはない」の二者択一です。どちらかを選べと迫られたら、現段階で「一生結婚するつもりはない」という強い意志をすでに持つ人以外は、「いずれ結婚するつもり」を選ぶしかなくなるのではないでしょうか。

 また、同調査ではこの後に、詳細を聞いています。「いずれ結婚するつもり」を選んだ人に対して、「1年以内に結婚したい」「理想の相手ならしてもよい」「まだ結婚するつもりはない」のいずれかを回答させているのです。これら2つの回答をまとめた未婚男女の結婚意思を数値化すると、「結婚に前向き」なのは男性4割、女性5割程度におさまります。この傾向は同調査でほぼ30年間変化がありません。

 つまり、実質「結婚したい」と思っている未婚男性は、半数にすぎないわけで、「9割が結婚したい」という不正確なデータだけを切り取って、「みんな結婚意欲はあるのにできない男たち」みたいな印象を作り上げようとしているとしか思えません。

「1人は寂しい」と思う独身男性ほど注意

 僕は、かれこれ独身者を延べ10万人以上調査していますが、個々人によって「ソロ生活耐性」というものがあることが分かりました。「誰かと一緒にいないと寂しい」と思う者と「1人でいても寂しくない」と思う者は、未婚男女とも大体半々です。「誰かと一緒にいないと寂しい」という男女ほど結婚意欲は高いようです。

 後者のソロ生活耐性のある人間は、独身だろうが1人で生活していようが、快適以外の何ものでもないのですが、前者の人間は、無理してでも若いうちに結婚しておいたほうがいいと思います。

 よく若い未婚男性が「金がないから結婚できない」と言いますが、それこそ「女は上方婚だ」という呪縛にとらわれている証拠です。百歩譲って、金を稼げるようになってから、40歳を過ぎて結婚しようと思っても、その時には女性から選ばれなくなってしまいます。「金があっても結婚できない」状態になります。「誰かと一緒にいないと寂しい」というソロ生活耐性のない人にとって、これはしんどいのではないですか? 

 繰り返しますが、「年の差婚」は、おとぎ話です。幻想です。

 最後に、故樹木希林さんの名言を置いていきます。

 「結婚なんて若いうちにしなきゃダメなの。物事の分別がついたらできないんだから」

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荒川 和久(あらかわ・かずひさ)
コラムニスト・独身研究家
ソロ社会及びソロ男女を研究するソロもんラボ・リーダー。早稲田大学法学部卒業。博報堂入社後、自動車・飲料・ビール・食品・化粧品・映画・流通・通販・住宅等幅広い業種の企業プロモーション業務を担当。独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・Webメディアなどに多数出演。著書に『結婚滅亡』(あさ出版)、『ソロエコノミーの襲来』(ワニブックスPLUS新書)、『超ソロ社会―「独身大国・日本」の衝撃』(PHP新書)、『結婚しない男たち―増え続ける未婚男性「ソロ男」のリアル』(ディスカヴァー携書)など。
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2020年10月14日 (水)

【異臭騒ぎ】東京湾岸から三浦半島にかけ「ガスのような臭気」

 ガス漏れ?」「スカンク?」謎の異臭飛び交う憶測 SNS拡散 

神奈川新聞 2020年10月13日(火)21時44分配信

 神奈川県の三浦半島で6月以降、連続して発生し、最近は横浜でも相次ぐ異臭騒ぎ。県などは関係機関での情報共有や調査態勢を整えているが、原因不明のままだ。加藤勝信官房長官が会見でたびたび言及し、環境省も調査に乗り出すまで波紋は広がり、原因はさまざまな臆測が飛び交う。ただ、SNS(会員制交流サイト)の普及とそれを受けた報道の過熱などが、騒ぎを大きくしている側面を指摘する声もある。

不安の声

 「ガス漏れや化学工場との関連は」「スカンクではないのか」「ペットの火葬では」…。毎月起こる「騒ぎ」を受け、神奈川新聞社には事態を不安視する声が多数寄せられている。住民の間でも話題に上り、異臭が発生するたびにガス漏れを疑って確認している施設もあるという。

 騒ぎの始まりは6月4日夜、三浦半島の東京湾側の広い範囲で500件以上通報が相次いだ。「ゴムが焼けたようなにおい」「化学薬品」「シンナー」など内容はさまざま。その後は7月17日、8月21日、9月19日、今月1日と続いた。

 県や横須賀市などの関係機関は連携し、異臭を含む空気を採取できるよう同市消防局が、空気入れ付きのビニール袋や硫化水素の検知機器を備えている。市は「異臭を感じたら迷わず119番を」と呼び掛け、小泉進次郎環境相も「住民にとって間違いなく関心事、不安だと思う」と独自調査の着手を決めた。

横浜でも

 異臭は三浦半島にとどまらず、横浜市内でも今月1、3日に続いて12日にはJR横浜駅などでも騒ぎが起こった。

 原因について謎が深まる中、災害予測を研究する立命館大・高橋学特任教授は「関東大震災の発生前に城ケ島や浦賀で異臭があったと記録が残っている」と指摘する。今年5月下旬に千葉県などで7回地震があったことや、過去に岩石の破壊実験で焦げた臭いが出たことも踏まえ、警戒感を示す。

 また、東京湾を航行する原油などを運ぶタンカーが、タンク内の検査で人が立ち入るため、ガス抜き作業を行っているからではないかとの推測もある。

 ただ、海洋問題を研究する東海大の山田吉彦教授は「東京湾で大型船のガス抜きを行うことは現状では考えづらい」と否定的だ。かつては東京湾でも行われたものの、公害が社会問題化して以降はみられないという。横須賀海上保安部も一連の騒ぎでいずれも該当する船舶がないことを確認している。

 さらに、海の富栄養化によって異常発生したプランクトンの死骸が分解される過程で硫化水素を発する「青潮」が原因ではないかという説も出ている。

以前から

 一方で「異臭は今に始まったことではない。これまでも異臭の通報は毎月のようにあった。なぜ、これほど騒ぐのか」と首をかしげる消防関係者もいる。

 通報が500件に上った6月の騒ぎで人々が臭いに敏感になり、SNSの普及やメディアの報道なども相まって、その後の毎月の騒ぎを引き起こした―という見立てだ。今月12日の横浜での騒ぎでは「これが噂の異臭なのかな」というつぶやきもあった。

 メディアは近年、ツイッターなどのつぶやきなどから、事件事故の発生をいち早く情報収集して取材に着手する手法を強化している。消防関係者は「報道機関がそのような方法を導入した影響があるのでは」と推察。過去には広く知られることのなかった小規模な異臭が、問題化していることに違和感を覚えるという。

 ソーシャルメディア評論家の落合正和さんは「SNSは災害に関してはデマが拡散されやすい。(人々は)恐怖心を持っているので、小さなことでも拡散されてしまう」と指摘し、異臭騒ぎについても少なからずこの傾向が当てはまるとの見方を示す。

 メディアがSNS上の情報をきっかけに取材することが多い現状を受け、「デマに惑わされないでということも呼び掛けてほしい」と注文した。

横浜駅周辺の“ガス臭”を市が調査発生源不明、化学物質を高濃度検出

読売新聞オンライン 2020年10月13日(火)22時53分配信

 横浜駅周辺などで12日夕、「ガス臭い」と異臭を訴える通報が消防などに相次ぎ、横浜市は13日、市内で採取した空気を分析した結果、複数の化学物質が通常の2~13倍の濃度で含まれていたと発表した。異臭の発生源は不明だが、ただちに健康に影響を及ぼすことはないという。

 12日夕に採取した4リットル分の空気を市環境科学研究所で分析した。過去に測定した大気成分と比較したところ、ガソリンの蒸発ガスなどに含まれる「ペンタン」が13倍、化学製品が燃えた際に出る「エチレン」が2・5倍など、高濃度で検出された。

 神奈川県東部沿岸地域では6月以降、異臭騒ぎが続いており、小泉環境相は13日の閣議後記者会見で、原因調査に大気汚染物質を常時監視するシステムを活用する方針を発表した。

 異臭」は三浦半島を北上!ついに菅総理自宅到達 

FLASH 2020年10月12日(月)19時00分配信

「突然、窓の外から強烈な化学物質の臭いがしたんです。しかも、それが何度も起きています。この異常事態に対する、県やマスコミの扱いが小さすぎます。記者さん、どうか原因を解明してください」

 そう本誌記者に訴えかけるのは、神奈川県横須賀市に住む60代の男性だ。

 2020年の5月下旬以降、神奈川県の三浦半島で「ゴムが焼けたような臭いがする」「シンナー臭い」という住民の通報が、何度も寄せられている。10月4日付の『神奈川新聞』は6月以降、5回の “異臭騒ぎ” があったと報じているが、原因はいまだに特定されていない。

 いったい、当地で何が起きているのか。本誌は現地での聞き取りを中心に、徹底調査をおこなった。三浦半島の南端、三浦市で取材を始めると、ここでは6月4日に “異臭” が発生していたことがわかった。

「すごい臭いなので、換気をするために家の窓を全部開けました。吸い込んで、毒だったら大変ですからね」(三浦市南下浦町・70代男性)
「誰かが外でシンナーをまいているのかと思いましたよ。外に出てみると、パトカーや消防車も来て、騒然としていました。以前、クジラの死骸が浜に上がったことがありましたが、その臭いとも違っていましたね」(三浦市南下浦町・40代女性)

 さらに、東京湾沿いを北上し、三浦半島の中部に位置する横須賀市で取材を重ねると、同様の騒動は8月と9月にも相次いで発生していることが判明した。

「汚水のような、腐った卵のような臭いがしました。ガス漏れじゃないかと疑い、機器を確認したほど。同じ異臭は、この夏に何度もありましたよ」(横須賀市浦賀・60代男性)

「私は、6月・8月・10月に異臭に気がつきました。どれも『ゴムが焦げるような臭い』という点は共通しています。5分ほどで消えるのも、同じでした。通報されていないものも含めれば、異臭がする回数は報道よりずっと多いですよ」(横須賀市追浜・50代男性)

 5~20分程度で臭いが消えたというケースが大半だったものの、「部屋を換気しないと2時間以上臭いがとれない」「気分が悪くなり、吐きそうになった」など、その被害は深刻なものだった。

 10月には、横浜市の中心部でも異臭騒ぎが起きている。

「いままで嗅いだことのない刺激臭でした。『6月に三浦市で始まった騒ぎが、ついに横浜まで来たのか』と、このあたりの住民は、みんな戦々恐々です」(横浜市中区・30代男性)

 この「謎の悪臭」は、たしかに北上している。6月に住民が異臭を訴えたのは、三浦半島の南端付近でのみ。その後、横須賀市を経て、横浜市に到達したのだ。横浜市といえば、菅義偉総理(71)の自宅がある街だ。横浜駅すぐ近くにある、総理の自宅タワーマンションの隣の商業施設に勤める男性に、話を聞いた。

「この場所にいて、臭いを感じたことはありません。ただ、異臭に関する通報が殺到した中区は、すぐそこです」

 事実、本誌の取材で異臭が確認された場所のなかで、最北端にあたる「横浜市立みなと赤十字病院(横浜市中区)」は、菅総理の自宅からわずか5kmしか離れていない。赤十字病院の設備管理を担当する会社に勤務する、50代の男性社員はこう語る。

「ゴムを焼いたような臭いが空調を通じ、病院内に充満してしまいました。原因は、不明のままです」

 そして10月12日、横浜駅で「ガスのような臭いがする」という通報が殺到。ついに菅総理の自宅が悪臭に包まれたのだ。

 異臭の原因について、住民の間ではいくつもの臆測が飛び交っている。「下水道のトラブル?」「米軍がジェット燃料を不法投棄したのでは?」といったものから、「大地震の前兆かもしれないから、防災グッズを買った」という人まで、さまざまだ。

“地震の前兆” 説を唱えているのは、災害史を専門とする立命館大学環太平洋文明研究センター特任教授の高橋学氏(66)だ。

「三浦半島は、千葉の房総半島同様、活断層がむき出しになっている地域です。そこで岩石に圧力がかかると、火山灰の地層がないぶん、岩石が割れる前の臭いが、地上まで出やすい。それが、“焦げくさい臭い” なのです。『関東大震災が起きる直前にも、三浦半島でへんな臭いがした』という記録が残っています。

 しかも今回、異臭騒ぎの間隔が次第に短くなってきている。いずれ首都圏で海溝型大地震が発生すると考え、警戒すべきです」

 一方、この見解について、「三浦半島の異臭は大地震の発生とは、おそらく関係ない」と否定的な立場を取るのは、東京大学地震研究所だ。

「地震は地下数km~数十kmの深部で発生しますが、その深さで発生したガスが、岩石の隙間を伝わって地表まで到達するためには、膨大な量のガスの発生が必要です。その際には、群発地震や地殻変動のような異常が広範囲に観測され、また異臭もより広範囲に広がるはずです」

 しかし、そうした事象は報告されていない。したがって現段階では、「異臭を発生させる、直接的な原因を調べるのが先決」と釘を刺す。

 では、ほかに考えられる原因はないのか。神奈川県環境科学センターに取材すると、現段階では異臭の原因は「まったく不明」と断わりながらも、考え得る可能性のひとつを挙げてくれた。

「船舶がおこなう『ガスフリー』という作業があります。船に積んでいる石油などのタンクから、溜まったガスを抜くことです。東京湾を航行する船舶は日に300隻ほどもあり、その作業が異臭につながる可能性もあります」

 こうしたさまざまな見解に基づき、実際に原因究明の試みも進められている。それを担っているのは、今回の異臭騒ぎに関して神奈川県の窓口になっている、「環境農政局環境部大気水質課」だ。

「報告があった異臭には、ゴムの臭い・ガスの臭い・ニンニク臭・硫黄の臭いと4種類あり、発生源はひとつだけではないと考えています。原因特定には、臭いの元となる物質を採取する必要がありますが、まだできていません。

 現在は消防署に依頼し、異臭が発生した際、24時間対応で採取に急行してもらえるよう態勢を整えています」

 本誌が今回、住民の証言から明らかにした「 “異臭” の北上」が、原因究明の一助となれば幸いだ。

 “異臭騒ぎ”は「スーパー南海地震前兆か?過去の地震でも“前例” 

AERAdot. 2020年10月14日(水)8時00分配信

 神奈川県内で原因不明の異臭騒ぎが続いている。今年6月頃から始まり、小泉進次郎環境相の地元・横須賀市や、ついには菅義偉首相のおひざ元の横浜市でも発生した。首相の自宅タワーマンションから約1キロ離れた場所からも“異臭通報”があったのだ。10月12日には、首相の自宅タワーマンションのほど近い場所からも"異臭通報"があった。

 横浜市消防局によると、同日に市内の中区、神奈川区、西区などから16件の通報が相次いだ。JR横浜駅付近からの通報もあり、駅構内では一部改札口で20分ほどの入場規制がなされる事態となった。こうした異臭騒ぎの中で、消防局員が臭気サンプルを1件採取できたといい、解析を進めている。

 横浜市環境創造局大気・音環境課によると、異臭通報が10月1日に10件、3日に25件、5日に3件、6日に1件あったという。

「ゴムの焼けたような臭いというのが一番多いですね。シンナーみたいな臭い、ガスのような臭いという通報もあります」

 横浜市の本牧でも同1日と3日、異臭騒ぎがあった。地元で50年以上商売をしている「長田商店」の長田幸一さん(73)が話す。「ちょっと焦げ臭かったので家の周りを点検しましたが、何事もありませんでした」

 異臭のしたエリアは本牧通り沿いで、元は米軍の兵士たちの宿舎があった。輸出入衣料雑貨「本牧OZ」の店主の野田栄さん(66)は言う。

「午後5~6時頃に両日とも臭いがしました。化学薬品を混ぜたような嫌な臭いでしたね。これまでかいだことのない臭いで、気持ちが悪くなって、早めに店のシャッターを下ろしました。この辺は海から歩いて10分くらいなので、海から東風に乗って臭いがやってきたのかもしれない」

 青潮の影響だとする説や、海上にいるタンカーのガス説……など情報が飛び交う。釣り舟の船長は海の様子をこう語る。

「今年は赤潮を3回ほど見ましたが、10月には赤潮も青潮も見かけなくなりました。どちらの臭いも、ガス臭いとかコゲ臭くはないですよ」

 そんな中、立命館大学環太平洋文明研究センターの高橋学特任教授は、異臭騒ぎは巨大地震の予兆だ、と警鐘を鳴らす。

「活断層が割れたり、プレートがこすれて剥がれたりすると異臭がする。三浦半島と房総半島南部は活断層が地表に露出していて、活断層の岩が割れれば異臭がするはず」

 過去にも地震発生前、異臭騒ぎが起きたという。「1923年の関東大震災の後、内務省がまとめた文書の中に、三浦半島の城ケ島と浦賀で異臭騒ぎがあったということが記録されている。95年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災の前も異臭があった」

 高橋教授は、今後も異臭が続くと予想する。三浦半島と房総半島の間の東京湾の海底にある相模トラフ。これが北米プレートとフィリピン海プレートに接し、ひずみが蓄積されているというのだ。

「そのプレートがこすれ合い、やがては『海溝型地震』につながる。関東大震災もまさしく、相模トラフから発生した海溝型地震」と高橋教授。相模トラフの異変で首都圏直下型地震が起き、「首都圏だけでなく西日本や台湾、フィリピンまで一蓮托生(いちれんたくしょう)の『スーパー南海地震』が起きる。そうなれば東京五輪どころではない」。スーパー南海地震は、津波だけで47万~50万人が死亡するとされる。異臭騒ぎをきっかけに、震災への備えを改めて確認しておきたい。

 文献が示す異臭地震の関係 関東大震災阪神淡路大震災の前後にも“ガス臭の記録” 

夕刊フジ 2020年10月14日(水)16時56分配信

 今年6月以降、神奈川県内で続いている異臭騒ぎで、12日にもJR横浜駅やみなとみらい地区など横浜市内で「ガスのような臭いがする」との通報が相次いだ。原因は不明だが、過去の文献には大震災の際、ガスの発生を想起させる記述がある。関連性はあるのか。

 JR東日本横浜支社によると、横浜駅の利用客から「異臭がする」との申告を受け、社員が消防や警察に通報。一時は入場規制を行った。

 神奈川の異臭騒ぎは南東部の三浦半島でも続いている。6月4日夜、三浦市南下浦町金田地区から横須賀市追浜地区にかけ、「ゴムの焼けたようなにおいがする」などとする通報が約2時間弱で約200件にのぼった。

 同市消防局によると、その後も「7~9月にかけて『ガスのような臭いがする』といった通報が月に1度のペースである」という。

 三浦半島は1923年9月1日の関東大震災の震源に近いが、当時、周辺でガスが噴出したという記録が残っている。

 26年に内務省社会局が編纂(へんさん)した『大正震災志』所収の「大正十二年九月一日大震後相模灘水深変化調査図」には、三浦半島の「浦賀」付近、現在の横須賀市観音崎や鴨居地区周辺の沖合に《瓦斯(ガス)噴出》、南端の「三崎」付近、現在の城ヶ島東部の沖合にも《一時瓦斯噴出ス》と記述がある。今回、異臭で通報があった地域と重なっている。

 ガスの噴出が震災の前か後かについての明示はないが、立命館大学環太平洋文明研究センター特任教授の高橋学氏は、「海溝型地震の前後でこうした現象が起きるといえるのではないか」との見解を示す。

 1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の直前に異臭があったとする文献もある。

 大阪市立大名誉教授で地質学者の弘原海(わだつみ)清氏が住民の証言を集めた『阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分 前兆証言1519!』(東京出版)では、宝塚市のエンジニアによる《前夜7~8時、汚物と漬物が腐ったようなガスの臭いがした》との証言が紹介されている。《居間(12畳洋間)の床下から臭ってきたとしか思われません》などとしている。

 弘原海氏の別の著書『大地震の前兆現象 空が、大地が、動物が異常を発信する』(河出書房新社)では、国立大学が共同で実施した神戸市灘区での測定で、《1994年10月末から、それまで計測されたことのない高濃度のラドン値が測定された。ラドン濃度は年が明けて1995年の1月に入っても増加しつづけ、1月8日には平常値の10倍以上という最高値に達した》という。

 前出の高橋氏は「今回の異臭の原因は不明だが、ラドンであれ、圧迫されて出た天然ガスであれ、岩石がこすり合って出る焦げたような異臭であれ、地殻変動に関わる可能性がある。異臭自体に焦点を当てるより、5月に起きた東京湾の群発地震など海溝型地震の前の兆候とみられる一連の現象の一部と見た方がよい」と強調した。

 異臭の原因についてはタンカーが油を荷揚げした後、タンク内の可燃性ガスを排出する「ガス・フリー」と呼ばれる作業が影響しているとの見方もある。

 大地震の予兆だと断定はできないが、気になる符合ではある。

 極東カムチャッカ化学物質で海洋汚染 

時事通信 2020年10月5日(月)19時28分配信

 ロシア極東カムチャツカ地方の海岸に多数の海洋生物の死骸が打ち上げられ、化学物質による海洋汚染の疑いが出ている。

 連邦捜査委員会は5日、捜査開始を発表した。

 地元環境当局によると、海水中の石油物質の含有量は基準値の3.6倍、化学物質のフェノールは2.5倍に達した。近海での石油タンカーの事故などは伝えられておらず、汚染の原因は明らかになっていない。軍艦船や軍事施設からの物質流出も疑われたが、国防省は否定した。

 インターネット交流サイト(SNS)には海岸に打ち上げられたタコの死骸などの写真が投稿されている。汚染をめぐってはカムチャツカ地方の知事が9月29日にSNSで「水が変色し、健康被害を及ぼす危険性が出ている」と訴えていた。環境保護団体グリーンピース・ロシア支部は住民らの話として、汚染は数週間前から始まっていたと指摘した。 

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 カムチャッカ沖で海洋生物大量死、軍施設のロケット燃料流出 

AFPBB News 2020年10月7日(水)10時15分配信

 ロシアのカムチャツカ(Kamchatka)地方で、大量の海洋生物の死骸が打ち上げられた。原因は海洋汚染で、5日には同地方にある軍の試験場に貯蔵されていたロケット燃料が流出したのではないかとの懸念が持ち上がった。

 この海洋汚染は先月、地元のサーファーらが目の痛みを訴え、海水の色が変わり、異臭を放っていたと報告したことで発覚。当局が後に確認したところによると、サーファーらの角膜がただれたという。

 地元住民らも観光客に人気のある黒砂のビーチで、アザラシやタコ、ウニなどの海洋生物の死骸が大量に打ち上げられているのを目撃した。

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 カムチャツカ地方のウラジミール・ソロドフ(Vladimir Solodov)知事は5日、カムチャツカ半島沖の海域が有毒な化学物質で汚染されている可能性があると公表。国際環境NGOグリーンピース(Greenpeace)は、海洋生物にとっての「生態学的災害」だと警告した。

 当局は汚染発覚後直ちに検査を実施。基準値を超えるフェノールと石油製品が検出されたという。

 ソロドフ知事によると、検出されたフェノールと石油製品と「何らかの有害物質の流出」が関連しているかどうかについて、専門家が調査をしている。また、海洋生物の死と汚染が広範囲に拡大していることがダイバーによって確認されたという。

 当局は今回の汚染の原因解明を急いでいる。ロシアでは今年6月にもシベリア(Siberia)地方で大量の軽油が地上と川に流出する事故があり、事故報告の遅れをウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領が厳しく叱責していた。

 ドミトリー・コブイルキン(Dmitry Kobylkin)天然資源環境相は、テレビで放映されたインタビューで、プーチン氏から原因究明を命じられたとコメントした。

カムチャッカ海洋生物大量死原因有毒な発生

AFPBB News 2020年10月14日(水)12時22分配信

 ロシアのカムチャツカ(Kamchatka)地方で先月発覚した海洋生物大量死の原因についてロシア科学アカデミー(Russian Academy of Sciences)の副会長は12日、人為的な環境汚染ではなく、藻が作る毒素だとこれまでの調査で分かったと明らかにした。また、国際環境NGOグリーンピース(Greenpeace)は13日、周辺海域の海底の様子を撮影した映像を公開した。

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 先月、地元のサーファーらが目の痛みを訴え、海水の色が変わり、異臭を放っていたと報告。アザラシやタコ、ウニなどの海洋生物の死骸が大量に打ち上げられているのも見つかった。

 科学者らは、最悪の場合で、この海域の海底に生息する生物の95%が死んだと主張していた。環境保護活動家らは、汚染の原因は旧ソ連時代の有害物質貯蔵地からの流出の可能性があると懸念を示していた。

 しかし、ロシア科学アカデミーのアンドレイ・アドリアノフ(Andrei Adrianov)副会長は12日、記者会見を開き、「大規模な現象が起きているのは確かだが、カムチャツカでは珍しくない有害な藻の発生だ」と語った。

 海水のサンプルから、「無脊椎動物に影響する毒素」を作る「(微小藻類の)ギムノディニウム(Gymnodinium)だけ濃度が高いことが分かった」という。アドリアノフ氏は、この毒素がダイバーやサーファーの症状を引き起こした可能性もあると指摘した。

 カムチャツカ地方では先週、汚染によって40キロにわたる油膜が形成され、日本やクリール諸島(Kuril Islands、北方領土を含む千島列島)に向かって南に移動していることが明らかにされていた。

 グリーンピースロシア支部の活動家らは、状況は改善しておらず、依然として海洋生物の死骸が海岸に打ち上げられていると懸念を表明したが、アドリアノフ氏は、自然は極めて速く自己再生していると述べた。

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2020年9月25日 (金)

【暴走戦士】“ロード・ウォリアーズ”アニマルさん(享年60歳)逝去。

 暴走戦士ロードウォリアーズアニマル氏(享年60歳死去 

デイリー 2020年9月23日(水)21時57分配信

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 米国の元プロレスラーで日本でも活躍した「ザ・ロード・ウォリアーズ」のアニマル・ウォリアー氏が、死去したことが23日、分かった。60歳だった。

 本人のツイッターアカウントで関係者によって発表され、イギリスの現地メディアなども報道。ハルク・ホーガンなどが追悼した。本人のツイッターでは今後、家族が声明を発表予定としている。

 “暴走戦士”と呼ばれたウォリアーズは80年代、90年代に日本で活躍。アニマル氏は03年に45歳の若さで他界した相棒ホーク氏とのコンビで、顔面に独特のペイントをほどこし、バイオレンス・ファイトで旋風を巻き起こした。

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 アニマル氏が肩車をしてポスト最上段からホーク氏がラリアートで圧殺する合体技でファンを魅了。人気沸騰となり、ジャンボ鶴田や天龍源一郎らと激闘を繰り広げた。新日本プロレスではホーク氏、アニマル氏、パワー・ウォリアー(佐々木健介)の3人でトリプルウォリアーズも結成し、注目された。

 暴走戦士 アニマルウォリアーさん、60歳死去 

東スポWeb 2020年9月23日(水)23時37分配信

「ロード・ウォリアーズ」のユニットで日本プロレス界でも活躍した〝暴走戦士〟アニマル・ウォリアーさんが死去したことが23日に分かった。60歳だった。

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 アニマルさんの死去は公式ツイッターが発表し、死因は明らかにされてない。パートナーのホーク・ウォリアーさんとともに「ロード・ウォリアーズ」のタッグチームで85年に全日本プロレスで初来日。ジャンボ鶴田、天龍源一郎らと激しいファイトを展開した。

 1990年からは新日本プロレスにも参戦し、パワー・ウォリアー(佐々木健介)と「トリプル・ウォリアーズ」を結成し話題を呼んだ。03年10月にホークさんが46歳の若さで心臓発作で死去。11年には初代マネージャーのポール・エラリングとともにロード・ウォリアーズでWWE殿堂入りを果たしている。

 顔にペイントを施した荒々しいファイトで人気を博した2人の代名詞はオリジナル合体技「ダブルインパクト(ドゥームズデイ・デバイス)」。アニマルさんがコーナーの方を向きながら相手を肩車し、コーナー最上段からホークさんがジャンピングラリアートを叩きつける同技は、多くのタッグチームが使用しタッグマッチの定番技となった。

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 アニマルさんと数々の激闘を繰り広げてきた武藤敬司(57)は訃報を受けてツイッターを更新。「プロレス界で一世を風靡した、ロード・ウォリアーズのアニマル・ウォリアーが亡くなった。何度も戦った経験があるが、実はプライベートでも交流があったんだ。天国に先に旅立ったホーク・ウォリアーが、きっと待ってるぜ!御冥福をお祈り致します」と故人をしのんだ。

 アニマルウォリアーさん追悼~「アイアンマンが流れた日 

GONG KAKUTOGI 2020年9月24日(木)15時02分配信

 米国の元プロレスラーで日本でも人気の高かったザ・ロード・ウォリアーズのアニマル・ウォリアー氏が2020年9月23日(水)に死去したことが関係者によって明らかにされた。60歳だった。

 アニマルといえば、1999年10月28日に東京・国立代々木競技場第2体育館で開催されたリングス主催『WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT~King of Kings』に参戦した、ブラッド・コーラーのセコンドとしても来日している。

 コーラーはグレコローマンレスリング出身のMMAファイターでUFC、IFC、フックン・シュート、エクストリーム・ファイトなどに出場。リングスがKOKルールで初開催したトーナメントに初来日したのだが、「3年くらい前からの友人なんだ」とアニマルを帯同していた。

 コーラーがジムでトレーニングを積んでいる時にアニマルから「プロレスをやってみないか」と声を懸けられ、アニマルと共に毎週金・土・日にアメリカ中をロードしてプロレスの試合をしていたという。

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「アニマルとは一緒にアメリカでプロレスに出て、道場も一緒にやっているんだ。俺が強くなれたのもアニマルが手伝ってくれたおかげさ。一緒にトレーニングをするようになって、アニマルも物凄くハードなトレーニングをしていたし、彼のパートナーや俺のパートナーはジムに来ない日もあったが、俺たちは1日も休まず一緒に練習したのさ」とコーラー。

 アニマルは「日本のファンは俺のことを知っていて敬意を払ってくれるから、俺が一緒に会場へ行くことで彼も素晴らしいレスラーでありファイターであるということを分かってくれるだろうと思ってね。俺が保証する。ミスター・コーラーはナンバーワン・ファイターさ」と、共に来日した理由を語っていた。

 試合当日、リングスの会場に『アイアンマン』が鳴り響くと、当時はアイアンマン=ロード・ウォリアーズというくらい浸透していたため、場内からは“おっ”という声が起きた。そして次の瞬間、カーテンの奥からアニマルが登場し、花道を駆け抜けてリングに上がると大歓声が沸き起こった。アニマルの来日は事前にファンには知らされておらず“まさか”の登場だったのだ。

 アニマルをセコンドに付け、ファンも味方につけたコーラーはトーナメント1回戦で山本宜久を撃破。2回戦ではイリューヒン・ミーシャに敗れたが、アニマルと共にこの第1回KOKトーナメントで大きなインパクトを残し、大会を盛り上げた立役者だった。

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 ちなみに、「あなたもリングスで試合をする気はないのか?」と記者に質問されたアニマルは、おそらくリップサービス含みではあっただろうが「興味はあるね」と笑顔で答えた。

 また、アニマルは、2015年6月19日に米国ミズーリ州セントルイスで開催された『Bellator 138: Unfinished Business』にも登場している。

 メインイベントのヘビー級戦で、キンボ・スライスとケン・シャムロックが対戦。その際に、シャムロック陣営を先導する形で、花道にアニマルがリージョン・オブ・ドゥームのテーマ曲に乗って登場。ともに元WWEのレスラーとして、シャムロックを呼び込んでいる。

 試合は、先にテイクダウンを奪ったシャムロックがリアネイキドチョークを狙うも、凌いだキンボがパンチラッシュで1R、逆転のKO勝ちとなった。

 当時、Bellator史上最高の視聴率を記録した同大会は、イベント全体の平均視聴者数は160万人で、キンボとシャムロックの試合中のピークは240万人、DVRのピークは290万人にも達していた。

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 アニマルさん追悼ロードウォリアーズ結成秘話 

NumberWeb 2020年9月26日(土)20時01分配信/堀江ガンツ(プロレス評論家)

 一世を風靡したタッグチーム「ザ・ロード・ウォリアーズ」の1人、アニマル・ウォリアーが死去したことがわかった。これはアニマル・ウォリアー公式ツイッターが9月22日に明らかにしたもので、死因は公表されていない。

 アニマルは、2003年に46歳の若さで亡くなった相棒のホーク・ウォリアーとともに、1980年代から90年代にかけて日米で大活躍。“タッグ屋”としてはプロレス史上、最も成功したコンビであり、その意味で、史上最高のタッグチームと呼んでいいだろう。

 筋骨隆々の肉体に、独特の顔面ペインティング。ブラックサバスの『アイアンマン』のテーマ曲に乗って疾風のごとくリングに登場すると、ゴングと同時に対戦相手を支配し、最後は必殺の合体技ダブルインパクトであっという間に秒殺する。

 その圧倒的な強さとキャラクターは、アメリカンプロレスの流れを変え、80年代後半の新たなカルチャーとなった。

 ボクは3年前、アニマルが来日した際にロングインタビューをしている。その時の言葉とともに、ロード・ウォリアーズの歩みをあらためて振り返ってみたい。

「いま思い返すと、俺たちは予言書にもともと書いてあったストーリーをなぞって生きていたんじゃないかと思うよ。それぐらい運命的だった」

 アニマルはロード・ウォリアーズの物語をそう語る。

夢のフットボーラーか、金のレスラーか

 アニマルとホークのふたりは、もともとミネソタ州ミネアポリスのバー「グランマ・ビーズ」で用心棒をやりながら、ウェートトレーニングに明け暮れていた、トレーニング仲間。アニマルはプロレスラーではなく、プロフットボーラーを目指していたが、「グランマ・ビーズ」のバーテンだった元プロレスラーのエディ・シャーキーにスカウトされ、ホークとともにプロレスのトレーニングを受けることとなる。

「当時、俺は19歳だったんだけど、すでに息子がいたんだ。だからカネを稼ぐ必要があった。そこでアメリカンフットボールという夢を選ぶか、プロレスでカネを稼ぐかを考えた時、チャンスがあるのはプロレスの方だと思ったんだよ。エディからも『おまえらなら、絶対にプロレスで稼げる』と言われたからね。それで決心がついた。だから俺はプロレスラーに選ばれたんだと思っているよ」

ヒントは映画マッドマックスから?

 アニマルとホークはそれぞれ別のテリトリーでプロレスラーとしてデビュー。その後、NWAジョージア地区で再会をはたす。ふたりにタッグを組ませたのは、現地のレスラー兼ブッカー(マッチメイカー)を務めていたオレイ・アンダーソンだった。

「俺たちふたりを結びつけてくれたオレイ・アンダーソンが、『ザ・ロード・ウォリアー』(邦題『マッドマックス2』)という映画からインスピレーションを受けて『今日から、おまえたち2人でロード・ウォリアーズだ。おまえがホークで、おまえはアニマルだ』って名前をつけてくれたんだ。彼は本当に頭がキレる男で、彼のようなプロレスを知り尽くした男がサポートしてくれたことも、俺たちにとっては幸運だった」

『マッドマックス』をイメージしたバイカー系コスチュームやトレードマークとなったヘアスタイル、アニマルのモヒカン刈りとホークの逆モヒカンなどは、ふたりで考えた。

観客が本気になれるリアリティ

「結成当初はビーチボーイみたいなロン毛にしてたんだけど、ある時ホークが『アニマルが1本モヒカンにして、俺は2本モヒカンでどうだ? 』って言ってきたんだ。『俺とお前の頭を突き合わせたら、ちょうどパズルのようにピタリとハマる。コンビとしては最高だろ』ってね。イカれたアイデアだったが、やってみたらこれが悪くないんだ。あんな奇抜なヘアスタイルをしているレスラーは、当時他には誰もいなかったからね。そして髪を刈って、フェイスペインティングすると、不思議と身も心も“ロード・ウォリアーズ”になれた気がしたんだよ。

 ロード・ウォリアーズというのは、素の俺たちそのままではないが、すべて俺たちの内面から出てきたものなんだ。インタビューでも、自分たちが経験してきたことを、ウォリアーズに置き換えて喋っていた。だから観客も本気で反応してくれたんだよ。今のプロレスのように、どこかの作家が考えたセリフをそのまましゃべっていたら、そうはいかない。プロレスには観客が本気になってくれるリアリティが絶対に必要なんだよ」

ポールは最高の男だ

 こうして飛び抜けたビジュアルインパクトを手に入れ、筋骨隆々の肉体、そして並外れた運動神経も持ち合わせていたふたりだったが、プロレスに関しては、ほぼ素人同然だった。そんなアニマルとホークを、ロード・ウォリアーズという最強のタッグチームに仕上げてくれたのが、マネージャーのポール・エラリングだった。

「ポールは最高の男だ。俺たちが若い頃、彼からたくさんのことを教わった。プロレスの基礎を教えてくれたのはエディ・シャーキーだったが、具体的なタッグの闘い方を教えてくれたのは、すべてポール・エラリングだ。彼は紙に四角いリングを書いて、『ここにホークがいて、相手をロープに投げたら、アニマルはこう動け』など、すべてわかりやすく図で説明してくれた。そして試合のフォーメーションも、1個覚えたら、『じゃあ、次は2個加えてみよう。それができたら3つだ』という感じで、少しずつバリエーションを増やしていってくれた。そうやって、素人だった俺たちに、プロレスの“いろは”を教えてくれたんだよ。ポールは俺たちをうまくコントロールし、引っ張っていってくれた。“ポール・エラリング率いる”ロード・ウォリアーズだったんだ」

スターになれるなんて思ってはいなかった

 試合はすべて秒殺勝利か反則暴走。キャリアの浅いアニマルとホークに“ボロ”を出させないために、ポール・エラリングが考えた奇策だったが、これが大当たりする。ロード・ウォリアーズは瞬く間に全米のトップスターとなっていったのだ。

「レスラーになったばかりの頃は、自分たちが本当にスターになれるなんて思ってはいなかった。『なんとか家族が生活できるだけのカネが稼げるようになればいいな』と思っていたぐらいでね。ところが、いざスタートしてみたら、あれよあれよと言う間にトップになることができて、何か信じられなかったね。

 俺たちがトップに上がっていく頃、ちょうどアメリカではレスリングビジネスの転換期だったんだ。全米にケーブルテレビが浸透し始めて、それまでの常識は通用しなくなっていった。またファン層も入れ替わる時期で、その若いファンたちが、俺たちのようなレスラーを求めた結果だったんだよ。新しいポップカルチャーが生まれる時というのは、そういうものだろう」

来日初戦で実現したアニマル対決

 ロード・ウォリアーズは1985年3月、全日本プロレスに初来日。それ以前から、テレビ東京系『世界のプロレス』でアメリカでの試合が放送され、『フレッシュジャンプ』に連載されていた漫画『プロレス・スターウォーズ』でも主役扱いで登場していたので、すでに人気は沸騰しており、初来日時は社会現象と呼べるフィーバーぶりとなった。

 アニマルはその来日第1戦のことをよく憶えていた。

「来日第1戦の相手はキラー・カーンとアニマル浜口。アニマルvs.アニマルだったんだ(笑)。だから試合前は、『俺が本物のアニマルだ。ヤツはニセモノだ!  俺がオンリーワンのアニマルだってことをわからせてやる! 』なんて吠えたんだけど、実際のハマグチサンは素晴らしいレスラーで、素晴らしい人物だった。彼らのようなプロフェッショナルが来日第1戦の相手だったことに感謝しているよ。

 ツアー最終日、スモーアリーナ(両国国技館)でやった、ジャンボ(鶴田)&テンリュー(天龍源一郎)との試合も印象深い。俺たちロード・ウォリアーズがあれだけ長い時間の試合をしたのは、あの時が初めてだったんだよ。アメリカではずっと5分以内で試合が終わっていたからね。彼らのような経験豊富なトップレスラーと長い試合ができたことは、俺たちにとっても自信になった。あのツアーはたった1週間だったが、とてもいい思い出になっているよ」

アニマルが語った成功の秘訣とは?

 その後、ロード・ウォリアーズは全米を飛び回るハードスケジュールの合間を縫って、年2回ペースで来日。ウォリアーズが参戦するシリーズは、それだけで特別なものとなった。

 そして1990年には新日本にも参戦し、武藤敬司&蝶野正洋とも対戦。91年からはWWF所属となり、SWSのリングで天龍&ハルク・ホーガンと夢の対決を行なった。

 ロード・ウォリアーズは日米のファンにもっとも愛されたタッグチームだった。

 アニマル・ウォリアーは自分たちが成功した秘訣をこう語っている。

「成功の鍵は希望を持つことと、ハングリーであること。そして仕事に対しては誠実に一生懸命やること。これはどんな仕事でも一緒だと思う。俺たちの仕事はレスリングだから、常に身体を張った激しい試合をしてきたということだ。そして、そんな俺たちをファンが愛してくれた。あれから何十年も経ったのに、日本のファンがロード・ウォリアーズを憶えていてくれるんだからね。本当に幸せなレスラー人生だったと思っているよ」

 24日夜『半沢直樹撮影終了、香川照之「思いが国民に通じた 

スポニチアネックス 2020年9月25日(金)15時20分配信

 俳優の堺雅人(46)が主演を務め、今夏ドラマの話題を独占しているTBS日曜劇場「半沢直樹」(日曜後9・00)の全撮影が24日夜に終了。オールアップを迎えた。25日、同局の各情報番組で伝えられた。今年2月のクランクインから、新型コロナウイルスの影響による中断を挟んだ長丁場を完走し、クランクアップ。現場には原作者の池井戸潤(57)も駆けつけた。主人公・半沢の「1000倍返し」なるか注目される最終回(第10話)は27日、15分拡大で放送される。

 宿敵・大和田役が大反響を呼んでいる香川照之(54)は「何より堺さんが命がけで台詞を覚えられて、命懸けで戦って、その思いが今、国民に通じて、国民の皆さんが待っている瞬間になると思います。あれだけ毎日、怒鳴り声を出すのが、どれだけつらいかというのは、僕を身をもって俳優として分かっているつもりです。だから、本当に堺さんに肩の荷を下ろしてもらいたいなと」と座長・堺をねぎらった。

 「いろいろな方が苦労されて、やっと、こうして終わろうとしています。僕の中でも特別なドラマになりましたし、今の段階で最高のドラマだと思います。日曜日に放映は終わってしまうわけですけども、我々の心の中には『半沢直樹』はまだしばらく残っています」と胸を張った。

 香川は自身のツイッターに動画も投稿。「クランクアップDEATH!」と話題のポーズとともに報告した。

「日本で最高のドラマだと思います」堺雅人&香川照之『半沢直樹』撮了で“エア🤗ハグ”、ネットでは“半沢ロスに怯える声殺到

ねとらば 2020年9月25日(金)17時48分配信

 俳優の堺雅人さんが主演を務めるTBS日曜劇場「半沢直樹」が9月24日夜に都内で、クランクアップを迎えたことを25日放送の同局情報番組「グッとラック!」が伝えました。本当にお疲れさまでした!

 同作は、作家の池井戸潤さんによる『ロスジェネの逆襲』『銀翼のイカロス』を原作とした新シリーズ。平均視聴率は9話連続20%台(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録し、ネット上でも毎話話題になるなど、社会現象を巻き起こしています。

 いよいよ27日の放送で最終回を迎える「半沢直樹」。「グッとラック!」では、同作のクランクアップの様子が公開され、東京中央銀行の赤絨毯に立つ堺さんに、福澤克雄監督が花束を渡すシーンが流れました。堺さんと肩を組んだ福澤監督は、思わず「うおおおー!」と叫びながらガッツポーズし、固い握手。

 花束を受け取った堺さんは「いやー、もう感謝しかないです。これは。本当に感謝と尊敬」と晴れやかな笑顔に。7カ月に及んだ撮影について「皆さん、本当に暑い中、最初は寒かったし。暑い中、本当に重い物を持ったりね、寝ずに頑張ったり。こんなに大変な中、企画も大変だったと思いますし」と振り返り、「毎日毎日がこんなに大変な中に、よくやってくださったなぁと思います」とコロナ禍で乗り越えたスタッフをねぎらいました。

 そして、堺さんは「おかげでとっても楽しい7カ月でした。なんか終わるの嫌だなぁ~って感じです! 本当にありがとうございました!」と深くお辞儀し、拍手をしながら感慨深げにスタッフを見つめていました。

 また、半沢の同僚・渡真利忍役を演じた及川光博さんは「監督を始め、スタッフの皆さんどうもありがとうございました」と感謝。目を潤ませながら、「無事、完走できてまず心よりホッとしています。なんだかんだで7カ月間お疲れさまでした。渡真利忍がお世話になりました」と語り、最後は「チャオ!」と言って熱い投げキッスをしていました。とまりん……!

 さらには、半沢の宿敵・大和田暁役を演じた香川照之さんも撮了し、監督と固い握手。作品について「僕の中でも特別なドラマになりましたし、今の段階の日本で最高のドラマだと思います」「日曜日には放送は終わってしまうわけですけども、われわれの中には『半沢直樹』はしばらく残っています」と“半沢愛”を熱弁。

 主演の堺さんに対しては、「何より堺さんが命懸けでせりふを覚えられて、命懸けで戦って」と称賛しながら、「その思いが国民に通じて、国民の皆さんが待ってる瞬間になると思います」と最終回への思いを伝えた香川さん。あいさつが終わると、香川さんは堺さんの元へ行き、互いに肩をたたくそぶりをしてみせ、“エア”で抱き合っていました。半沢と大和田のソーシャルディスタンスハグ……!

 そして視聴者に向けて、堺さんは「7カ月の長きにわたって、皆さまの本当に楽しみにしてくださっているその声援のおかげで、ここまで走りきることができました。最終回どうぞお楽しみに!」と呼びかけ、達成感からか「わーい!」と大きく万歳してみせました。

 最終回を前に、ネット上では「半沢直樹ロス起こる2日前」「役者さんスタッフの皆さま、お疲れさまでした。日曜日ホンマに楽しみ。やけど半沢ロスに既におびえています……」「大和田ロスにもなりそう(笑)」「半沢直樹ロスが怖い」「な・お・きロスになること間違いない」など、既に“半沢ロス”を恐れる声が殺到しています。

 香川照之「クランクアップDEATH」話題ポーズで撮了を報告 

クランクイン! 2020年9月25日(金)17時19分配信

 俳優の香川照之が25日に自身のツイッターに動画を投稿し、出演中のドラマ『半沢直樹』(TBS系/毎週日曜21時)の撮影終了を報告。話題のポーズで「クランクアップDEATH!」とコメントした。

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 香川が「日曜日お楽しみに!」と投稿したのは、出演中のドラマ『半沢直樹』のオフショット動画。動画の中で香川は、ドラマの中で演じている東京中央銀行取締役・大和田の衣装姿でカメラの前に立つと、達成感がにじんだ笑顔で「『半沢直樹』…すべて撮影終了いたしました…」と報告。続けて香川は「クランクアップ…」と言うと、立てた親指で自身の首をかっ切るポーズをしながら「DEATH!」と一言。

 香川演じる大和田は、ドラマの第2話で堺雅人扮する主人公の半沢と対面。大和田が前作からの因縁が続く半沢をにらみつけながら、立てた親指で自身の首をかっ切り「お・し・ま・い DEATH!」と言い放つ姿は、ネットを中心に大きな話題を集めていた。

 話題のポーズを惜しげも無く披露しながらの撮了報告に、ファンからは「クランクアップお疲れ様death」「楽しみDeath!!」「最終回、正座して拝見致しますdeath!」などの投稿が相次いでいた。

 

2020年9月 2日 (水)

【半沢直樹】コロナ禍の過酷な撮影日程✍「第8話」放送延期

 半沢直樹放送延期、生放送で恩返し!コロナ禍で撮影遅れ… 

デイリー 2020年9月2日(水)5時00分配信

 TBSは1日、全話で平均世帯視聴率20%超えと快進撃を続ける俳優・堺雅人(46)主演のドラマ「半沢直樹」(日曜、後9・00)が、新型コロナウイルスの影響による撮影の遅れで、6日放送の第8話を翌週の13日に延期すると発表した。社外制作スタッフの感染や撮影場所の使用禁止など不測の事態が重なり、スケジュールが圧迫されていた。6日は「キャスト、スタッフが一丸」となって、超異例の1時間の生放送に変更となった。

 最新話が平均世帯視聴率24・7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と絶好調な半沢の前に、またコロナが立ちはだかった。6日に放送予定だった第8話を1週間後の13日に延期。TBSは、新型コロナウイルスの感染拡大により、制作スケジュールに大きな影響が出たためと説明した。

 同局広報部によると、8月中旬に社外制作スタッフが感染し、撮影が3日間ストップ。保健所の判断では濃厚接触者はいなかったが、万全を期すため少しでも可能性のあるキャスト、スタッフはPCR検査を受け全員が陰性だったという。

 コロナ禍にあって、撮影場所の確保も困難をきわめた。予定していた撮影場所が直前に使用できなくなるなど調整は難航。「半沢」らしい、重厚な雰囲気のあるロケ場所を新たに探し出すのは容易でなく、スケジュールが押していった。

 撮影に際しては検温、消毒を徹底。本番以外はマスク、フェースシールドを付け、メーク直しに時間がかかるなど、放送関係者は「以前より撮影に2割くらい時間がかかる印象」と明かす。特に「半沢」は大人数のエキストラを投入し、迫力ある画面を作り出す“密”な手法を持ち味としており、より影響を受けていると見られる。

 平成最高の視聴率を記録したお化けドラマの7年ぶり続編。満を持して4月クールに登場するはずだったが、コロナで放送開始が3カ月ずれ込んだ。再び影響を受けることになったが、6日は高い熱量で待ち続ける視聴者へ「恩返し」とも言うべき生放送を届ける。

 詳細は明かされてないが「『半沢直樹』のキャスト・スタッフが一丸となって、1時間の生放送をお届けします」と同局。ピンチをチャンスに。「倍返し」するかのような超異例の生特番が注目される。

半沢直樹』現場で起きた変化 堺雅人は感染予防で個室に籠る

女性自身 2020年9月2日(水)6時33分配信

「主演の堺さんからペットボトル入りのコーヒーの差し入れが定期的にあるのですが、クーラーボックスでキンキンに冷やしていても、毎回昼過ぎには溶けてしまうんです。暑さだけでなく現場の熱気が半端ないんです!」(ドラマ関係者)

 毎週、視聴率20%以上を記録する国民的ドラマ『半沢直樹』(TBS系)。主人公の堺雅人(46)演じる半沢直樹がキャラの濃い敵役に“倍返し”するストーリーは第2幕の帝国航空編に。さらに緊迫感あふれる舞台裏秘話を一挙公開!

「今回の『半沢直樹』も、基本的に半沢の周りには敵役が多く、堺さんは共演者との距離を保って緊張感が緩まないよう、不必要に接することは避けているそうです。役に入り込むと抜けないそうで、現場にいるときはずっと堺さんは“半沢直樹”です。控室で『半沢さん、間もなく本番です!』と声をかけているスタッフもいます」(前出・ドラマ関係者)

 新型コロナにより、一時撮影を中止していたが、士気には全く影響がなかったという。

「撮影は今春から始まりましたが、新型コロナの感染拡大で中断。その間、共演者やスタッフは、グループLINEで定期的に連絡を取り合って、“チーム半沢”の連帯感を保つようにしていたそうです」(芸能プロダクション関係者)

 前作に引き続き、今回もNGはほとんどないという。

「前作から堺さんはセリフ覚えが完璧で、NGを出すことはありません。その評判が事前に伝わっていて、ゲストで来てくださるキャストの方々も気合の入り方が違い、NGはほとんどありません」(テレビ局関係者)

 前出の芸能プロ関係者は言う。

「堺さんは前作では本番が終わっても控室に戻らず、ずっとスタジオでほかの出演者が出ているシーンを見ていることが多かったんです。しかし、今回は自分の出番が終わると、早めに控室に戻るようにしています。感染予防のため、本番以外では人と接する時間を減らすよう指示を受けていると聞いています」(前出・芸能プロ関係者)

『半沢直樹』の出演者は至近距離で濃厚な演技合戦を繰り広げる。そのため、収録時は徹底的な感染防止対策がとられているという。

「スタジオ入りする際に、壁に貼りだされている、“消毒衛生チェックシート”を確認するように求められます。《消毒液で手指を消毒したか?》《マスクや衣服は清潔か?》《靴裏を拭いたか?》《不要不急の会話を近距離でしていないか?》《物を手渡ししていないか?》こうした項目が10項目あるんです。同時に『体調チェックシート』も貼られていて、局が設けている基準よりもはるかに厳しいと聞いています。出演者もスタッフも守ろうという『チーム半沢』の強い覚悟がうかがえます」(前出・芸能プロ関係者)

 半沢直樹』どころじゃない! 今どき企業社内派閥みどろバトル 

PRESIDENT Online 2020年8月28日(金)16時16日配信

 ドラマ「半沢直樹」(TBS系)が絶好調だ。人事ジャーナリストの溝上憲文氏は「ドラマ内では失脚した社員は出世競争に敗れ、出向させられていますが、現実はさらに厳しい。コロナ不況で9月以降、出向・転籍、希望退職者募集などでリストラを始める企業が増えそうです」という――。

「半沢直樹どころじゃない」イマドキ企業の出向・左遷・社内派閥

 ドラマ「半沢直樹」(TBS系、日曜夜9時)が高視聴率を維持している。

 ドラマはメガバンクの陰湿な派閥争いに巻き込まれた、堺雅人演じる主人公・半沢直樹の出向からストーリーが始まる。ドラマの出向は出世競争に敗れた人、あるいは不祥事の責任をとらされた片道切符の左遷というイメージだが、確かに昔の銀行はライバルを蹴落とすための出向もあった。

 大手銀行の元人事部長からこんな話を聞いたことがある。

 「部長・役員レースになると、陰湿な手口を使って相手を蹴落とすための暗闘もある。たとえば、以前は上司と部下の良好な関係を築いていても、部下が自分の地位を脅かすような存在になると、平気で部下を追い落とすことも珍しくない。よく使われる手口が出向だ。上層部に『あの会社を再建できるのはA君しかいません』と上申し、銀行内から追い払う。あるいは、過去の懲戒記録を調べて、社外で酒に酔って他人とケンカし、警察沙汰になったことの噂を流して出世の芽をつぶし、出向させたこともあった」

 まさにドラマを地でいくやり方だが、今の銀行は低金利下で生き残りに必死であり、内部で暗闘を繰り広げる余裕もなくなっている。

 蹴落とす手段に使われる出向先の関連会社や取引先も経営的にゆとりがなくなり、特に無能な人間ほどやんわりと受け入れを拒否されるという話もしばしば耳にする。今では銀行も以前ほどの力を失っている。

現実のビジネス社会でも半沢直樹タイプが本社に復活できる

 また、出向は左遷というイメージがあるが、一般的な出向は必ずしもそうではない。

 上位の役職で子会社に出向させて経営術を学ばせる人材育成の出向もあれば、新規事業会社の現場で修羅場を経験させて本人の実力を見極める出向もある。特に総合商社の事業会社への出向はその傾向が強い。

 仮に社内の出世競争に敗れて子会社に出向しても復活のチャンスもある。復活のためには、出向先での仕事の評価が大きく影響するが、情報通信会社の人事部長は2つのタイプに分かれると語る。

 「上のポストを狙っていた課長職の社員が子会社に飛ばされると誰しもショックを受ける。ただ、子会社に行ってもそのショックを引きずって腐ってしまう人と、気持ちを切り替えて目の前の仕事にコツコツと取り組む人の2つに分かれる。腐ってしまうと、子会社でも斜に構えたような態度になり、全力で仕事に取り組むことがなくなり、二度と復活することはなく、子会社でもお荷物になっていく。一方、新しい仕事でも前向きに取り組み、しっかりと業績を上げていく人は子会社での信頼が厚くなるだけではなく、本社でも『あいつは子会社に出されても、なかなか打たれ強い』と評価され、本社に戻されることもある」

 後者のタイプは出向先でもめげることなく活躍する半沢直樹に似ている。

 大事なことは、どんな不遇な環境に追い込まれても、新たに出直す覚悟と努力を絶やさないことだ。組織も人間社会だ。腐ることなく真面目に仕事をしていれば拾う神もいるということだ。

コロナ禍で9月以降、出向・転籍や希望退職募集に踏み切る可能性が

 ただし昨今は、コロナ禍の企業業績の悪化によって徐々にリストラ圧力も高まりつつある。大手サービス業の人事部長は「9月の中間決算を見て、出向・転籍や希望退職募集などの人件費削減に踏み切る可能性がある」と言う。出向どころか、クビになってしまうかもしれないのだ。

 「減収減益になるのは間違いない。人員調整を行う場合、経営会議で余剰人員数を確定し、人事部として最初に出向・転籍の受け入れ先と人員数を確保する。それでも足りない場合は希望退職募集を行う。今年の秋から対象者の選別を実施し、来年1月には社内向けに発表することになるかもしれない」(人事部長)

 ちなみに出向は会社の業務命令であり、逆らえないが、転籍は他社に移籍するために本人の同意を必要とする。

退職勧奨を受けたものの固辞した50代事務機メーカーの事務職のケース

 希望退職募集も応募する・しないは本人の自由だが、会社から退職勧奨を受けても固辞する場合、自分の意に反した会社への出向を命じられることもある。

 以前、大手事務機メーカーの事務職のある50代の社員が退職勧奨を受けたものの固辞した。その結果、物流子会社に出向を命じられた。

 子会社での仕事は事務作業ではなく、経験のない製品の運搬作業を命じられ、精神的・肉体的にも追い込まれた。

 会社としては自ら辞めるようにわざと配置したふしがある。このケースでは、結果的に社員が裁判に訴え、出向は「会社の権利濫用で無効」と判断で復職することができたが、裁判まで持ち込む勇気がなければ泣き寝入りせざるをえないのが実態だ。

特定の社内派閥に属すことで、逆に飛ばされるリスクが高まる

 ではこうした悲劇的な出向を回避するために、社内に派閥があれば上司に媚を売って特定の派閥に属することは身を守ることになるだろうか。ドラマ「半沢直樹」では一部の取締役や社員の中に、派閥に属することで出世が早まり、いざというときのリスク回避にも役立つ場面も描かれている。

 確かに部長や役員に忠節を尽くせば、出世が早まることもあるかもしれない。しかし、逆にリスクも大きい。M&A(合併・買収)でライバル会社に吸収された製薬会社の人事部長はこう語る。

 「合併によって大幅な役員の交代が実施された。将来の社長候補と目されていた役員が子会社に異動した結果、取り巻きの部長・課長たちも子会社に飛ばされ、次々と失脚していった。実質的に吸収した側の企業は合併後の人事の障害となる派閥を真っ先に狙い撃ちにする。合併に限らず、今の時代は業績不振に陥ったり、ビジネスモデルが変わったりすれば、たちまち派閥のトップの役員が外され、ぶら下がっていた幹部もどうなるかわからない時代だ。派閥に入ることは同時にリスクも抱えている」

 こう語る人事部長はどの派閥にも属していなかったが、それでも合併後に降格された。

 だが、与えられたミッションを全力で取り組み、その成果が認められて今の地位(人事部長)に返り咲いた。この部長は「定年まで生き延びていくために大事なことは、社内の生々しい人脈づくりよりも、利害を超えた社外の人脈をつくることだ。そのつきあいを通じて自分の能力レベルがどのくらいなのかを知ることができるし、社外の人脈を通じて仕事に活かすなど自分を磨くことが生き残るための賢い選択」とアドバイスする。

コロナ後のM&Aで、会社ごとすっぽりとのみ込まれてしまう

 コロナ不況は始まったばかりである。今回の不況は単なるリストラだけで回避できるものではなく、「3密」産業の衰退と3密回避のビジネスへの移行が発生し、今までにない産業の再編が取り沙汰されている。

 新たなビジネスモデルに移行できない企業は倒産、もしくは他の企業に飲み込まれるM&Aも増加すると見られている。当然、その大波に翻弄されるのは従業員である。

 頼みにしていた上司にすがることはできないばかりか、会社ごとすっぽりと大きな渦にのみ込まれてしまうかもしれない。

 状況は異なるが「半沢直樹」でも似たような場面が登場している。たとえ危機に直面しても揺らぐことのない理想を持ち、決して諦めない覚悟と努力を惜しまないことがいかに大事かをドラマは教えてくれる。

 お前ら人権ない何故ヤクザの生活はしくなったのか 

文春オンライン 2020年8月23日(日)6時01分配信

 新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所、そして大阪府西成に居を構え、東西のヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは――

「完全に同化してますねぇ」

 暴力団との距離のとり方はことほどさように難しい。

〈ヤクザっぽくならないように……〉

 私はいつもそう意識している。外見も内面も、彼らと同化してはまずい。マル暴の刑事が本物以上にヤクザっぽい雰囲気を纏っているように、ヤクザ記者がヤクザのような風貌になってはシャレにならない。

 同業者にはヤクザっぽい人が多いように感じる。外見はそうでなくても、話し方が尊大になったりする。暴力という力を持ったヤクザと付き合っているうち、自分が強くなったような錯覚に陥るのだろう。最初は真面目そうだった編集者が、アウトロー雑誌を作っているうち、段々とそれっぽくなってきた実例はたくさんある。

 常に意識していても、人から「それっぽい」と言われてしまうときもある。

 北九州市の女子大学の教授を取材したときのことだ。この人は広島出身のプロボクサーが、肉親が所属していた暴力団抗争に巻き込まれていく様を丹念に調べて出版していた。その人物を暴力団側から再検証しようと考え、取材先の紹介と写真提供をお願いしていたのだ。大学という場所を考え、きちんとした格好で行こうと考えた。池袋の西武デパートでヨウジヤマモトの黒いスーツをローンで買った。暴力団相手に黒は避けているが、一般人になら問題ないと思った。

 教授は冷淡だった。

「ヤクザばっかり取材している人はそれっぽいねぇ。黒いスーツなんてヤクザそのものだよ」

 教授の見解程度なら、笑ってすますこともできる。黒いスーツ=暴力団だなんて、乱暴すぎだ。しかし、当の暴力団から指摘されると完全に意気消沈する。先日、ある親分の運転手から、「完全に同化してますねぇ。いつかヤクザと間違えられて撃たれますよ」と言われた。彼らにとっては仲間意識と友好関係を示した親愛の情かもしれないが落ち込む。自分では気づかぬうちに調子に乗っているのかもしれない。そんな部分があるならもっと強く意識しなくてはならない。

暴力団と付き合うことで死生観が狂っていく

 感覚が麻痺してしまった部分はあるだろう。たくさんの暴力団が集まっている義理場で、写真を撮るため、ためらいなく前に出られるのも、頭のどこかが麻痺したせいだ。

「ここだけの話……」

 と、日常的に犯罪行為の話を聞いているので、たとえば殺人事件に対する感覚も、一般的ではないはずである。私の携帯電話には17人、抗争で殺された暴力団員の電話番号がメモリーされている。自殺した人間を含めると、その数は3倍近くに跳ね上がる。たとえわずかな回数しか話していなくても、あくまで取材の相手でも、たたずまいを記憶している人間が殺されるという事態は、否応なく私の死生観を狂わせる。

拘置所での面会

 留置所や拘置所、果ては刑務所まで面会に行くので、こうした空間を異次元の場所と捉えることもなくなった。刑務所での面会は身分帳に名前を記入した人間以外できないが、たぶん、20人近くの身分帳に私の名前が載っているだろう。もっとも悲しいのは拘置所での面会だ。ションベン刑と言われる短期にせよ、長期服役にせよ、刑務所に入ってしまえば娑婆に出られる日は分かっているから、その点、当事者も吹っ切れている。

 拘置所に面会に来る人間たちをみても、複雑な心境になる。

 先日、大阪拘置所に面会に行った。ここは別名“リバーサイド”と呼ばれる。川のすぐ脇にあるからで、側には高層マンションが建ち並ぶ不思議なエリアだ。

 入口にある無料のロッカーに携帯電話やカメラ、ICレコーダーをしまい、金属探知を通って待合室に向かう。待合室には真っ青なセルロイドでできた羽根の、東芝製の古い扇風機が設置されていて、夏場はそれが首を振りながらうなり声をたてている。

 待合室には、一目で暴力団関係者と分かる人間も多いが、その恋人や家族もたくさんいる。先日、リバーサイドの待合室でみかけた老夫婦のおじいさんは、杖をつきながら宅下げ(金品を持ち帰ること)・差し入れの窓口を探してウロウロしていた。朝早い面会だったからか、スーツ姿のサラリーマンや、作業服を来た男性たちもいた。

子連れで刑務所へ面会に来る家族

 目立つのは子連れの女たちだ。この日はスカジャンに金髪のポニーテールの若いママが、5、6歳くらいの男の子を連れていた。赤ちゃんを連れた女性も少なくない。だから面会室の入口のすぐ横にはベビーベッドがおいてある。

 待合室の中央には2本の太い柱が建っていて、面会室側のそこにはマガジンラックが設置されている。そこにあるのは子供向けの絵本ばかりで、ボロボロになった『シンデレラ』や『不思議の国のアリス』が置いてあった。たしかにここは不思議の国だろう。しかし、子供たちにその自覚はない。パパに会える場所、遊園地と変わらない気分のはずだ。

 自分が好き勝手なことをするのはいい。刑務所に入るのも自己責任だ。しかし、家族がいるなら、なにより子供までいるのなら、もうちょっと他の生き方は出来ないのだろうか。

 死刑囚が収容されているのも拘置所である。彼らは刑の執行――自分が殺されるために収容されているので労役もなく、服装も自由に選べる。大抵の死刑囚は、面会のときもスーツ姿で現れる。話す内容は毎回、ほぼ一緒だ。希望を失わず、死刑が執行されるその日まで、しっかり生きてくれ、というしかない。面会を重ねるうち、どんどん情が移ってくる。無残にも殺された被害者のことを思い出しなんとか我に返る。

暴力団は斜陽産業

 最近では暴力団の意識も変化してきた。大阪の末端組員たちのように、我々が自分たちをネタにして金を稼いでいると分かり、様々な要求をしてくるのだ。インタビューなら事前に原稿をチェックされても仕方ない。が、他団体の原稿まで検閲したいと言ってくる。

 当然断るが、そのとき暴力団は「今後出入り禁止にする」と圧力をかけてくる。組織名を一切使うな、と要求してくる組織もある。福岡県警がコンビニエンスストアに、要請という形で暴力団雑誌の撤去を行ったのと同様に、恐喝のプロだけあって、一切、恫喝めいた言葉はない。ホテルなどに呼ばれるときも、部屋を閉め切らず、強要にならないよう細心の注意を払っている。

 こうした要望は暴力団の取材許可で成り立っている雑誌にとって、強制に近い意味を持つ。いつだったか、溝口敦が「取材拒否になっても他の分野がある」と書いていたが、暴力団のみに依存していては、この要求を呑むしかない。専門分野に特化した分、取材対象との関係を良好に保っていなくてはならないという負い目がある。今のところ、私個人は「実話誌にはそういった圧力をかけられても、一般誌には同じことを言わないはずだ。そこからの依頼なら書きます」と突っぱねてはいるが、現実には暴力団専門誌がなくなった時点で私の生活は破綻する。

「知っていること」と「書けること」の相克

 また同じ組織に10年も出入りしていれば、否が応でも深刻な内部対立が分かってしまう。実際は友好的な儀式であっても、当事者たちは私がそれを書かないと信じているから、ぶっちゃけた内容を話す。深層を知った上で、上っ面だけの記事を書くのは精神的に大きなストレスとなる。関東の某団体は、親分と決定的に反目しているが、取材の際は「一枚岩の団結」と書かねばならない。

 今後の身の振り方を考えていたところ、最近、考えさせられる事件が立て続けに起きた。一つは外国人記者が、暴力団のスキャンダルを暴いたときだ。

 彼はパイプ役となったネタ元や、当事者団体から、私が何度も言われたように「殺す」という恫喝を受けていた。その対策として彼は警察に相談して、身辺警備をしてもらったり、高額な日当を払ってボディガードを雇った。外国人は暴力団に過剰な幻想を持っている。これまでの自身の経験からすれば、それは単なる脅しで、真に受ける必要はまったくない。

 ただ、私は彼がやったように、暴力団にとって圧倒的に不利な事件を暴き立てたことはない。溝口の例をみても分かる通り、記者が暴力団から攻撃されない、という保証はどこにもない。

「ヒットマンって誰ですか?」

「○○って言ってました」

 私は名前の挙がった当人と交流があった。直接話を聞き、「そんな意味のないことなんてしない」と言われたが、それを本気にしていいものか自信はない。

 記者の恐怖心を増幅させていたのは、刑事たちだった。

「そりゃあ他の暴力団なら心配ないでしょう。でもあの組織は危ない」

 感覚がずれているのは私かもしれないのだ。

「ヤクザに戻ってもどうしようもない」とこぼす元幹部

 その後、山口組を破門になった幹部が、今度は家族ぐるみで上京してきた。最初、他団体の知り合いから電話があって、「追われているから助けてやってくれ」と、一切を突然丸投げされたのだ。過去の経験から自分の家に住んでもらうことはしなかった。ただ私が保証人になってアパートを借りる必要があった。知り合いの会社になんとか潜り込んでもらい、彼はいま、月給25万円で会社社長の運転手や雑用をしている。彼はしばらく「いずれヤクザに戻りたい」と熱意を持っていたが、最近はずいぶん考えが変わったようだ。

「もう暴力団じゃ食えない。カタギでやっていきたい。知り合いのマル暴からも、『いまヤクザに戻ってもどうしようもない』と言われる。昔の仲間たちも同じことを言ってる」

 元幹部がこぼすように、暴力団という職業は斜陽産業である。

 コンピューターの普及で、大打撃を被った業種のように、社会が整備されて来るにつれ、暴力団の存在価値は薄らいでいる。暴力団も調子に乗りすぎた。豪邸に住み、高級車を乗り回し、ホテルのロビーを我が物顔でのし歩くアウトローを、社会が許容するわけがない。

現代の暴力団は一種の社会的弱者

 いまや暴力団は一般的な生活を送るのも困難となった。銀行口座は作れない。新車も売ってもらえない。カメラ店でのプリントさえ拒否される。葬儀会場を貸してくれるところもない。理解しがたいかもしれないが、暴力団は一種の社会的弱者なのだ。

 実際、暴力団取り締まりの現場はなんでもありと言っていい。警察に拍手を送りたくなる事件がある反面、明らかに強引に事件化したと思われるものも目立つのである。

 大阪日本橋の電気街で、200万円ほどの買い物をした山口組二次団体幹部は、「ちょっとくらいまけてぇな」との言葉を「恐喝」と判断され、警察から厳重注意(中止命令の一歩手前)をうけた。山口組の某直参組長は、200万円の大金をかけて入れたインプラントの噛み合わせが悪く、「ちょっと具合が悪いんやが……」と言ったため、歯科医から警察に通報され、新聞沙汰になった。なんだかマンガのような話だが、警察も暴力団にははっきり「お前らに人権はない。カタギがやるのはいいが、お前らは駄目や」と通告するという。

◇◇◇

「もうヤクザの時代じゃない」

 もちろん暴力団という属性は、自らの意志によるものであり、つまりは自業自得である。暴力団を辞め5年経てば、建前上、一般人と同じ権利を得られるのだから、これが差別にあたると考えるのは妥当ではない。

 全国に広がる暴力団排除条例制定の流れは、もはやとめようがない。第一章でも取り上げたように、2007年4月20日、神奈川県相模原市内の路上で極東会系組員が殺人事件を起こし、自宅である町田市の都営アパートに立て籠もった事件が発生すると、すでに公営住宅へ入居していた暴力団員に対し、住宅の明け渡しを要求する事例が相次いだ。このとき問題となったのが、日本国憲法第14条の第1項だった。

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

 暴力団という特定の団体に所属しているだけで、公営住宅を追い出されるのは、本来、憲法に違反していると考えることもできる。これを巡って広島県広島市では裁判が起きた。明け渡しに応じない組員に対し、広島市側が訴訟を起こしたのだ。2008年10月21日、広島地裁は組員に明け渡しを命じたうえ、憲法14条にも触れた。

「地方自治法の該当条項に照らせば、市営住宅の適正な供給とその入居者ないし、周辺住民の生活の安全と平穏の確保という観点から、暴力団であることを理由として市営住宅の供給を拒絶することは相当であって不合理な差別であるということはできない」

暴力団に「最低限度の生存権」はあるのか?

 この判例は広く全国のスタンダードとなり、『広島市営住宅判例』と呼ばれるようになった。最高裁まで争ったわけではなくとも、この判例が覆される可能性は少ないと思われ、暴力団側からの提訴も今のところ皆無である。

 これに対し、憲法第25条の解釈は、1982年7月7日の最高裁判例が基準とされている。暴力団であっても最低限度の生存権はあるので、公営住宅からの追い出しは、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という部分に抵触するのではないか?という意見だ。

暴力団排除“条例”の存在

 判決は以下のようになっている。

「憲法第二十五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量に委ねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるを得ないような場合を除き、裁判所が審理判断するのに適しない事柄であると言わなければならない」

 取りようによってはかなり乱暴な判例であるが、暴力団排除条例が、あくまで条例として各地で制定されている理由がわかる。

 こうした社会情勢の中、組員の数は、おそらく激減しているだろう。

 最近、山口組の有力組織が、組員の実数を確認してみたところ、名簿上は150人弱いるはずの組員が、100名を切っていたという。普段は居酒屋のマスターをしていたり、タクシーの運転手をしながらヤクザの構成員となっている兼業暴力団は年々増えている。大きな義理事で、不足している組員を補うため、不良少年たちがアルバイトとなるケースも多い。暴力団の実数は、警察発表の半分いればマシではないか。

海外へと手を伸ばす暴力団

 一方で、ここにきて暴力団は急速な勢いで海外に進出している。暴力団とともに、フィリピン、マカオ、中国、インドネシア、マレーシアに同行した際は、それなりの“支部らしきもの”があることを確認した。実際、海外支部の名刺を作っている団体もある。

 中国には暴力団の一行を専門に扱う旅行社すらあった。添乗員は「ヤクザはタチが悪い。大嫌い」と言っていたが、大金を落としてくれる顧客を手放すつもりはないようで、政府関係者に対する賄賂の仲介も行っていた。

 マニラには日本の暴力団が国内のような縄張りを作っているし、インドネシアでは入国も税関もフリーパスで、空港からは白バイがサイレンを鳴らしながら車を除のけ、ホテルまで先導してくれた。暴力団を日本から追い出しても、彼らはたくましく新天地を見つけるだろう。古い型の暴力団が姿を消す一方、国際化をすすめ、新ジャンルの暴力団が生まれている。

幹部からかかってきた最後の電話

 つい先日、近畿地方の広域組織幹部から電話をもらった。彼は明らかに思い詰めていた。

「もうヤクザの時代じゃないんだ……俺はこれから死ぬ」

「だったらカタギでやっていけばいい。死ぬことなんてないです。なにを言ってるんですか、落ち着いて下さい!」

「お前さんには……ヤクザの本当のことなんて分からないんだろう。任侠道なんてどこにもなかった。俺はもう失望した」

 電話は一方的に切られた。すぐかけ直したが電源が切られていた。若い衆の電話番号も知っていたのですぐコールしたが、やはり繋がらない。すぐさまバイクに飛び乗って事務所まで出かけた。到着した時、すでに彼は若い衆を撃ち殺し、最後は自分の頭を撃ち抜いていた。

「もうヤクザの時代じゃない……」

 震える彼の声は、いまも耳に残っている。

 

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